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ウォーキング De 映画サークル3月例会 トランボ

2017年03月13日 20時17分36秒 | 映画1


ウォーキング De 映画サークル3月例会 トランボ

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京都検定メモ
歴史・史跡
歴史・史跡○神社・寺院○建築・庭園・美術○芸術・文化○生活・行事○自然・観光
京都の歴史/京都の史跡
1平安京以前の京都2平安時代の京都3鎌倉時代の京都4室町時代の京都5安土桃山から江戸時代の京都6近現代の京都

平安時代の京都
延暦十三年(七九四)十月、京の地に新しい都が遷された。新都は「平安京」とされ、国名も「山背」から「山城」となった。桓武天皇による造都であり、そのわずか十年前には、奈良から長岡京に遷都されたばかりであった。
桓武天皇は清新かつ専制的な志向をもつ天皇であったから、律令政治の改新のために、思い切って長い間政治の中心地であった大和を離れたのである。これによって巨大仏教勢力など反桓武勢力を排除し、革新的政治を樹立しようとした。しかし、事はそう簡単に進まない。長岡京では遷都の翌年延暦四年(七八五)九月に、桓武天皇の忠実な幕僚といってよい藤原種継が暗殺されるという大事件が起きている。この陰謀をたくらんだとして旧勢力の代表とされる大伴氏一族のメンバーが捕えられ、さらにはこれにつらなる天皇の皇太子早良親王をはじめとするその関係官人全体が粛清の対象となっている。廃太子された早良親王は、無実を主張し、ついには幽閉先の乙訓寺で飲食をいっさい拒否する行動に出、その結果、ついに死去したといわれる。死後、桓武天皇は早良親王の亡骸を淡路島に流すという死後処刑の挙に出ている。すさまじい行動であるが、これがのち「怨霊」問題に発展する。
怨霊が崇りとなるという考え方は、すでに奈良時代にあったが、事実、長岡京では、天皇生母高野新笠、皇后乙牟漏が次々と死去し、さらには、連年のように洪水.大雨・流行病があり、これが崇りの現象として噂されるようになったのである。桓武天皇は、体制を建て直すために、再び遷都の大事業に進まざるを得なくなっていた。
長岡京から平安京への遷都事業は延暦十二年一月からはじまっていた。初代造宮大夫である藤原小黒麻呂は、新京予定地域の葛野郡に視察に入っている。いわゆる「地相」を占するためである。地相とは「四神相応之地」を意味するが、北に玄武、南に朱雀、東に青竜、西に白虎が配されている。四神には、地形状のシンボルがあり、北の玄武は大岩、南の朱雀は大池(湖)、東の青竜は大川、西の白虎は大道とされる。これは現在、北は船岡山、南は巨椋池(昭和十六年干拓)、東は鴨川、西は山陰道とされる。候補地は「吉」と出た。新都の建設がはじまったのである。
平安京は計画的に造られた都市である。藤原京の建設以来、すでに大都市を造る技術は蓄積されていた。平安京の規模はこれまでにない大規模なものであった。南北約五・二キロ、東西約四・五キロに達する。モデルとされた中国の長安城と比べると三分の一に過ぎないが、大内裏が京域の北部にあり、長安城と同様北閥型都市といわれる。この北閥型の新京は、均斉のとれた二つの「京」、つまり「左京」と「右京」よりなる。この左右両京を画するのが南北に通貫する幅員約八十五メートルに達する朱雀大路である。
左右両京は、それぞれ「東京」「西京」とも称されるが、同時に中国ハイカラ趣味から東京を「洛陽城」、西京を「長安城」とも称していた。この両京は同時に大行政区となっており、それぞれには「京職」が設置され、長官が任命されていた。さらに、この大行政区は条坊制というシステムによってブロックごとに区切られていた。このブロックごとに区切るシステムを形成するのが京域内に張りめぐらされた大路・小路である。
東西に走る大路は計十三、小路は計二十六であるが、南北に通貫する大路は計十一、小路は計二十二となっている。平安京の大路は計二十四、小路は計四十八に達する。大路には五つの規格があり、朱雀大路の八十五メートルの他に、五十メートル(二条大路)級、さらに三十六メートル級、三十メートル級、二十四メートル級があった。小路はすべて十ニメートルである。
大路、小路によって区切られた条坊制のシステムは、原則的に一条を四坊に分け、さらに一坊を四保に分け、一保を四町に分けている。したがって、一条は六十四町からなる大ブロックとなり、一坊は十六町の中ブロック、小ブロックは一保(四町)であり、ブロックの最小単位は一町(約百二十メートル四方)である。
平安京の市民(京戸)は、こうして京域に住いすることになった。その人口およそ十数万人と推定される。

歴史・史跡○神社・寺院○建築・庭園・美術○芸術・文化○生活・行事○自然・観光
京都の歴史/京都の史跡
1近世の史跡2幕末維新の史跡3近代の史跡

慶応四年(一八六八)九月、元号が明治と改元されるや、天皇の東幸が行われた。新政府の東京遷都に向けての予定の行動ではあったが、京都の人々の動揺と抵抗は激しく、それを慮って天皇はいったん帰京、翌明治二年(一八六九)に再度東幸するという手順を踏んだのである。京都の町は急激にさびれ、御所は狐狸の棲家となったが、千年の王城・京都の復興もまた迅速であった。明治二年、江戸時代の白治組織である町組を基礎として日本最初の小学校六十四校が開校。その運営資金は市民提供の基立金により設立された小学校会社が受け持った。また同五年、上京区に新英学校女紅場が開校し、その後の女子教育発展の基礎となった。一方、西陣織は江戸時代の後半に衰退の一途をたどっていたが、明治二年には西陣物産会社が京都府の肝いりで設立され、機織機のフランス式ジャカード機を導入するなどの技術革新を行った。また同二十三年には、左京区吉田で京都織物会社が操業を開始し、主に紋織・無地織・ハンカチ類の製織に従事した。その雰囲気を伝える明治建築は、今も鴨川畔に姿をとどめている。また明治初年の京都において見逃せないのが、新京極の誕生である。豊臣秀吉の都市改造によって登場した寺町通に、その門前の寺地を接収して南北五百メートルの道路を開通させ、一大歓楽街を誕生させたのである。その生みの親は京都府参事の横村正直である。彼は舎密局や女紅場・勧業場など、大胆な政策を実施に移していった。知事が北垣国道に代わった同十八年、琵琶湖の水を水路によって京都に引き、物資輸送・水力発電・農業用水等、多目的に活用する計画が実施に移された。琵琶湖疏水である。この電力によって京都の市街地に、日本最初の市街電車(京電)が走った。

神社・寺院
○歴史・史跡○神社・寺院○建築・庭園・美術○芸術・文化○生活・行事○自然・観光
京都の神社/京都の寺院
1京都の古社―京都の主な神社
北区/上京区/左京区/中京区/東山区/山科区/下京区/右京区/西京区/伏見区/京都市外
下御霊神社/錦天満宮/白山神社

下御霊神社(中京区寺町通丸太町下ル下御霊前町)
祭神は早良親王以下の八所御霊。相殿に霊元天皇。貞観五年(八六三)の神泉苑御霊会の祭神を下出雲路の地に祀った後、天正十八年(一五九〇)に豊臣秀吉が現在地に移転した。

○歴史・史跡○神社・寺院○建築・庭園・美術○芸術・文化○生活・行事○自然・観光
京都の神社/京都の寺院
1京都の古社―京都の主な神社
北区/上京区/左京区/中京区/東山区/山科区/下京区/右京区/西京区/伏見区/京都市外
首途八幡宮/上御霊神社/北野天満宮/伴氏社/護王神社/出世稲荷神社/白峯神社/清明神社/梨木神社

上御霊神社(上京区上御霊竪町)
祭神は早良親王(崇道天皇)、井上内親王、他戸親王、藤原吉子、橘逸勢勢、文屋宮田麿、吉備真備をはじめ十三柱。正しくは御霊神社。平安遷都以前よりこの地に勢力をもった出雲氏の氏寺である上出雲寺の鎮守杜であったとも伝えるが、式内大社の出雲井於神社にあてる説もある。また、桓武天皇が平安遷都の時に早良親王らの怨霊を鎮めるために創祀したともされ、その後に御霊信仰が高まるにつれて広く信仰を集めた。境内はかつて御霊杜と呼ばれ、応仁の乱の戦端が開かれたところとしても知られる。社伝によると宝暦五年(一七五五)に賢所御殿を賜わって、本殿とされたという。社前で売る唐板の煎餅には疫病除利益があるとされ、明治維新まで皇室は皇子が誕生するたびに当社へ参詣し、これを土産にしたという。


○歴史・史跡○神社・寺院○建築・庭園・美術○芸術・文化○生活・行事○自然・観光
京都の神社/京都の寺院
1天台宗2真言宗3臨済宗4曹洞宗5黄檗宗6浄土宗7浄土真宗8日蓮宗9その他の宗派
左京区/中京区/東山区/山科区/右京区/西京区/京都市外
革堂/六角堂

革堂(中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町)
山号は霊ユウ山。正しくは行願寺。本尊は千手観音。洛陽七観音の一つ。開山の行円が山中で鹿を射止め、その腹の中に生きた小鹿を見て後悔した。その皮を衣にして鹿を憐れみ、念仏を唱えたとされる。寛弘元年(一〇〇四)に京に上り、賀茂の神木で千手観音像を造り、当寺に祀った。行円は皮の衣を常に着たため、皮聖と呼ばれ、革堂の名もこれに由来する。町堂となって、民衆の集会の場となった。西国三十三所観音霊場の第十九番札所(唯一の尼寺札所)。都七福神まいりの一つ(寿老神)。

○歴史・史跡○神社・寺院○建築・庭園・美術○芸術・文化○生活・行事○自然・観光
京都の神社/京都の寺院
1天台宗2真言宗3臨済宗4曹洞宗5黄檗宗6浄土宗7浄土真宗8日蓮宗9その他の宗派
北区/上京区/左京区/中京区/東山区/右京区/西京区/京都市外
誓願寺/矢田寺

誓願寺(中京区新京極通三条下ル桜之町)
浄土宗西山深草派の総本山。本尊は阿弥陀如来。天智天皇の勅願所として奈良に建立されたが、のちに上京区元誓願寺通小川の地に移転。現在地へは天正年間に移った。当初は三論宗であり、のち浄土宗に改宗、その後西山深草派の本寺となる。笑い話集『醒睡笑』を著わした安楽庵策伝は同寺の五十五世。門前に有名な石造の「迷子道しるべ」(月下氷人石)があり、墓地には安楽庵策伝や医師山脇東洋などの墓がある。洛陽六阿弥陀巡りの一つ。

矢田寺(中京区寺町通三条上ル)
西山浄土宗の寺院。山号は金剛山。本尊は地蔵菩薩。矢田地蔵の名で知られる。奈良矢田山金剛山寺(矢田寺)の別院として、延暦十五年(七九六)に創建されたと伝える。本尊はかつての六地蔵の一つ。開山の満慶が地獄で出会った地蔵の姿を彫らせたと伝え、地獄で人々を救うということから代受苦地蔵とも呼ばれる。重要文化財の「矢田地蔵縁起」などを所蔵。有名な送り鐘(八月十六日)は、お盆の精霊を送るために撞く鐘。東山区の珍皇寺の迎え鐘に対する呼び名。

○歴史・史跡○神社・寺院○建築・庭園・美術○芸術・文化○生活・行事○自然・観光
京都の神社/京都の寺院
1天台宗2真言宗3臨済宗4曹洞宗5黄檗宗6浄土宗7浄土真宗8日蓮宗9その他の宗派
北区/上京区/左京区/中京区/右京区/伏見区
本能寺/

本能寺(中京区寺町通御池下ル下本能寺前町)
法華宗(本門流一の本山。本尊は十界大曼茶羅。開山の日隆が応永二十二年(一四一五)に油小路高辻に創建した本応寺が前身。天文法華の乱での火災後、中興。天正十年(一五八二)に明智光秀が織田信長を白刃に追いやった本能寺の変で再び焼失したが、同二十年には豊臣秀吉の転地命令で現在地に移転。その後も火災にあい、現在の堂舎は昭和三年(一九二八)の建立。
なお、寺中の高俊院の日甫(大住院以信)は華道本能寺の始祖。境内には、織田信長の供養塔をはじめ、文人画家の浦上玉堂・春琴父子の墓もある。国宝の伝藤原行成筆の書巻は「本能寺切」と呼ばれ、鳳風文の雲母刷りのある四枚の唐紙に小野篁・菅原道真・紀長谷雄の文書を行成が記したとされる。


映画タイムス





映画タイムスより・・・。
最後が切れていますなぁ


赤狩りの事実は知っていたが・・・。
知らないこといっぱい
何の知識もなく映画を観てしまった
ローマの休日とかカーク・ダグラス、ジョン・ウェイン

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