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はじめての大徳寺を歩く 大徳寺~今宮神社

2017年03月06日 23時06分44秒 | 気ままにウォーキング



はじめての大徳寺を歩く 大徳寺~今宮神社

軌跡はヤマレコにアップロードします 


お友達から大徳寺へ行こう
大徳寺
今まで中に入ったことがない
どうせ行くのだったらちょびっと予習しとかなければ!

京都検定にもよく出題されるのだが・・・。
今京都検定の第一回の問題を解いている。
その中に
H16.3Q.021~025
大徳寺は、鎌倉時代末期に、【21】が、創建。建武の新政を断行した【22】の帰依を受け、京都五山の上に格付けされて保護されたが、室町時代になると、幕府の保護を辞して、在野の寺院となった。一時荒廃したが、一休宗純が、堺の豪商【23】の援助で復興。さらに、安土桃山時代には、【24】が、織田信長の葬儀を大徳寺で行い、菩提寺として塔頭【25】を建立した事から、これに習う諸大名の塔頭建立が相次いだ。
【21】
(ア)臨済義玄(イ)雪舟等楊(ウ)明庵栄西(エ)宗峰妙超
【22】
(ア)後醍醐天皇(イ)後鳥羽天皇(ウ)光厳天皇(エ)醍醐天皇
【23】
(ア)三井高利(イ)沢庵宗彭(ウ)尾和宗臨(エ)尾形宗謙
【24】
(ア)豊臣秀吉(イ)後陽成天皇(ウ)柴田勝家(エ)徳川家康
【25】
(ア)龍源寺(イ)黄梅院(ウ)大仙院(エ)総見院

さっぱり(^_^;)
これって3級の問題?

そもそも大徳寺って何宗(^_^;)
どこにあるかはわかる
しかし入ったことがない。

京都検定のテキストを見る。
どこに載っている?

テキストの目次は
○歴史・史跡○神社・寺院○建築・庭園・美術○芸術・文化○生活・行事○自然・観光
京都の神社/京都の寺院
1天台宗2真言宗3臨済宗4曹洞宗5黄檗宗6浄土宗7浄土真宗8日蓮宗9その他の宗派
北区/上京区/左京区/東山区/右京区/西京区/京都市外
金閣寺/正伝寺/大徳寺/黄梅院/高桐院/孤篷庵/聚光院/真珠庵/大仙院/芳春院/龍源院/龍光院/等持院

そもそも臨済宗とは?
臨済宗
インドの菩提達磨が中国に伝えた禅宗のうち、晩唐の臨済義玄を宗祖とする一派。坐禅の実践と悟りの体験によって仏陀の悟りにいたることを宗旨とする。日本には鎌倉初期に二度の入宋を果たした栄西が伝えた。室町・南北朝時代以降、朝廷、幕府の庇護もあって京・鎌倉の五山十刹を中心に栄え、江戸時代に白隠が出て中興とされる。京都には南禅寺、東福寺、天龍寺、相国寺、建仁寺、万寿寺の旧五山のほか大徳寺、妙心寺などの名刹がある。

大徳寺(北区紫野大徳寺町)
臨済宗大徳寺派の大本山。山号は龍宝山。本尊は釈迦如来。大燈国師(宗峰妙超)が赤松則村の帰依を得て紫野の地に小庵を建立して「大徳」と名付けたのに由来。創建は正和四年(一三一五)と伝える。建武元年(一三三四)後醍醐天皇により「本朝無双の禅苑」として京都五山の上に置かれ、寺域も拡大した。しかし、当寺と対立する夢窓疎石に帰依した足利尊氏が政権を執ると急速に衰退、寺格も五山の下の十刹に置かれた。永享三年(一四三一)自ら五山を脱し、「林下」と呼ばれる在野の禅院として独自の宗風を築いた。一時荒廃したが、堺の豪商尾和宗臨の援助で復興、さらに連歌師宗長の支援も受け再興した。この頃一休宗純の真珠派、陽峰宗韶の龍泉派、束漢宗牧の南派、古嶽宗亘の北派の四派が生まれた。天正十年(一五八二)豊臣秀吉が織田信長の葬儀を盛大に挙行し、その菩提寺として総見院を建立、以後武将による塔頭建立が相次いだ。千利休の帰依を受けて以来、茶道との関わりが深く、千家の菩提寺である聚光院をはじめ、ほとんどの塔頭に茶室があり、俗に「大徳寺の茶面しと称される。
本坊は勅使門から山門(三門)、仏殿、法堂と南北に一直線上に並び、後方に庫裏、束に方丈が配される禅宗寺院の典型的な伽藍配置を示している。唐門は桃山時代の建築で国宝。玄関および方丈も国宝指定を受け、勅使門は内裏の門が下賜されたもの。天正十七年(一五八九)に上層が完成した山門は金毛閣と通称される。いずれも重要文化財。以上のほか寝堂・浴室・経蔵・庫裏・廊下・待真寮が重要文化財。本坊方丈の南の庭園は、東南の隅に賀茂川の黒大石と紀州の青大石を並べ立て滝口とし、その下に平石を置いて渓流をかたどったもので、東の庭園は細長い枯山水の庭。方丈庭園は国の史跡および特別名勝に指定されている。この他、本坊の「観音猿鶴図」は牧籍の代表作として国宝に指定されている。

塔頭も勉強しなくては(^_^;)
黄梅院/高桐院/孤篷庵/聚光院/真珠庵/大仙院/芳春院/龍源院/龍光院

黄梅院(北区紫野大徳寺町)
大徳寺の塔頭。永禄五年(一五六二)創立の春林宗傲の庵室に始まる。天正十五年(一五八七)から十七年にかけて本堂や庫裏を新造し、小早川隆景を檀越に、春林を開祖として黄梅院と改称した。武野紹鴎好みとされる茶室昨夢軒がある。庫裏は大徳寺山内に現存する庫裏の中で最も古い。大書院南側の枯山水庭は、鯰型をした細長い枯池のほぼ中央に石橋が架かり、かつては水を引いていたという説もある。石橋を渡った対岸の左手に据えられた巨石が、起伏の少ない庭景を引き締めている。客殿の襖絵である「竹林七賢図」は雲谷派の祖である雲谷等顔の代表作とされ、重要文化財に指定されている。

高桐院(北区紫野大徳寺町)
大徳寺の塔頭。細川三斎が父幽斎の菩提所として慶長六年(一六〇一)に創建。開祖は幽斎の弟の玉甫紹琮。茶室松向軒は三斎好みと伝える二畳台目の席。書院意北軒は千利休邸からの移築と伝える。庭園は、カエデ一色で自然のままの林となる本堂南庭と、飛石本位で深山幽谷の趣きをもつ西庭とからなり、西庭には「袈裟型の手水鉢」が据えられている。墓地には三斎の三回忌に殉死した興津弥五右衛門、歌舞伎の創始者とされる出雲の阿国らの墓がある。三斎の墓塔は、もとは利休の燈籠であったが、豊臣秀吉に望まれたために、利休はわざと笠の一部を削って断り、三斎に贈ったものという。

孤蓬庵(北区紫野大徳寺町)
大徳寺の塔頭。慶長十七年(一六一二)に小堀遠州が龍光院内に建てた子院。開祖は江月宗玩。寛永二十年(一六四三)に現在地へ移されるに際して改めて建物と庭が造られた。著名な重要文化財の茶室忘筌席と書院直入軒があり、忘筌席の庭は「露結の手水鉢」と寄燈籠を近景とし、背後の直入軒の庭を遠景として取り込んだ構成で知られる。忘筌席は庇下に中敷居を通し、吹き放ち障子になっており、一度焼失したが寛政九年(一七九七)に元の姿で再建された。他に山雲床と称する茶室もある。庭園は国の史跡および名勝に指定されている。

真珠庵(北区紫野大徳寺町)
大徳寺の塔頭。延徳三年(一四九一)に堺の豪商尾和宗臨が、一休宗純の塔所として建立した。現在の建物は江戸初期のもので、方丈、庫裏、および書院の通倦院は重要文化財。茶室庭玉軒は、雪の多い土地に暮らした金森宗和好みの茶室で、内坪と呼ばれる建物内の露地をもつのが特徴的。二畳台目の茶室は引き違い障子で内坪と仕切られ、変化のある空間を演出している。庭園は方丈の南庭と東庭、通倦院と庭玉軒前にあり、いずれも国の史跡および名勝に指定されている。大燈国師墨蹟や一休宗純墨蹟をはじめ多数の寺宝を所蔵。重要文化財の襖絵四十一面は特に著名。伝長谷川等伯筆の「蜆予・猪頭図」は白眉とされる。一休の弟子で、周文に水墨画を習ったといわれる墨漢筆「達磨図」には寛正六年(一四六五)の年紀とともに一休の画賛が添えられている。墨渓は一休の弟予とされ、周文に水墨画を習ったといわれるが、作者と制作年代が明確であるという点で重要な遺品といえる。

大仙院(北区紫野大徳寺町)
大徳寺北派の本庵。永正六年(一五〇九)に近江の六角氏の出身である古嶽宗亘が開創した。以後、大林宗套・笑嶺宗キンなど名僧を輩出した。本堂(方丈)は永正六年(一五〇九)の造営で国宝。禅寺の客殿遺構として大徳寺山内で最古。方丈南面の砂庭は大海を表わし、書院の庭園も枯山水で、東と北にわたる鉤形の狭い敷地区画に樹木・景石・白砂を配置し、密度の高い山水が表現されている。大石を立てて滝口とし、滝口下には白砂を敷いて水流とし、中央下段は渓流が大河となるさまを、白砂敷の中に舟形の石を配置することで表現した見事なもの。庭園は国の名勝に指定されており、なかでも書院庭園は国の史跡および特別名勝となっている。客殿の障屏画として名高い「四季耕作図」「花鳥図」「瀟湘八景図」はともに重要文化財。

芳春院(北区紫野大徳寺町)
大徳寺の塔頭。慶長十一二年(一六〇八)に前田利家の夫人松子(芳春院)が創建し、寛政十年(一七九八)、前田家の援助により再興した。開祖は玉室宗珀。創建時の建物としては、前田利長の極彩色の霊屋と松子の白木の霊屋が現存する。寛政十年(一七九八)再建の楼閣呑湖閣は、昭堂建築としては異色であり、金閣・銀閣・飛雲閣とならび京の四閣とも称される。庭園は元和三年(一六一七)横井等恰と小堀遠州の作と伝える。飽雲池と呼ぶ池に打月橋が架かり、客殿と呑湖閣を結ぶ。

龍源院(北区紫野大徳寺町)
大徳寺南派の本庵。文亀・永正年間(一五〇一~二一)に畠山義元・大友義長らが東渓宗牧を開祖として創建した。創建当初は霊山一枝軒と称した。本堂は永正十一年(一五一四)頃の建立で重要文化財。大徳寺山内に残る中世の客殿遺構の代表例の一つで、創建時の形態をよく伝えている。庭園は室町時代の作といい、方丈北庭の「龍吟庭」が当時のものとされる。二十八個の庭石が据えられた、東西に細長い平庭の枯山水で、中心は中央の東に向け力強く傾斜した立石。その手前には蓬拝石と称される水分石があることから枯滝石組の表現とも見られる。他に東滴壷、コ沱底などの庭がある。

龍光院(北区紫野大徳寺町)
大徳寺の塔頭。慶長十一年(一六〇六)に、黒田長政が父孝高(如水)の菩提所として創建した。同十三年に春屋宗園の隠居所となり、江月宗玩が入寺し、春屋を勧請開山とした。また有栖川宮好仁親王が江月に帰依し、有栖川家の菩提寺ともなった。国宝の茶室密庵席は小堀遠州の作と伝えられ、床、付書院、違い棚、張付壁があり、書院造の形式を備えている。密庵禅師の墨蹟を掛けるために造られたという書院床(付書院のある床)は密庵床と呼ばれる。寺宝は多く、国宝の耀変天目茶碗・密庵成傑墨蹟・竺仙梵倦墨蹟などは有名。


その後は今宮神社
いちど来たことがある。
今宮神社といえば”あぶり餅”

○歴史・史跡○神社・寺院○建築・庭園・美術○芸術・文化○生活・行事○自然・観光
京都の神社/京都の寺院
1京都の古社―京都の主な神社
北区/上京区/左京区/中京区/東山区/山科区/下京区/右京区/西京区/伏見区/京都市外
今宮神社/大田神社/上賀茂神社/建勲神社/平野神社/わら天神

今宮神社(北区紫野今宮町)
祭神は大己貴命、事代主命、奇稲田姐命。摂社の疫社に素盞嗚尊を祀る。紫野社ともいう。平安初期に疫病を祓うために京中の人々が当地に疫神を祀ったのに由来するとされ、長保三年(一〇〇一)の疫病流行の時には神殿を造営し、今宮社と呼ばれた。創祀以来。一貫して疫病退散の上頭され、やすらい祭は疫病を鎮める鎮火祭として始まった。今も門前で売られているあぶり餅は古くから祭の名物として知られ、これを食べれば疫病が祓えると伝える。やすらい祭は広隆寺の牛祭(現在は中止)・鞍馬の火祭とともに京都三大奇祭の一つである。境内には疫社・斎院(若宮杜)など多数の摂末社が建ち、西陣機業者が祀った織姫神社もある。また、手のひらで軽く三度叩いて持ち上げると大変重くなり、次に願いを込めて三度撫でて持ち上げ、軽くなれば願いがかなうという「阿呆賢さん」という不思議な石も人気を集めている。

○歴史・史跡○神社・寺院○建築・庭園・美術○芸術・文化○生活・行事○自然・観光
祭と行事/京料理/京菓子/京都のならわし/ことばと伝説/京都の地名
1京菓子の歴史2京菓子の種類と由来
●季節の行事の京菓子
亥の子餅/嘉祥菓子/かしわ餅/きつね面/行者餅/さくら餅/真盛豆/洲浜/ちご餅/粽/はなびら餅/引千切/吹き寄せ/松風/水無月/麦代餅/清浄歓喜団
●寺社・街道・関所ゆかりの菓子
あぶり餅/粟餅/鎌餅/おせき餅/唐板/狐煎餅/長五郎餅/どら焼/走井/鳩餅/法螺貝餅/やきもち/みたらし団子

あぶり餅(今宮神社参道 北区紫野今宮町)
今宮神社の門前名物。東門前参道には、向かい合わせに二軒のあぶり餅の茶店がある。北側が長保二年(一〇〇〇)創業の一和、南側が江戸時代から続く、かざりや。あぶり餅は、長さ二十センチほどの竹串に親指大にちぎった餅をさし、きな粉をつけて炭火であぶり、溶いた白味噌のたれをつけて食べる。疫病退散を祈願する神事やすらい祭(四月の第二日曜日)では、あぶり餅を食べ、無病息災を願う。


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2 コメント

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大徳寺はお任せください!w (ばるさろ)
2017-03-12 17:23:08
まぁ。。お任せくださいと言えるほどではないかもしれないけど。。。ブログでも一番記事にしているお寺じゃなかろうか。。普段から拝観できるのは大仙院、龍源院、高桐院、瑞峯院ぐらい。でも黄梅院、興臨院、総見院は毎年特別拝観やってますよ。本坊も年一回ぐらい、真珠庵も11月ごろにちょっとだけ公開してます。聚光院も1~2年に一度ぐらい。。芳春院は数年に一度、孤篷庵もあまり公開しないので、この辺が特別公開の時は行った方がいいよ!三玄院は公開してないけど、織部と三成の菩提所だから入ってみたい!真珠庵も襖絵がいいので是非! 気が向いたらうちのブログを大徳寺で検索してみて~。
そうそう。。。最後のお店は。。サカイさん??
大徳寺 (ふーちゃん)
2017-03-15 15:01:57
近くにいながら何~にも知らない(^_^;)
少しづつお勉強します。
ばるさろさんのブログ参考にさせていただきます

サカイ(^_^;)
わたしが入ったのはビブレ
はじめて入りましたがリーズナブル

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