(1)刑事訴訟事件の最大の争点
事故は、国道五十六号沿いのレストランの駐車場から出発して、中央分離帯付近にいたスクールバス全長約九mの右側前方角のバンパーに、右側の国道から来た白バイが衝突したもの。隊員は胸を強く打ち、約一時間後に死亡。片岡さん側は「左右の安全を十分に確認して、駐車場から国道に出て、中央分離帯付近道路中央で右折確認のため、車線を通る車をやり過ごしていた停車中に、白バイが高速で衝突してきたのだから過失はない」と主張。一方、検察側は「バス前輪が路面に残したスリップ痕や、衝突後に白バイを数メートル引き摺ったような擦過痕から、バスは安全確認を怠り国道の中央分離帯付近に向けて十km程で進行中だった」として、右方安全確認義務違反で懲役一年八ヶ月を求刑。公判では、バスが衝突時に動いていたのか、止まっていたのかが最大の争点となっていた。
(2)刑事裁判記録の検証
高知県警白バイ事件の裁判記録を高知地方検察庁へ閲覧に行って来た。午後二時三十四分スクールバスと白バイとの衝突事故は起こった。それから三時四分現行犯逮捕までの経緯に奇妙な点があることに気がついた。それは、この三十分間の市川幸男隊員と片岡晴彦受刑者(現在)との接触の有り様である。
二人の尋問調書と、周辺目撃者の証言を参考にすると、この三十分間の経緯は、ほぼ次の通りである。事故直後約十五秒~三十秒程で市川隊員が現れ、市川隊員は即座に救急車を呼ぶため通報に向かった。それから数十秒後、もう一台の白バイ隊員が事故現場に直行してきた。
市川隊員は、携帯電話で「119 番」通報していた(通信記録証明有)。元愛媛県警の仙波敏郎さんが講演会で証しするところによると、警察官の交通事故は、百番通報事案と言って、無線を使わず、携帯電話を使用するようにと上から指示が出ているそうなのだ。通信の秘密を守る必要があるからとの措置なので、警察組織が、身内の事故処理において、権力と法を悪用している疑惑を生じさせる。
それから片岡さんは、重傷の隊員に付き添い、救護に懸命だったようだ。救急車が到着した時、市川隊員と片岡さんの二人で重傷の隊員をタンカに乗せている。事故から約二十五分後、バスの中学生達が警察官の誘導でバスから降りた。救急車発車後片岡さんは、現場検証があるはずだからと外に立っていたので、運転席に座った記憶も、写真を撮られた覚えもないと証言する。つまり、中学生が不在のバスに片岡さん一人が運転席に座る写真は、合成加工の疑惑があるのだ。
さて、もし市川隊員が事故の一部始終を目撃したのならば、現認した被疑者として片岡さんの身柄を拘束し、現行犯逮捕していなければならない。が、市川隊員の調書では、特に片岡さんに関する質問部分に顕著な動揺が読み取れ「片岡さんがどこにいたのか分からない。覚えていない」との証言であり、逮捕もしていない。
(3)目撃市川白バイ隊員の証言の矛盾点
さて、二人の接触を詳細に読み解くと、市川隊員には事故の一部始終を目撃し、犯罪を現認した警察官として行動していた様子がなく、偶然通りかかった事故の直後に遭遇した警官の職務の遂行しか見られない。以下で、それを検証する。
1点目、白バイを停めた位置だが、一部始終目撃していたのならば事故現場まで直行し乗り付けるはずであるが、通り過ぎた道路の向かい側に停車し、バスまで三角比の推定で約十四m道路を渡って引き返し走って来ている。これは変である。
2点目、もし市川隊員が事故の一部始終を目撃していたのならば、過失犯の片岡さんを被疑者として拘束していたはずである。しかし、片岡さんを信用し協力し合っているということは、事故状況を把握していなかったからではないのか。
3点目、事故現場を知る高知県民は「目撃したという市川隊員の位置から百七十八m離れた左に急カーブの道路の先の白バイ隊員の動きが見えるはずはない。というのも中央分離帯に街路樹が聳え立っていたからである」との共通見解を持つ。
4点目、右折確認のため国道車線を通る車をやり過ごしていた片岡さんは、左方の市川隊員を見ていないと証言。
5点目、また、情報公開請求で判明したことだが、県警本部から警察庁等上級庁への事故の速報には、同僚警官が事故の一部始終を目撃していたとの記述がない。殉職事案において、警察官が最重要証人ならば、当然、その事実が上級庁へ即報告されるはずではないのだろうか。この疑義を、新しく就任された北村博文本部長と公安委員、警察庁長官にご検証頂きたい。さらに、3月中旬の県議会定例委員会でも公安委員会定例会でも交通部長が「殉職警官の交通事故事案」を報告しているが、同僚警官が目撃していたとの報告は無い。議事録にその記述が無いのは、目撃そのものがその時点では無かったとの位置づけだったからではないのか。
6点目、市川隊員の実況見分調書には位置関係の距離の数字に矛盾が存在する。この数字の杜撰さは刑事裁判の際、梶原守光弁護士も指摘していた。
さて、刑事裁判の争点から浮かび上がる真相を要約すると、片岡さんか市川隊員か、どちらかの証言が「偽証」になり、どちらかが「嘘つき村の人間」になるのだ。これらの矛盾点を合理的に考察してみると、市川白バイ隊員が現認したとする事故の一部始終の証言の信憑性には深い疑義が生じ、偽証の罪状が浮かび上がる。それらについてはオンブズマンが特別公務員職権濫用罪、偽証罪等で告発をした。
(4)事故白バイのスピードの検証
ところで、事故現場は五十km制限速度区域で、黄色点滅の前方注意義務のある区間であった。国土交通省は、制限速度とは不測の事態でも事故が起こりえない範囲に設定しているのだと言う。つまり、制限速度が守られていたならば事故にはならなかった。一審や二審でも、白バイ隊員の十km超の速度オーバーと前方不注意が事実認定されたにもかかわらずその過失責任は無視された。
資料の検証整理をしていた時、高新掲載の現場の写真に不審を抱いた。というのも、この写真には、白バイがバスに衝突する前に、スリップ痕跡が残っているはずの第二車線の路上に、事故撮影用の県警車両がドンと陣取っている様子が映っている。なぜ、白バイのスリップ痕跡が残っているはずの白バイ走行路上に県警車両がいるんだ。私が、その矛盾に最初に気づいたのは、県警への情報公開で判明した、ある巡査の業務上過失致死事件の記録を検察庁に閲覧に行ったときだった。県警南署の警察官が休日に、1300ccの大型バイクで歩行者と衝突したこの事件では、バイクのスリップ痕跡と擦過痕跡から、同じ県警の三好志郎鑑定人が、大型バイクのスリップ時点の速度が八十~百kmと鑑定調書を提出。ここに白バイ隊員の速度の印象を曇らせるトリックが隠されていたのだ。大型バイクが前方に障害物を発見したら急ブレーキをかけ、身を庇いバイクを転倒させるので、その時点からスリップ痕跡が路面には印象される。この巡査の大型バイクの事故現場では、スリップ痕跡がある十二mもの長い距離の走行路全体の路面を、現場保持の目的で、赤白の三角帽がそれを取り囲んで並べられていた。
高知県警白バイ事件の現場調書でも、第二車線路上が走行路として赤白の三角帽子が立っている。つまり、第二車線走行路上に、ここが、走行路であった痕跡が存在したからこそ、第二車線と特定できたのだと推察される。それなのに、なぜ、事故事象のサンプルの抽出の段階で、それらの痕跡は無視されたのだろう。
高知県警白バイ事件では、白バイのスピードは30~60km、バスは10~20kmで進行中であったと鑑定。要するに、鑑定人が取り上げる白バイの痕跡は、バス周辺の衝突場所に集中しており、それ以前の白バイのスリップ時点から衝突直前までの長い距離の痕跡は全て無視して鑑定しているのである。これは、明らかに、鑑定以前の、事故事象の証拠サンプルの抽出にトリックがある。バスのスリップ痕の捏造には、白バイの速度の判定から目を逸らせる、焦点をずらす目的があったんだ。鑑定まで偽装していたのか。警察はここまでやるのか。これでは高知県民は、安心して警察権を県警にゆだねることは出来ない。県警の鑑定に偽装がないというのなら、どうどうと、写真のネガとこの鑑定書を国家賠償訴訟の証拠として提出すればいいのに、提出できないということに、合成写真と、鑑定偽装の自白が伺える。
また、支援する会に事故周辺の目撃者から入った情報によると、乗用車を追い抜いて行った白バイが、対向車線の白バイと挨拶を交わした直後、後方で事故が起きていたと言う。白バイ同士のサインのやりとりが、よそ見運転につながったのだろうか。事故翌日の朝礼で「警ら中公道で挨拶を交わすと危険なのでこの習慣をやめるように」との訓辞があったとの良心的な情報提供が、元愛媛県警の仙波敏郎さんの元に入っているそうだ。
さて、現場付近では猛スピードの白バイの横行が頻繁に住民に目撃されており、事故直前には、このままでは事故が起きると警告通報した市民までいた。現場の国道は速度がのり易い道路で、よく違反者が捕まっていたらしい。要するに、速度違反者を追いかけて、白バイ隊員が集結していたのだろう。実地訓練場として、事故現場が使われていたという片岡さん側の主張にも頷けなくはない。