夢中人

sura@cosmic_a

人間失格

2017年01月17日 | Weblog
「自意識」って、プライドやポリシーと類義語なのかなと感じます。

太宰 治「人間失格」を読みました。
この本のタイトルは、当たり前に知っていましたが、今回、初めて読みました。
斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス 外七篇 (文春文庫)
クリエーター情報なし
文藝春秋

「初めて読んでみての感想は、「ウケる」でした。ウケまくりました。おもしろい。
前半では、なんだか源氏物語を読んでいるような気分で、光源氏の心理でも書いているのだろうかと思いました。
後半では、もう、ボロボロ。くるところまできてしまったなぁ。。。という感じでしょうか。

この「人間失格」の主人公ですが、自意識が無いのか、もしくは、自意識が高すぎて、自意識が無いふりをしているのかとも思います。
それこそ、子供のころからそんな感じだったようで、反抗期なんて存在してないような人ですよね。というか、ずっと内面的には反抗しているのだけれど、外見には出せないというか、とにかく、流れのままというか、逆らわない感じでしょうか。

この「人間失格」ですが、大変気に入りました。喜劇と悲劇の融合。

自分は、どちらかというと華やかな舞台が好きかなというところもあるのですが、この「人間失格」の舞台は、どちらかというと華やかではない感じなのですが、それに相反しての華やかなと言っていいのか、そんな文章が引き付けてやまない感じなのです。
なんというか、筆運びという言葉が浮かんでくるのですが、あと接続詞ですか、その使い方がなんというか、お洒落というのは軽すぎるというか、感性というかセンス感じます。

この本自体は、古本屋で買ったものを、ずっと積読していたもので、本の中の字も昔の小さい字で、それぞれのページの紙も、すでにセピア色になっていて、決して自分が読める環境ではないにもかかわらず、すんなりと読んでしまったという、引き付けてやまない魅力といいましょうか、その文章というか文体に、すっかり惹かれてしまいました。

お話しの中で、絵のお話しがでてくるのですが、絵の解説している場面でもそうなのですが、ムンクと重なる所もありました。
芸術家は、99%の狂気を1%の正気(かな)でみると聞きますが、そんなのを感じます。
お話し的には、太宰さんの人生に近い所もあるみたいなのですが、なんていうのでしょう、こぅ、身を持って世の中に問いかけようとされていたのでしょうか。
文学というのは、ある意味、宗教的でもあるみたいで、この「人間失格」は(旧約)聖書に載っていてもよさそうな感じも受けました。

この「人間失格」は、これから先、繰り返し読んでいくと思います。他の太宰 治さんの作品も読んでみたと思います。

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系図

2017年01月16日 | Weblog
時代の中で育ってきたか、育ててもらったのか、親が子を育てるように、時代に育ててもらっているのかもしれない。

時代が親として、その同じ屋根の下に暮らしているとしたら、他の時代は、親戚みたいなものかな。

国の家系図なるものがありそうですよね。

弥生時代か、そのあたりの時代と中国文化とが掛け合わさって飛鳥時代が生まれ、ずっといくと明治時代とヨーロッパ文化が掛け合わさって、大正や昭和初期時代が生まれ、昭和初期とアメリカ文化が掛け合わさって、今の時代が生まれているという感じでしょうか。

これからすると、文化というのは、お嫁にいくのか、お婿にいくのかどちらかで、家から出ていくといっていいのか、そんな性質のものなのかもですね。

さらに、お嫁に来ていただいた文化の実家は親戚関係なのですね。

これからすると、日本文化も、どこかの時代で、お嫁に行っているのかもしれませんが、特に今、多くの国に行こうとしていると聞きます。

そこで、その国のどんな環境が生まれてくるのでしょうか。

日本国平成時代、その相手に選ばれているのが、どうやら遠い親戚(いや、近い親戚かな?)の幕末のような気がするのは気のせいでしょうか。

言葉を変えると、近代の終わりと始まり。

ここから、どんな子が生まれてくるのでしょうか。

しかし、そもそも、自国の別の時代との融合って歴史の中であるのだろうか。
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身の丈

2017年01月15日 | Weblog


人間の本来の姿はどこにあるのだろうか。

とうか、いままでの人間の歴史の中で、いつの時代が本来の人間らしい姿をしていたのだろうかとぼんやり考えていた。

それは、自分の中で「今でしょう」となった。

人間というのは、時代背景とか環境によって出来上がっていくのだろうし、だから「今」が時代に対して人間として生きていこうとしているのだと思う。

人間は、慣れる生き物というか、環境に順応していくのであって、自分が他の時代にタイムスリップしたとしても、なんとか生きていこうとするとは思うのですが、それは、おそらく100年くらいのスパンではないでしょうか。

環境設定もいろいろあるかと思いますが、江戸時代や、明治初期とかの市井の中では、おそらくですが、やっていけないのではないかと思われます。
大正や、昭和初期だったら、もしかしたら、なんとかやっていけるかもしれません。
大正や昭和初期となったら、近代となるから、今から見てほかの時代とは言えないですね。

「人間の本来の姿」というよりも、たまに耳にする「身の丈」なのでしょうか。
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Peace

2017年01月01日 | Weblog
新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

2016年のクリスマスに、イギリスのキャメロン元首相が
「Happy and Peaceful Christmas」というツイートされていた。
すごく響く言葉で、辞書をいろいろ見ていたら
「On earth peace and good will toward men.地には平和を、人に対しては善意を」というのがあった。
この言葉は、聖書からの言葉で、クリスマスに関してよくもちられるとあった。
「人に対しては善意を」というところは、徳積み的な所で、それはHappyかなと思う所で、
「Happy and Peaceful Christmas」と同じ意味かなと思った。

「On earth peace and good will toward men.地には平和を、人に対しては善意を」
この言葉の前後に言葉があると思う。
何が書いてあるのだろう。
一応、聖書は持っているが、この言葉がどこに書いてあるのかわからない。
聖書の言葉の引き方とか。。。ないですよね。
深い信者の方々は、だいたい暗記されているというし。

peaceを辞書で引いてみると、平和と最初にありましたが、治安、秩序ともありました。
治安・・・警察、軍隊などの強制力によって反乱や暴動などの社会混乱を鎮圧し、さらに殺人、強盗、放火などの犯罪を取り締まることによって国家社会の安寧秩序を保つこと。治安は社会生活上欠くことのできない重要な国家機能の一つである。

国家機能ですか。
それは、インフラに入るのでしょうか。
下部構造。
下部構造が上部構造を決める。





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姿

2016年09月15日 | Weblog
佐藤優さんの「国家論」を読んでいる。
以前にも手に取って読んではみたものの、その時は、読み進めることが出来なかったが、今回は、所々を掴みながら、なんとか読み進めている。
国家論―日本社会をどう強化するか (NHKブックス)
佐藤 優
日本放送出版協会

読み進めていると、「本来の姿を失ってしまった人間を解放するための革命」という文章があった。
人間の本来の姿。。。?どんなのが人間の本来の姿なのだろう。
例えば、以前、テレビで見た、現代において文明社会とまったく関わりをもたない中南米に存在する「イゾラド」とかなのか?
最初、イゾラドの映像を見た時は、やらせなのか?とも思ったが、どうやら本当らしい。
以前は、彼らの存在確認はできていたが、接触することは無く、最近では、食料不足らしく、近隣の村付近にその姿を現しているとか。
現代において何故あのライフスタイルでいられるのか?どこの国や地域でも、元の元々はイゾラドのようなライフスタイルだったのかもしれないが、今は違う。
なぜイゾラドのライフスタイルは変わらないのか?ありえるのかそんなこと??と思ったけど、ありえるらしい。
ていうか、変化する必要がなかったのだろうなぁ。外界と接触する事がなかったというからかもしれないが、それにしてもって感じですよ。
人間本来の興味というか、「知りたい」という欲はなかったのでしょうか。
イゾラドだって自分達とは何か違う部族というか、人間がいるとはわかっていたと思うのですよね。そこをよくすり抜けてこれたなと感心の方が強い。
最近では、森林伐採によって住む所や食べ物が無くなってきているということで、近隣の村付近に表れて、食べ物をくれと言うだけで、物々交換の意識さえまだない様子だった。
また、村にお金をかけて宿泊施設をつくったのに、イゾラドが凶暴な事件を起こしてしまったがために、お客さんが来なくなって困っていると言っていた。
イゾラドを取材というか、カメラで撮るのに、小舟に乗って接触されていたのですが、その取材する人や着ている服、カメラなどにイゾラド達は興味を持っていました。
とくに子供と女性は興味がありそうな感じだった。それは自然の事だと思った。だから少し安心しました。
イゾラドが文明の中で生活している人と接触すると、感染するのか、一族がなくなってしまう事があるみたいですね。
「消えゆく部族」とか聞くとなにかこう、悲しい感じもしますが、いざ、文明社会とかかわりのない人々がいると聞くと驚きます。
イゾラドが、本来の人間の姿かといわれると。。。違うのではないかと思われます。
人間の本来の姿。どこにあるのだろう。
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潜在能力

2016年09月06日 | Weblog
国際通貨基金(IMF)のラガルド専務理事のインタビューを逆から読んでみたくなったので逆から読んでみたw

現在、すべての国、政府が取り組むべき課題は、財・サービス・資本・ヒトの自由な移動を妨げる障害での圧迫を減らし、潜在成長率の向上に向かうことである。
貿易や技術革新から打撃を受けた人々に対しては、国・地域の政策での支援が必要。

各国首脳に要請するのは、貿易、グローバル化の正当性の裏付けと、需要押し上げや格差解消に向けた対策。

英国の欧州連合(EU)離脱(ブレグジット)決定後、英国民の富はポンド急落により減少しており、消費者や企業の信頼感指標も弱いと指摘した。
グレグジットによる本格的な影響は、英国とEUの通商関係の将来像がより明らかになる2017年まではわからないだろうとしたが、IMFは7月英国EU離脱決定を受けた不透明性の増大を理由に、2016年の世界経済成長率を3.1%に、2017年を3.4%にそれぞれ引き下げた。
10月初旬の世界経済見通しが下方修正となれば、過去およそ1年半で6回連続の引き下げとなる。

英国のEU離脱決定後も想定されていたような大きな危機は生じておらず、中国経済の移行もかなり進展しており、商品(コモディティ)相場も多少持ち直していると言うかもしれないが、これは表面上のことに過ぎないと指摘し、
2016年の世界経済成長見通しを下方修正するのは、「潜在成長力や生産性などに注目すると、望ましいシグナルは見られない」としているため。

2016年の世界経済予想を再び引き下げる公算が大きいとなっているのは、重要の弱含みや貿易・投資の低迷、格差拡大などが「景気」の足かせになっているとしているため。
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社会

2016年09月01日 | Weblog
「社会って何かなと考えてみた。

行動や意識ってことかな。そこにあるモラルというか、常識的なものか。。。」

と、前の記事で書いたが、社会を支えているものは何かなとなった。

それは「気」かなと。つまり経済。

だから、国家の事について書いてある本棚の同じ枠内に、

マルクスの資本論の事について書いてある本があったのはそういうことなのかと思った。

資本主義になって、それまでの農業生産より生産性の高い社会になった?事により、

経済の層?。。。幅?が大きくなり、国家の力が増したということか?

資本主義が強い国家をつくったってことか。


ふと思ったのですが、フランス革命はなんだったのかと思ったワケです。

社会の経済がうまく回っていなかった。

で、それが怒りとして国家にむけられたということか。

てことは、社会の安定は、国家の安定。

ということは、国家と社会は別だけれども、切り離せないということか。
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国境

2016年09月01日 | Weblog
国境を考えていた。

フッとした時に国境を考えていて、

そしたら、国境は単に「国境」というものだけでは考えられないものではないかと思ってきた。

なにかこぅ、いろんな要素があっての「なぜ国境を守るのか」があるように感じる。

たしかに海洋資源などもあるとは思うのだが、それだけではないのではないか。。。

国境だけで考えていても、なにかこぅ、話が進まないというか、なにかこぅ、足踏み状態な感じ。

そんな感じで国境を考えていたら、最近ちらつく文字があるなと気付く。

それは「国家」。

国家。国家ですか。。。

国家と書いてある本を読むと(全部は読んでないが)共同体とかネイションとかの文字が出てくる。

あと、「国家と社会」という言葉もでてくる。

「国家と社会は別。でも、切り離せない。」

社会って何かなと考えてみた。

行動や意識ってことかな。そこにあるモラルというか、常識的なものか。。。

社会が国境を守るということもありなのかな?でも、それは、直接ではなく、なんらかの形かな。

最終的には国家が国境を守るのだろうなぁ。。。

「国家と社会」からの「なぜ国境も守るのか」に繋がっていき、そこからさらに何かに繋がっていくのかな。

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武器

2016年06月15日 | Weblog
戦いに勝つためには、頭を使うというか、

経験とか知恵とか気合とかが必要なのかなと思うのですが、

核兵器を作り出すのに頭は必要なのかなと思うのですが、

あれを飛ばすのには頭は使わないのかな?は、どうかはわからないのですが、

これまでの戦いが、今の電化製品や医療機器など多方面に影響を与えているということで、

考えて考え抜いたものというのは、何かしら残したいとう気持?

もしかしたら本能?が働くのかもしれませんが、

核兵器を飛ばすことで、後世に残るものってあるのかな?と思うのです。

核兵器を維持するのに、すごいお金がかかるらしいし、

もしかしたら核兵器はなくなるのかなと思ったりもします。

銃は、

銃の前の武器は弓矢とか剣だったと思うのですが、

剣の前の武器は石?だったのかな。

新しい武器の出現が銃を無くしていくのかも?

でも今のところそんなのなさそうですよね。

なんというか、こぅ、サイバーなんちゃら的でメガネみたいなので操作、

もしくはゲームのコントローラーみたいなので操作みたいな。

市民が武器を持つ場合、 どこかで管理できればですね。

それが武器をもった人やその家族の為になればですね。 

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愛する人よ 

2016年03月11日 | Weblog
東日本大震災×愛する人よ 秋川雅史
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記憶

2016年02月17日 | Weblog
YOSHIKIMONO(ヨシキモノ)FIRST COLLECTION 欧州も狙う| Fashon Week TOKYO

ショーを観ていると、夢の中にいるような気分になりますが、こちらのYOSHIKIMONO FIRST COLLECTIONも
まさに夢の中の様です。
それと同時に、YOSHIKIさんのピアノと斬新なきもの達が、遠い遠い古の記憶を探ってるかのような気分にさせてくれるのはなぜでしょうか。
きものは、日本の民族衣装で、いろんな記憶が刻まれていて、人生の節目だったり、喜びだったり、悲しみだったり・・・そんな記憶をショーの中の斬新なきものが呼び起こしてくれそうな感じです。
なぜそんな気分になるのでしょうか。
もしかしたら、新しい形が、そのルーツを辿っていきたくなるような気持にさせてくれるのかもしれませんね。
最近では、短歌を詠むということをしているのですが、自分でも、なぜそうなっているのかがわからないんです。
YOSHIKIさんを見ていると、なんというましょうか、自然と情緒的になるというかそんな感じでしょうか。
しかもそれが日本的な形になってしまうというところが、なんとも不思議なところです。
歌を詠みふけっていたいというか、そう思ってしまう。。。なぜでしょうか。碧の君。
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YOSHIKI

2016年01月27日 | Weblog
氷原の中に穴が開いています。
多くのペンギンは穴の周りに集まり、中に魚がいないか、自分達を食べてしまうような肉食獣はいないか、海の中の様子を氷上から窺います。大抵のペンギンは命の危険を考えて無謀に飛び込んだりはしません。
そこへスタスタとやって来たのが、大胆不敵な一匹のペンギン。周囲が顔を見合わせ飛び込むことを迷っている中で、ドッボ~ンと穴の中に飛び込んでしまいます。
それでも周囲のペンギン達はまだ海中に飛び込みません。目の前で飛び込んだ「ファーストペンギン」が血だらけになって浮き上がってくるのか、それとも大量の魚を取ってくるのか様子を窺って、確実に魚が穫れるとわかった時に残りのペンギン達が一斉に飛び込むのです。
ところが、一斉に沢山のペンギン達が飛び込んでしまったが為に、魚たちは音や衝撃に驚いて四方八方に逃げてしまい、結局多くのペンギン達は獲物を得ることができませんでした。
リスクを恐れずに新しいことに挑戦する「ファーストペンギン」は、大きな危険と引き換え、多大なる利益を手にしたのです。

連続テレビ小説「あさが来た」のなかで五代さんが、あさに話していた「ファーストペンギン」のお話し。
「ファーストペンギン」とは、ペンギンの習性から生まれた言葉で、ビジネス界隈でよく用いられるとか。




去年、年末の紅白歌合戦を観た後からでしょうか、気になる方がいるんですよね。それは、X JAPANのYOSHIKIさんです。
ずっと以前からX JAPANはご活躍されていて、その存在はもちろん知っていたのですが、なにかこぅ、そう、今キテしまっているのです。なぜ今なのかわからないのですが、当時、最初の頃でしょうか、Xと言ったら、ものすごいスピードの中にいらっしゃったような気がします。そう、異次元にいらっしゃるようなそんな感じだったかなぁ。。。
すごい奇抜なファッションで、ものすごくステキなメロディーをToshiさんの美しい声で歌っていらっしゃっていて、「あ、Xって。。。」と思って、そのXのいた所へ行くのだけれど、もうすでに何もなくて、誰もいなくて、「あれ?」って感じで、こぅ、掴みきれなかった感じかなぁ。それを自分が、波長が合わないのかもしれないと解釈していたのかもしれない。
でも、今はYOSHKIさんも「Songs」で言われてましたけど、当時なかったネットがあり、年明けくらいから動画を観たり、本を読んだり、もちろんアルバムを聴いたりして、完全にキテしまったというワケです。
YOSIKIさんと言ったら、完璧に美しいというか綺麗で、それこそ近づいては悪いのではないかと思っていましたが、今回、インスタグラムを見まして、そこには、すごいカッコイイ写真が並んであったのですが、ファンの方のコメントがそれを中和してくれるというか、いい感じに引き込んでくれた感じでした。確かに、スカイツリーをバックにYOSIKIさんが写っていると、東京とわかっていても、なぜか外国に見えるし、あの鍛え上げられた肉体に傷があったのですが、確かにライオンと戦ったのかな?という感じで、まさにファンの方々との連携といいましょうか、そういうのを感じまして、まさにそれに引き込まれた次第です。そしてまた、ファンの方々がYOSHIKIさんの宝物と言っていらっしゃった。。。あぁ、私もファンになって、ついていくしかない!と思った次第です。
YOSHIKI/佳樹
小松 成美
角川グループパブリッシング

YOSHKIさんは、林 佳樹さん。
この本を読んでみると、アーティストとしてはもちろんですが、起業家というか経営者でもあるのですね。
ご自身の中の、しっかりとした軸を元に、やっていらっしゃるのだなと思いました。
特別独占インタビュー: YOSHIKI(アーティスト/プロデューサー)

こちらのお話しにも軸なるものを感じられて、すごく良いなと思いました。
もう、ついていく行く以外ない、です。
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未来記

2016年01月07日 | Weblog
新年あけましておめでとうございます今年もどうぞよろしくお願いいたします。

未来記は予言書。
海外での予言の噂は耳にしていたが、日本にもあったのだなと思った。
予言とは何だろう事態の結果があって予言とされるものなのか、それとも方向指針的なものなのかなと思ってみた。
中世日本の予言書―“未来記”を読む (岩波新書)
小峯 和明
岩波書店

未来記に関する本は少なそうで、図書館や本屋に行ってそう思った。でも、何冊かはあって、その本を除いてみたら、未来記にもいろいろな種類があるとあった。また、未来記はこう書いてあるとあって読んでみると、解釈的なのだなと思った。その本には、解説がついていたから、あぁ、そうなのだな、そんな意味なのだと思うけど、解説がなかったら、何のことが書かれてあるのかわからない感じであった。しかし、ずっとその未来記の解説を眺めていたら、諺っぽいなと思った。
いろんな諺があるけれど、あれらも、事態の結果がって、諺通りになったと言えることもあるし(無い時もある)、また、迷った時の方向指針になることもあるかと思う。そして、戒め的なものもあるかと思う。
本の中に、「下剋上」や「栄枯盛衰」「盛者必減」などの言葉が書かれてあったのですが、古代からこんなことが書かれてあるということは、人間にしてもそうだし、他の物事にしても、生きている限り上り下がりというのはあるということなのでしょうね。
この上り下がりを考えていたら、以前テレビで見たエジプトのピラミッドの中にある大回廊を蛇の動をしてエネルギーを蓄えるというのを思い出しました。
蛇というのは、通常、地面をはいつくばって波打って動くことが多いかと思うのですが、はいつくばらずに縦にというか、グラフのような動きをすることがあるみたいなのです。というか、一度そのような動きをしている蛇をみたことがあるのです。その時は、蛇ってこんな動きをするの?!と少々驚きましたが、あの動きによって前に進んでいる。ということは、多少の上がり下がりがなければ前に進めないということかなと思いました。だから「下剋上」や「栄枯盛衰」というのは、個としてみると、きついイメージがありますが、全体でみると、そこにエネルギーが生じているということなのですね。前に進んでいるということだ。ただ、おそらくですが、その運動も均等なイメージでというか、同じような間隔でということかなと思います。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人もひさしからず。たた春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

平家物語の冒頭。学校で習った時には、このフレーズを覚えるのに一生懸命だったような気がしますが、今改めて読んでみると、何かこう、そう、宇宙を感じるなぁ。なぜだろう。


諺の話に戻りますが、風習などが諺などをつくっていくとしたら、現代にも新たな諺などができてもよさそうだなと思うのですが。もしかしたら、生活の変化のリズムが早くて、そこから生まれる言葉が出てこないというか定着しないのかな。
Cargo | Finalist of Tropfest Australia 2013

このショートフィルムを観て、菩薩までの感情は抱かなくとも、どんな状況になっても子に対する深い愛情が感じられる。
「ゾンビの前に生肉、背中に赤ん坊」とか「ゾンビになっても親」なんてどうかな。
                                       イヒッ

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太平記

2015年11月26日 | Weblog
太平記を読んでみた。感想を一言でいうと、「日本の誇り」と思った。
太平記は、全40巻ということは私が読んだ太平記はダイジェスト版ということでしょうか。
太平記―南北朝動乱の人間模様を読む (ビジュアル版 日本の古典に親しむ6)
山崎 正和
世界文化社

太平記の時代は、「上は天皇が君主の徳からはずれ、下は武家どもが臣下の礼を失っており、そのため、天下は大いに乱れ、一日とて安穏な日はなかった。民は一人として長寿を許されず、安心して暮らしを立てる場所もないありさまだった。武家は諸国に守護を設置、荘園には地頭を配置して日本全国を支配したのである。」これをそのまま読んでいると、やる気がなくなってしまったが権力だけは欲しいと思われる朝廷と傲慢な感じの武家が、対立して内政が乱れているように思われるのですが、この時代、外国からの襲来があるような状況だったみたいです。
それで武家は「世を治め民を安んずる器量のある貴族一人に鎌倉に下っていただき、この方を征夷大将軍と仰いで、武家一統は家臣の礼をとることとなった。また、京都へ北条一族の者2名を派して、西国の行政を担当させ、あわせて京都の治安警護にあたらせた。さらに、九州に探題をひとり下して、九州の政治を司らせ、外敵襲来の備えを固めた。それゆえ、日本国中北条氏の命令に従わないところとてなく、海外までもその権勢にしたがわない者はなかったのである」とありました。
これからすると武家の勢力は、すざまじい勢いで日本を支配していったようなのですが、武家だけの勢力でそんなことができるものなのでしょうか。というか、武家の勢力をのばしていくのに、朝廷も協力しているような感じも見受けられると思うけど。もし、そうだとすると、この時代の戦乱の状況は、現代でいうところのリストラチックなことが原因なのかなと思いました。つまり、朝廷が行政を依頼していた方々、まぁ、貴族の方々と思うのですが、その方々が海外からの状況に応じる感じがなくて、その状況に朝廷も頭を悩ませ、日本を絶対に守るために武家に力を与えた状況なのではないのでしょうか。
その後、後醍醐天皇が島流しにあうみたいなのですが、島流しというよりは、「保護」のような感じもしますが。天皇というのは都にいるものなのですが、あきらかに居場所がわかるよりかは、島流しの状況にあるほうが安全だったのかも。というか、本当は島に行ってないのかもなぐらいの感じだったのかも。後醍醐天皇が島流しにあった時に、代わりの天皇が立ったみたいなのですが、その後、後醍醐天皇は都に戻ってきて再び政治をやるワケですよ。ということは、代わりにつかれていた天皇はどうされたのだろうかという疑問もありますが、とにかく後醍醐天皇は都に戻ってきたのです。で、年号も、代わりの天皇がつたときの年号は廃止されて、後醍醐天皇がついていた時の元の年号にもどされたのです。これは、もともと作られたシナリオだったのでしょうか。
ここにある全てが世間の目をあざむきながら、書かれてある文章も何かの目をあざむきながらの感じがするのです。
真実はどこにあるのか?この巨大な渦の中に真実はあるのか?の状況っぽいのですが、真実はただ一つ。それを守るため。

また、太平記を読んでいると、国というのは良くも悪くも外国からの影響があって、そして、それにちゃんと対応してこそ存続できるものなのですね。だから、江戸時代におこった鎖国というのは国にとってよくない事だったのだと思います。どうしてこの時に鎖国したのかなと思ったのですが、太平記の時代に朝廷が武家に力を与えたとしても、自分達の存在はゆるがされることはないだろうと思ったのではないかと思いました。しかし、江戸幕府の方々は、自分達の立場があやういと思ったのではないのかなと思いました。それを食い止めてくれたのが、吉田松陰さんをはじめ松下村塾の方々だったということでしょうか。大河ドラマ「花燃ゆ」を観ていたら、吉田松陰さんは黒船に無断で乗り込んでいるではありませんかっ!!やる?ああいうこと。いくら興味があるからってさ。。。吉田松陰さんのイメージは机に向かっているもの静かなものだったのに、ドラマを見てからは、「ぶっ飛んだ人」になりました。吉田松陰さんは、かなりぶっ飛んでいらっしゃるお方。で、その乗り込んだ船で、当たり前にとらえられるのですが、それをペリーさんは勘弁してくれたのですね。わぁ。。。懐大きい、ありがたいと思っている反面、勘弁しなかったのが日本側という、なんという小ささ(ちっちゃっ)な感じでした。。。あ、いや、これはあくまでもテレビドラマの話であって、その時の方々も必死に国を守らなければという意思の元だったと思うのですが、時代の変化というか波というか、それは避けられないのかも。特に日本国はそうなのかもです。

太平記の中に「俊基ふたたび関東へおくられる」というのがあるのですが、ここの文章が、ものすごく情緒豊かな感じで書かれてあると思うのです。美しい言葉を並べて、美しい情景が浮かんでくるようなのです。なぜかなと思って読み進めていると、俊基さんというお方は首を切られたということなのですが、その頃、怪異的な出来事が多かったということで、それらの魂を鎮めるために書かれたのかなと思いました。ある意味、お経的なものかなと。というか、お経とは、この文章に書かれてあるような意味合いがるのかなとも思いました。
あと宴もあったりで、その宴の様子は、見聞する世間の人を驚かせているらしく、きわどいファッションの若い女子達が宴に登場していたみたいです。このあたりの時代、女子は情報網となっていたみたいで、あっちの宴こっちの宴に登場して情報のやりとりをしていたと源氏物語でもありました。具体的なハニートラップの話も書かれてありました。女房という女性達もそういう役割もあったみたいで、当時の女性の一つの姿だったみたいですね。

そんな「何を信じていいのか」という状況だったのかはわかりませんが、神に問いかけている場面や、仏教や儒教、道教などの宗教というか学問が登場したりしていて、迷いつつも「生きている」当時の人々の姿。まさに、「強く、やさしく、美しい感性」を感じました。

読み物としても非常によいと思われる「太平記」ですが、一つ気になるところがありました。
それは、太平記のあちらこちらにちりばめられているという「未来記」という書物。
解説によると、聖徳太子が未来を予言して書いたとされる書物であるが、偽書という説もある謎の書物だとか。
聖徳太子が書いているにしろ、書いていないにしろとても気になります。
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BASARA

2015年11月19日 | Weblog
【公式】TSUKEMEN - BASARA PV

最近よく聴いているTSUKEMEN。ジャンルにとらわれていないような所がいいと思います。
Op.1~FRONTIER~
TSUKEMEN
キングレコード

こちらの楽曲のタイトルは「BASARA」。
楽曲の感じもすごく好きなのですが、タイトルにもひかれます。

「ばさら」
語源は、梵語(サンスクリット語)で「vajra(伐折羅、バジャラ)=金剛石(ダイヤモンド)」を意味する。平安時代には雅楽・舞楽の分野で、伝統的な奏法を打ち破る自由な演奏を婆娑羅と称するようになった。これは、「ダイヤモンドのような硬さで常識を打ち破る」というイメージが仮託されたものである。更に鎌倉時代末期以降、体制に反逆する悪党と呼ばれた人々の形式や常識から逸脱して奔放で人目を引く振る舞いや、派手な姿格好で身分の上下に遠慮せず好き勝手に振る舞う者達を指すようになり、以降この意味で定着する。

身分秩序を無視して実力主義的であり、公家や天皇といった名ばかりの時の権威を軽んじて嘲笑・反撥し、奢侈な振る舞いや粋で華美な服装を好む美意識であり、後の戦国時代における下剋上の風潮の萌芽となった。

「太平記」は「ばさら」に対して否定的な記述をしており、ばさらが原因で国が乱れると断じている。その一方で太平記が描くばさらの情報は、ばさら大名達の豪奢な生活、傍若無人な振る舞いが詳らかに描かれている。

Wikipediaでは、このようにありました。
「続・悩む力」のお話しと重なるところもあり、本の中の言葉を持ってくると「自意識」かなと思いました。
しかし、現代と違うのは、元気があるところでしょうか。おそらく元気がある。なにかこぅ、そう、ギラギラとみなぎっているような感じです。
それに対しての現代。自意識はあるものの、なにかこぅ、やる気がない感じっぽいですよね。やる気どころか生きる気力さえない場合もあり。
いつの時代も自意識というのはあるのかもしれないけど、それを向ける所が今は無いということかな。

「太平記」ってタイトルは聞いたことはあるが、ふれたことがないなぁ。。。
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