cosmotiger発信!!

日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧東海道編(16)

2012-07-27 | 旧東海道run!!

「ちょっと走ってくる」どころか、もはや完全に「旅」の雰囲気を呈してきた東海道ラン。
さすがに毎回同じ乗継も飽きてくるが、豊橋以東は他に選択の余地もなく、致し方ない。
気分転換に、「今日はJR」「今回は名鉄」みたいな感じで豊橋までに変化を付けるぐらいである。

高速バスも安くて快適だが、東名高速自体、おおむねかなり山側を走り、旧東海道とは離れたところを通っており、また渋滞などで時間が読めない部分もあり、実用性に乏しい。

JR磐田駅から遠鉄バスに乗り、「新通町」停留所に降り立った。
前回終了後、改めて調べてみると、旧見付学校への距離は大差ないものの、「西坂町」よりも、国1に面したこちらの停留所の方が本数も多いことを発見した。
徒歩7~8分で、前回のゴール地点、旧見付学校である。

再度、特徴ある建物を写真に撮り、東に向けてラン開始。
磐田宿の中心を走る。
本陣跡を過ぎ、右側に古風?な建物がある。
某予備校が町並みに合わせ、和風に飾っている。

しばらくすると左に分岐する道が現れる。
これが旧東海道やね。
すぐに阿多古山一里塚跡があるけど、奥まった小山の上にあって、見づらい。

やがて国1に合流、歩道橋を過ぎてすぐまた右に分岐。
しばらく行くとわずかながら松並木が残されており、涼しげな雰囲気と、街道特有の独特のうねりがマッチして、良い景色だ。

道が徐々に狭くなり、住宅街の中の普通の生活道路のような雰囲気になってきた。
左に三ヶ野公民館。
この先、もし事前にリサーチしてなかったら「エ!」と目を疑うような風景になる。
街道フリークには有名な?「三ヶ野七つ道」だ。

「鎌倉の古道」「江戸の古道」「明治の道」「大正の道」と用意されている。
すぐ北側に国1(これを「昭和の道」としているらしい)、並走する国1磐田バイパス「平成の道」。
「なんだ、6つじゃねぇか!」とツッコミたくなるが、北上し、桶ヶ谷沼へ向かう抜け道のような小道が以前はあったらしい。

まぁ、案内板が整備されているから迷うことはないけれど。
鎌倉の道は鬱蒼とした感じで、完全に山道(獣道?)状態で、それはそれでそそられるが、一応、江戸幕府が整備した東海道をたどって走っているというコンセプトからして、ここは江戸の道を行くのが正当だろうと勝手に解釈した。
といっても、江戸の道も短いとはいえ、完全なる森の中状態ではあるけれど。(写真)

住宅街の近くに突然現れた森の中の道。
それも、鎌倉時代の道までが原型のまま残っているとは驚きでもあり、と同時に、鎌倉から平成まで、新旧入り乱れ、なにやら不思議な空間ではある。

途中で「明治の道」に合流し、そのまま案内板に従って進む。
川の堤防で突き当るから、県道に出て橋を渡るしかない。
多分、この道はバイパスができるまでは国1だったんだね。

木原という交差点の手前に左に分岐する道がある。
これが東海道。

旧街道ランもここまで来ると、地図見なくても、旧街道のニオイ?のようなものを感じ取れるようになるんだよね。
あくまでも「ニオイ」だからうまく説明できないけれど、国道や県道で走ってて、左右に緩やかに分岐する道があると無意識に反応してしまう。
しかもそれが微妙なカーブ(と云うかうねり)を描いてたりすると、旧街道の可能性が高い。

途中「木原一里塚」が再現されている。

再び県道に合流し、途中、「川井」の交差点も間違えて左斜めの広い県道に行ってしまいそうだが、ここも敢えて直進。
ひたすら道なりに進むと、袋井宿に入っていく。

袋井宿は江戸~京都間のちょうど中間点ということで、それをウリにしている看板が多い。
市役所の前に出るとそこに「東海道ど真ん中茶屋」なるお店もある。

市役所の裏から右折して住宅街の中を走るが、左側に常夜灯があるから、ここが東海道であることを認識できて、ホッとする。

いったん、「新屋」という交差点に出て東に行くとすぐ右の道を走る。
この辺は案内板もあるけれど、若干ややこしいから注意しないとね。

松並木が現れ、東海道らしい雰囲気が少しだけ残ってるな。
街道特有のうねりも感じられ、走ってて楽しい。

右側に袋井東小学校があり、その一角に「久津部一里塚跡」がある。

あとはこの道を走るだけ。
信号もなく、松並木が再び現れ、気持ちの良いランニングコースではある。

やがて道は分岐点があるけど、右を行くのが東海道。
でもすぐ堤防に突き当たってしまう。
目の前に国1があって、橋(同心橋)を渡る。

問題はゴール地点なんだけど、この辺り、一時的に東海道本線から離れている。
最寄はJR愛野駅であることはリサーチ済みなんだけど、1.5kmほど南下する必要がある。
さらに東海道を進んで、掛川まで向かう手もあるんだろうけど、残念ながらここまでしかリサーチしていないのさ。
もう、今日は最初から愛野駅に出ると決めていたからね。

東海道としては、この同心橋を渡り終わった「同心橋東」の交差点を区切りとして、南下する。
東海道は綿密に調べておいたものの、それ以外の部分はカン頼り。(O型です)
全然知らない住宅街の道を走り、川を渡り、興味本位に右折左折を繰返す。
そんなことしてれば迷うのは当然で、なぜか線路の反対側に出てしまい、目の前に巨大な丘が。

有名な?「エコパ」(小笠山総合運動公園)らしい。
記録の出る高速トラック?の陸上競技場があるらしいが、ここまで来るのに疲れてしまいそうだ。
そんなことより愛野駅とはえらく離れている気がする、トホホ。
さすがに疲れてきて、大人しく広い道をたどって、標識に従い、やっとの思いで愛野駅に出たのであった。

ここだけで5~6kmはロスした気がする。
くそ暑い中、20km以上走ったかな?
もちろん給水は随時してるけど、疲れたよ~。
こんなに走るなら、掛川まで行けたはずで、もう少し先までリサーチしておけば良かったかも。

でも何でそこまでして愛野駅をゴールにしたかったかと言うと、この駅は、平成13年(つまりこの時点で6年前)に、袋井~掛川間に出来た新駅だから。
ただそれだけのことなんだけどね。
来てみたら、袋井市郊外の普通の駅だった。
労多くして功少なし。
それどころか、愛野駅にこだわったため、後々の行程にもいろいろ不便が生じてくることになる。
つくづく掛川駅までリサーチしておけば良かった。
あー、疲れた!



※2014.07.25追記 地図、作成しました。(ここをクリック)
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コスモタイガー漂走記~旧東海道編(15)

2012-07-19 | 旧東海道run!!

大高駅に車を置き、JRを東海道本線・関西本線と乗継、加佐登駅に降り立った。
今日は朝から曇天で、かえって走りやすい。
関西本線を名古屋から乗ると、河原田駅で伊勢鉄道(旧JR伊勢線)を分岐した辺りからのどかな風景に変わり、ちょっとしたローカル路線気分に浸れて楽しい。

加佐登駅前の道を左に行き、線路を越え、南下するとすぐ庄野宿に入る。
ここまでは前回も通った道だ。
前回閉館した後だったので見られなかった庄野宿資料館(旧小林家住宅)を見学。
まだ走り出して5分余り、汗もほとんどかいていない。

30分ほど資料館を楽しみ、先へ進むと本陣跡がある。
さらに進むと庄野宿は終わり、国1に突き当たってしまう。
横断歩道もないため、いったん右折する感じで迂回路があって、そのままガードをくぐって直進する形で東海道は続いている。

この辺りの東海道は、独特のうねり感があって街道オーラ出まくりで、良い感じだ。
中富田一里塚跡の石碑がある。

道はこの先、安楽川の堤防にかかり、行き止まり。
すぐ右側にある、和泉橋を渡り、井田川小学校を右折したところから、旧道が再開される。
地図で見るとちょうど川を挟んで道が繋がるようになっており、かつては川を直進していたんだろうね。

JRを横断し、突き当りを左折するとすぐ、井田川駅の前に出る。
まだゴールするにはあまりに短いので、そのまま進む。

国1を横断してすぐの角を左折、あとはしばらくこの道に沿って走る。
「和田」という交差点があり、ここで国1を行くルートと、道なりに路地裏?を進むルートと2説あるらしいが、ここは個人的に道なりに進むのが正解のような気がする。

あとは道なりに進むだけだ。
右側に和田一里塚が復元されている。

左側にカメヤマローソクの工場を過ぎると、市街地の雰囲気になり、亀山宿に入ったことを実感する。
亀山宿は、城下町も兼ねているため、特有の枡型などが存在し、ちょっとややこしい。

走っているこの道は、広い道路に出て突き当り、そこを右折。
しばらく行くと交番があり、そこから左折する狭い道が東海道。
右手に某電話会社の亀山ビルを望みながら、グルッと廻り込む感じになる。
短いながら、旧東海道として整備されており、案内板も所々にあったりする。

右側に池が見えてくると、さっきの広い道路に再び遭遇することになる。
地図を見ると分かりやすいが、亀山市中心部のメインストリート(と思われる)を、ショートカットした形になるわけだね。

東海道はここを横断・直進し、城下町特有の右折左折を繰返して西へ向かうが、とりあえず今日はここで東海道とお別れ。
せっかくだからこのまま亀山城跡を走ろうと思い、広い道路を駈け上がった。

亀山城は、度々城主も変わっており、長くなってしまうので、詳細は略。
多門櫓・石垣等、一部の建造物しか残っていないのが残念だが、城跡周辺は亀山公園として整備され、市民の憩いの場となっているようだ。

その一角に菖蒲園があり、運良く花菖蒲が見頃となっていて、見物客も多く見られた。
すでに15~16kmは走っていると思うため、ここをゴールにし、写真を撮りながら癒しのひとときを過ごすことができた。(写真)

ここから亀山駅までは約1km、徒歩なら15~20分程度の距離である。



※2014.07.23追記。
 地図、作成しました。(ここをクリック)
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コスモタイガー漂走記~旧東海道編(14)

2012-07-12 | 旧東海道run!!

名鉄とJRを乗り継ぎ、JR天竜川駅に降り立ったコスモタイガー。
久々に東海道に戻ってきた。

前回、「薬新町」のバス停をゴールにしたのであるが、同じルートを辿るだけだし、効率も悪いため、浜松駅からそのまま1駅、天竜川駅をスタートとした。
1kmほど重複区間となるけれど走ってしまえば5~6分の距離で、苦にならない。

で、首尾よく薬新町を通過、そのまま直進して走る。
すぐに左側に「金原明善生家」なる史跡があるけど、ゴメン、誰それ?
わかんないから素通りね。
一応マジメな練習の一環だからね。

興味あるものは立ち止まって看板読んだりするけどね、興味ない時は「マジメな練習」!
都合良く解釈して楽しんでるのさ。

小さな神社があり、天竜川に突き当たる。
かつてはここは船渡しだったが、現代ではすぐ北にある橋を渡るしかないのだけれど、ここはネットやガイドブックでは悪名高き「現代の難所」だったらしい。
橋は2つ並んでいて、古い方が天竜川橋、国1バイパスが通る新天竜川橋がある。
長らくどちらも歩道がなく、車がビュンビュン走るすぐ横を恐る恐る歩く状態だったらしいが、幸いなことに、最近、新天竜川橋の方に歩道橋ができたらしい。
NHKの「街道てくてく旅」の影響もあるだろうし、昨今の健康ブームで、ハイカーも増えた。
今更の感もあるけれど、地元としても、看過できないところだったのか?
そもそも一般道として敷設する際に、歩行者を想定しないこと自体、問題だったと思うけど・・・。

コスモタイガーは当然、新天竜川橋の歩道を走って渡る(安全第一です!)。
ここで行政区域が浜松市から磐田市へと変わる。

長森の交差点に出て右折。
しばらくして左折して、再び東海道に復帰。
あとはそのまま走ると、県道261号線に合流する。

あとはこの道をひたすら走る。
単調ながら、途中、宮之一色一里塚があり、良い目印になる。

やがて道が2手になるけど、県道が左へ分岐、東海道はそのまま直進する狭い道が正解。
右手やや奥にJR磐田駅が見える。
まだゴールするにはちょっと物足りない。

東海道はここを左折する。
ここでちょっとだけ寄り道。
1本西側の道に入ると「西願寺」。
旧中泉御殿跡と看板が立っている。
要するに、徳川家康が浜松城主だったころの別荘だったということらしい。
元々は磐田駅南にあったが、この地に移築されたとか。

東海道に戻ってすぐ、左側に遠江国分寺跡。
江戸よりさらに昔、奈良時代にはこの辺りが遠江国の中心だったってことやね。
ちなみに遠江、略して遠州とも云うけれど、元々は「遠つ海」(とおつうみ)と称し、それが「とおとうみ」に転訛したと云われている。
奈良(または京)の都から遠い海(湖)、つまり浜名湖を指しているわけ。

じゃ、近い海って何だよ!って話だけど、そりゃもちろん、琵琶湖のこと。
都から近い方の湖、だから滋賀県を近江と云ったわけだ。

いにしえより、琵琶湖も浜名湖も日本を代表する湖として、人々に愛されてきた証拠だね。

「西坂町」のバス停が現れたら右折するのが東海道。
ここは追分になっていて、左折が愛知県の御油宿まで行く姫街道で、ちょっと様子見で走ってみる。
その名も「西坂」なる坂を駆け上ってすぐ、兜塚公園があり、そこには陸上競技場もある。
姫街道はこの先にも続き、そそられるけど、キリないからなぁ。
ただいずれ機会あればぜひ!とは思う。

西坂町交差点に戻り、そのまま直進。
この辺りからが、見付宿の中心なわけね。

左側に何やら洋風の建物が見えてくる。
旧見付学校だ。
明治8年建築の木造小学校で、現在は資料館として保存されている。(写真上)

ここを見学することにし、本日のゴールとする。
資料館の中は、当時の教育関連の資料も多く、当時の学校風景を偲ばせ、なかなか楽しく、予想外に長居してしまった。

今日は意外に寄り道もしてるしね~。
実走距離15kmぐらいか?

ここからJR磐田駅までは、歩けない距離ではないけれど、少々お疲れだし、何よりいつもの習性?で、敢えてバスに乗りたい。
とはいえ、見付学校前からは本数も少ないため、先ほど通ってきた東海道を1区間戻り、「西坂町」のバス停まで歩くと本数は一気に増え、便利だ。
(休日の日中なら、1時間に4~5本程度)
前回同様、またまた遠鉄バスにお世話になり、磐田駅にて一休み後、帰宅したコスモタイガーであった。


※2014.7.9追記 
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コスモタイガー漂走記~旧美濃路編(2)

2012-07-05 | 旧美濃路run!!

再び三菱東京UFJ銀行(名古屋営業部)の前に立つ金欠コスモタイガー。
ここまで走ってきた道は、現代では「本町通」と呼ばれていて、この辺りから美濃路最初の宿場、名古屋宿の中心を突き抜けることになる。

そのまま北上した、伝馬町通本町の交差点近くに旧高札場跡(交差点を札の辻と云った)があり、その案内板もある。
新聞もインターネットもなかった時代、ここでお上のお触れや連絡事項が掲げられ、庶民はそれを情報源として生活いたというわけだ。
ここは追分になっていて、右折するのが飯田街道だけど、美濃路は左折する。

国19(伏見通)を横断し、伝馬橋で堀川を渡ってすぐ右折。
堀川沿いに北上するんだけど、実は1本西の道筋が「四間道(しけみち)」と云って、歴史ある町並みが保存されている。
心は動くけれど、美濃路にこだわるコスモタイガーは、殺風景な堀川沿いを走るのであった。

国道22号を横断し、歯科医院が見えたら左折。
右に名古屋城が見え、ランナーのメッカ、名城公園も近いけど、コスモタイガーは目もくれず、西へと遠ざかっていく。
しばらくは道なりに走るだけなんだけど、左側にこれまた目立たぬように、江川一里塚跡の碑が立っていた。

枇杷島地区は年季の入った家並みが残っていて、歴史を感じさせる。
屋根神様が多いのも特徴だね。

右側に清音寺。
平清盛により、尾張に追放された、太政大臣藤原師長(ふじわらのもろなが)ゆかりのお寺だね。
ちなみに師長が住んでいたのが、井戸田村。(現瑞穂区井戸田町)
師長にまつわる史跡や地名も名古屋市内には案外残っている。
師長は琵琶の名手だったため、その音色を妙音と称えられたため、出家してからも自らを妙音院と称した。
瑞穂区の妙音通の由来になっているし、同じく瑞穂区には師長町という町名も残っている。(瑞穂陸上競技場のすぐ裏辺り)

庄内川の堤防に突き当たって、この道は途絶えちゃうけど、かつてはきっと直進して川を渡ってたんだろうね。
仕方なく、現代の枇杷島橋で庄内川を越えると、清須市に入る。(写真上)
ここはちょっとややこしいが、橋を越えてすぐの信号を渡って、左に降りていく感じになる。

ここから先は静かな雰囲気の町並みが続き、案内板も整備されている。
問屋記念館(入館無料)に到着。
「とんや」じゃなくて、「といや」ね。
簡単に云えば、主に馬や荷物などを取り次いだところやね。
江戸時代の問屋場が再現されている。
見学を兼ねて、ここをゴールとする。

枇杷島橋で迷ったりしてるから、実走距離は10~11kmぐらいかな?
ちょっと短めだけど、近いせいか、東海道のような緊張感?もないしね。
幸い、名鉄名古屋本線二ツ杁駅まで徒歩5分ほど。

美濃路はこの先、しばらくは名鉄名古屋本線が寄り添ってくれるから、便利なんだけどね。
逆にそれが物足りないぐらいだ。


※2014.6.27追記 地図、作成しました。(ここをクリック
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