出先から帰宅したのが、14:20.
麦茶を一口飲んで、すぐに台所に立ちました。
明日の朝の下ごしらえとか、夕食の準備の一部とか・・・。
暑さで参っていますし、最近、だんだん手も遅くなりました。
気付くと16:30.
暑さと蚊対策の防備をして、水やりに・・・。
雀への給餌も終え、17:20、再び台所に・・・。
遅くなったので焦っていました。
気ばかり焦って、おろおろとしました。
あれもしなければ、これもしなければ・・・。
そのうち、勤めている家族が帰宅。 ますます焦りました。
まだ、お漬物も切っていませんし、メーン・ディッシュの生姜焼きにも手をつけていません。
私の焦りは、頂点に!!
夕食は18時! と、言い渡されている時間より30分以上も遅れてしまいました。
恐る恐る用意が出来たことを告げた私に、遅すぎる! と家族の一人。
思わず、かっとしました。
18時にちゃんと支度が出来ていても、必ず全員がテーブルに着いたでしょうか。
自分が遊びに出かけたり好きな時間に帰宅しても、夕食が出来ているのは当然と思い、
ちゃんと夕食が用意されているということに、慣れ過ぎているのではないでしょうか。
自分が何時に帰ろうが、夕飯は当然、好条件の下で提供されるのが当たり前と信じている輩。
早く夕飯にしろと思いながら、ただ、のんびりとTVとお酒で自分の時間を過ごしている人に、
私の精神的、肉体的の辛さがわかるでしょうか。
私が出かけて疲れて帰宅した折り、夕食が準備されていたことがあったでしょうか。
遊びに出かけても、用事で出かけても、帰宅後、私が台所に立たないで済む事があったでしょうか。
自分の為の外出には、常に罪悪感・・・とは大袈裟ですが、負い目を感じます。
家の事を放り出して、申し訳ありません・・・という・・・
でも、何故、そんな負い目を私が感じなければいけないのでしょう。
私だけが・・・!!!
家族は、なにも感じていないのです。
私の留守中、ただ、のんびりと鬼の居ぬ間の洗濯。ビールを飲んで、お酒を飲んで・・・。
夕飯の心配なんて、なんにもしないでいいのですから・・・。
つくづく主婦業に空しさを感じました。
もちろん、自分でそれなりに、小さな喜びをみつけてはいますけれど、
それ以上に日常の、終わりのない、こまごまとした報いなき家事。
出口のない思いです。
来世、男に生まれたいとは思いませんけれど、
定年のある、サラリーマンが羨ましいと、心底、思います。
宝塚歌劇のシンボル的存在だった、春日野八千代さんが亡くなりました。
よっちゃんの愛称で親しまれ、その端正な風貌から「白薔薇のプリンス」とも呼ばれました。
泳がない、水に入らないと言われているコアラが、泳いだというニュース。
水に落ちて、必死だったとか。
たしか、シンガポールでのお話。