著作権法

著作権法についてしっかり考えてみませんか。

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Jupiterその2

2007-03-12 01:33:57 | Weblog
 先日ある中華料理の店に入ったら、BGMにJupiterが流れていました。

 中国の楽器・・胡弓かなにかで旋律を謳っているもの・・・

 「そうだそうだ、著作権が切れればこういうアレンジも可能となるのだなぁ・・」と思っていました。ところが、しばらくすると、リズムも変わり、まさに平原綾香さんが歌う「Jupiter」そのものになりました。リズムや、メロディの改変の仕方からすると間違いなく「平原版」なのです。

 それを聴きながら、このBGMの音源を作った人は、どんな著作権処理をしているのだろうかと気になりました。

 ホルストの著作権は日本ではすでに切れています。

 しかし、流れているのは平原綾香さんが歌っている「Jupiter」のはずなので、平原版の作曲者の権利はあるように思えますが、その編曲者は、自分の権利をJASRACに届けて行使しているのでしょうか・・


 そういえば「青空文庫」の活動は、他人を介して聴いたところによると、公開されているデータは、商業利用も無料だとのこと・・ダイソーなどで売られている100円の文庫本のような書籍にも利用されているそうです。

 そこには特段の「創作行為」はないですし、著作権法上も何の権利もありませんから、それは当然のことでしょう。

 しかし、平原版Jupiterは、青空文庫のデータとは異なります。立派な「2次的著作物」でしょう。編曲者が権利を行使しているかどうかは、興味がありますね・・今度調べてみたいと思います。
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Jupiter

2007-02-27 01:49:59 | Weblog
平原綾香さんの、Jupiter・・CDシングルを買いました。

iPodにいれて通勤途上に聴いています。

ホルストの「The Planets」も同様に聴いていますが、

どちらの作品も、私はすばらしいと感じました。


ホルストは生前、「The Planets」について、一部のみ演奏したり、

編曲することについて、厳格に制限していたようです。

しかし、その死後、日本の冨田勲さんのシンセサイザーによる編曲を認め、

若干基準はゆるくなったといいます。

そして、日本において保護期間が切れ、

平原綾香さんの「Jupiter」が登場したのでした。


「Jupiter」には、原曲にないメロディも入っていますし、

部分的にメロディも改変されています。

詳しく分析はしていませんが、私が聴く限りでは、

コード進行も改変されているような気がします。


ホルストの権利が残っていれば、翻案権と同一性保持権が問題となったでしょう。

もちろん、死後でも「著作者人格権を害する行為を行ってはならない」という規定がありますから、

改変については、問題が生じなくはありません。

日本の著作権法は、著作者の意に反する改変を禁じていますので、

結局のところ、「Jupiter」のような改変が、

生前のホルストが許すようなものかどうかということでしょう。


一部のみの演奏を限定したり、編曲も限定的だったようですから、

「Jupiter」の編曲も、ホルストの相続人が問題視すれば、

結構危うい状況にあるのかもしれません・・・


・・が、「Jupiter」を聴くと、

よくここまで原曲をアレンジして、別の作品として昇華させたものだ・・

と、思わずにはいられません。

著作権の保護期間の問題が、今年はおそらく政府も検討を開始するのでしょうが、

保護期間が仮に70年だったら、このような作品は生まれなかったでしょう。

そういう意味では、保護期間は短ければ短いほどよい・・といえます。


しかし私は、英国ではまだホルストの権利は存続しているのに、

日本では「公有」となってしまっている状況に、いささか戸惑いを覚えます。

英国が世界中で特異な制度であるというなら、問題とは感じないのですが、

欧米先進国がほぼ70年としている状況では、

日本において勝手に著作物を使えるというのは、

国際社会において名誉ある地位を占めると憲法前文に書かれていることに鑑みると、

私は大いに問題があるような気がします。


・・でも、こうした考え方は、「少数派」なのでしょうか?


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検索エンジン

2007-01-28 01:25:08 | Weblog
 グーグルにしても、ヤフーにしても、日本で多く利用されている検索エンジンは、海外のもの、特に米国のものです。
 日本の企業や官庁、研究機関などが何を検索しているのかは、米国に筒抜けになっています。

 このような状態は、日本の「国益」上好ましいはずはありません。

 日本が何をしようとしているのか、米国に知られてしまいます。

 また、グーグルなどは中国政府に協力して、「検閲」のようなことをしています。
 そういう会社であるグーグルが、例えば、米国政府の情報機関と協力して、特定国からの特定のキーワードによる検索の結果について、何らかの操作をする可能性はゼロとはいえません。

 日本発の検索エンジンが必要であるというのは、非常によくわかります。

 そのために経済産業省は、開発経費を予算計上したといいます。そして、著作権法の改正も必要だと主張しているようです。

 確かに、検索エンジンは、検索のたびに地球上のあらゆるサイトをいちいちチェックするのでは時間がかかりすぎます。必要に応じて定期的に訪問しキャッシュとしてとっておいて、そこに検索をかけた方が、早く結果を得られることは明らかなのでしょう。

 しかし、そこに著作権法の問題が生じてくるといいます。

 キャッシュとして採っておく行為は、「複製」を行っていることに他なりません。また、検索結果の表示の際に、そのキャッシュを検索を行った者に送付しうるようにするときには、「自動公衆送信」しているといえるのではないかと思います。
 日本の法律に照らすと、いまグーグルなどが行っている検索の方法は、日本では不可能になってしまいます。

 ではなぜグーグルは米国で、そうしたことができるのでしょうか。

 それは、米国にはフェアユースという規定があって、利用者のリスクで、著作物を許諾なく利用することができるからだと言われています。

 で、グーグルはWebサイトの情報だけでなく、書籍出版物についても、データとして取り込み、検索の対象としようとしているという話もありますし、それに対しては、訴訟が起こされているといいます。

 日本はフェアユースの規定はありませんので、そのように利用者のリスクで著作物を利用することはできません。「制限規定」がないとグーグル型の検索は不可能です。
 そのようなことから、日本でグーグル方式の検索エンジンを軌道に乗せるには、「検索のために必要な場合には著作物を複製することができる」といった著作権の制限規定が必要とされるのです。


 ・・・・しかし、日本で検索エンジンをどこかが作ろうとするのでしょうか。もしそういうところが出てくる場合には、「日本の国益」の観点から、権利制限規定を設けることも、政策としては必要だと思います。

 だが、本当に日本で検索エンジンができるのでしょうか?
 私は悲観的に考えています。

 検索エンジンの問題は、国産のものを開発することにより解決を図るというよりも、検索エンジンを提供する者の社会的な責任を明確にすることにより解決されるべき問題のようなきがします。

 特定の国の検閲に協力したり、特定の意図を持って検索結果を操作することは、大きな問題を孕んでいます。
 中国の人権問題を糾弾する米国人は、なぜグーグルを非難しないのでしょうか?

 私は国際的な場で、そうしたことを議論して、各国がそれぞれの国内法で検索エンジンの運営に関する立法をするとともに、国際的に検索エンジンの活動を監視する体制を構築すべきと思います。

 この際日本がEUやアジア諸国とともに、そうしたことを国際的に打ち出したらいいのではないかと思います。

 グーグルだって「フェアユース」を裁判上主張するのであれば、一定の公共的な責任を果たすべきではないでしょうか。中国政府の検閲に協力するような使い方をしていて、「フェアユースだから複製する特権があってもよい」などと主張するのは、非常におかしなことだと思います。

 そうした公共的な責任がきちんと果たされるのであれば、日本発の検索エンジンの開発する必要性も小さくなるでしょう。

 もちろん日本発の検索エンジンがあればそれに越したことはありませんが、官の強力な後押しがあったとしても、それは実現されるのでしょうか?
 グーグルやヤフーなどには勝てないような気がしてなりません。

 経済産業省の役人はなにかしていないと自分達の存在意義がなくなってしまうので、今回検索エンジンをいっているのでしょう。
 何十億円もの開発経費・・むだになってしまうのではないでしょうか。 
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フェア・ユース

2006-12-20 03:12:50 | Weblog
 ■フェア・ユース規定の効用
 米国法は、権利制限規定については、「フェア・ユース」と呼ばれる一般条項があります。
 あらかじめ、無許諾で著作物の利用が可能な範囲が明確でない反面、新たな利用形態に柔軟に対応できるという利点もあります。

 日本でもこうした規定があれば、インターネット上での様々な利用に適切に対応できるし、一般に著作物の円滑な利用がなされるのではないかといわれることもあります。

 確かに日本の現在の権利制限規定は、個別の事項を列挙していますので、新たな時代の新たな利用には的確に対応できませんので、絶えず法改正が必要になってきているようです。

 ■日本でフェア・ユース規定を導入できる?

 フェア・ユース規定は、裁判で物事を決着させる文化がない日本においては、適切ではないという考え方もあります。
 しかし、民法709条の不法行為だって、一般的な規定ですが、判例の蓄積や法学上の理論構築により、その内容がより具体化されてきています。
 著作権法の既存の規定の中にも、「著作者の利益を不当に害することとならない」ということを要件としている権利制限規定もありますし、「引用」は「公正な慣行」に合致することが求められています。
 すでに、条文上は明確ではないのではないでしょうか。

 しかし、著作権侵害は、刑事罰が科せられることとなりますので、その限界は明確でなければなりません。いくら既存の権利制限規定があいまいだといっても、フェア・ユース規定を日本の著作権法に取り入れるには、その問題が解決される必要があると思います。

 ■著作権侵害の罪のような一般的な構成要件を改めるべき

 私は、著作権侵害が一般的に刑事罰の対象になることが、問題ではないのではないかと思っています。所有権については、違法な行為を列挙して刑事罰の構成要件としており、「所有権侵害罪」のような一般的な罪はありません。著作権侵害の場合も、違法な侵害類型を特定して、構成要件にすべきではないでしょうか。

 刑事罰をそのようなことにすれば、フェアユースに合致するか否かは、一般的に民事上の問題のみとなりますので、この問題は解決されることになります。

 著作権法は、刑事罰則が懲役10年に引き上げる法改正が、つい最近の国会で成立したようですが、「10年」は諸外国と比べると相当に重いといわれています。
 したがって、構成要件を限定するという作業を行ってもよいのではないかという気がしています。
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Winny開発者有罪判決

2006-12-15 03:45:37 | Weblog
 Winny開発者に有罪判決が出ました。

■どんな行為が罪とされたのか

 新聞などで報道されている「判決要旨」によれば、「開発行為」が「罪」となったのではなく、「違法に使われることを認識しながら、不特定の人に利用できるような状況においていて現に利用された」ことが罪に当たるとされているようです。

■「正犯」の具体的行為は認識していないが、罪になった

 Winnyを使ってファイルをアップロードし、すでに有罪が確定している者が2名ほどあるようですが、その具体的な行為は認識していませんでしたが、幇助罪が認められました。
 人通りの多い道路に爆弾を仕掛けて「誰かがこれで死ぬだろう」と思っていたところ、実際に爆破により人が死んだとき、殺人罪が成立するのと同じと言うことでしょう。いわゆる「未必の故意」と同じと思われます。
 「幇助の範囲が不明確」との批判がありますが、さほど不明確とは思えません。「不明確」と主張している技術者も、もうすこし法律を調べれば、十分判るのではないかと思います。

■技術開発の阻害要因になるか?

 「開発行為」自体が違法とされているのではないのですから、「技術開発の阻害要因となる」との主張もありますが、なぜだかよくわかりません。
 ただ、影響はないわけではないでしょう。開発されている技術を確かめる実証行為に一定の枠がはめられたわけですので・・・

 しかし、それは、「実証行為」といっても、「法律を犯してまでそれをやっていいということではない」ということを言っているに過ぎません。
 拳銃を開発した人が、その効果を試すために、人を撃ってはいけないのは当然ですし、自動車を開発する人が、ナンバーを交付されないまま公道をつかって開発中の自動車をはしらせてはいけないのと同様です。

 著作権の分野でも、例えば一定の送信技術を開発した通信サービス会社が技術的な面を実証するための試験を行う場合には、権利侵害にならないように細心の注意を払っていると聞いています。
 具体的には、著作物を不特定または多数の者に送信すると、「公衆送信」の権利が及んでくると言うことで、送信先を「特定少数」にするなどの工夫をしていると言います。

 Winnyも、仮に開発者がアップロードする行為が実証実験であったとするなら、ほんの十数名だけに交付して、その人たちだけの間でファイルのやり取りをするとか、あるいは、交換されるファイルを著作権フリーのものを特定していればよかったわけです。
 他の技術についても同様です。ほんの少し法律に配慮すれば、技術開発に影響が出ることはないのではないかと思いますし、仮に何らかの影響があったとしても、それは「コンプライアンス」の観点から受忍すべきものではないでしょうか。
 仮に社会に有用な技術の開発であるとしても、違法な手段でもって開発を進めることが許されないのは、私は当然のことだと思います。

 さまさりながら、今回の判決は、現に適法な手段による開発行為まで萎縮させるものなのでしょうか?技術者が実際に「萎縮する気持ち」を抱いているのであれば、それ自体が大きな問題であり、あってはならないことだと思います。

 しかし、それは、今回の判決の結論を変更するのではなく、今回の判決が何を罰することとしているのかをよく知ることにより解消されるべきものと思えます。
 そのあたり、技術者がどのような気持ちでいるのでしょうか。

 わたくしは、「今回の判決は技術開発を萎縮させる」ということが大々的に伝えられたことにより、十分な知識を持っていない技術者が萎縮する気持ちを抱くこおとになったとすれば、そうした伝達行為自体が問題であり、控えられるべきことと思います。

■罪に問うことは妥当だったか

 違法かどうか、罪となるかどうかを考えた場合には、今回のWinny開発者の行為は、どう考えても違法で可罰的なものと思います。

 しかし、罪になるべき行為を行った者のすべてが裁判にかけられて有罪になるわけではありません。
 検察官は、初犯なら「起訴猶予」にすることもあるでしょうし、証拠が不十分なら「不起訴」にします。反省していて被害者との示談が成立していれば、罪の内容にもよるのでしょうが、起訴しないことも少なくありません。

 私は、今回検察官が開発者を起訴し罪に問うことが適切だったか、という問題は残るような気がします。

 どのような事情があったのでしょうか。

 権利者側が強く処罰を求めていたのでしょうか。

 実は開発者に既存の著作権秩序への挑戦のような意図があり、検察は、裁判上立証はできませんでしたが、そうした意図を十分認識していたからこそ、起訴に踏み切ったのでしょうか。

 あるいは、すでに別のファイル交換ソフトにより違法なファイル交換が蔓延しつつあるので、ほおっておくと、例えばわいせつ図画がネット上で頻繁にやり取りされてがつけられなくなるのと同様の自体に陥りかねないので、法秩序維持のためあえて「天才」、「神」などとも言われ、信奉者も多い開発者を起訴したのでしょうか。

 「起訴便宜主義」とはいえ、起訴は恣意的であってはならないし、市民感情に適合するものでなければならないと思います。
 今回の起訴は、著作者にとっては当然のことと思いますが、なんでここまでやるのか?という気持ちは残ります。検察当局はどのような事情で起訴にいたったのか、きちんと説明する必要があるような気がします。
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違法サイトからのダウンロード

2006-12-05 00:33:39 | Weblog
 「違法サイトからのダウンロード」を禁止し、違反者に対しては罰則がかけられるようにすることを政府部内で検討しているとの報道がありました(朝日11月24日)。12月1日の衆議院文部科学委員会における著作権法改正案の質疑の中でも、この問題は取り上げられていました。
 衆議院のHPにはまだ会議録はアップされていませんが、会議の映像は視聴することができます。社民党の保坂展人議員の質問に対して政府側は「技術的保護手段の回避による複製を違法とする法改正を行ったときも刑事罰を科さなかった。違法サイトからのダウンロードをどうするかも、そうした過去の立法例を参考に、十分慎重に検討すべき」と答弁していました。

 政府関係者が「慎重に」というときは、通常「否定的」とされています。過去の刑事罰を科さなかった立法例を引き合いに出し、かつ「慎重に」と言っているので、政府の姿勢は、違法サイトからのダウンロードについては、民事上違法としたとしても、刑事罰は科さない方向であることが推測されます。

 では、政府としては、違法サイトからのダウンロードは、刑事罰が科されないものの、「禁止」とするのでしょうか。
 文化審議会著作権分科会私的録音録画小委員会では、11月15日に開催された第7回会議に提出された資料には、以下のくだりがあります(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/020/06111523.htm)。

**************

②制度改正は可能
ア  違法複製物、違法サイト(ファイル交換によるものを含む)からの私的録音録画
(理由)
* 利用者に対する権利行使は事実上困難。ただし、ファイル交換の場合、ダウンロードされたものが同時にアップロードされる場合は、実態把握が可能
* 利用秩序の変更を伴うが、違法複製物等からの録音録画が違法であるという秩序は利用者にとっても受け入れやすい。ただし、利用者保護の立場から複製物等が違法に作成されたものであることを知っていた場合に限る等の限定が必要と考えられる。
・ 今回の私的録音実態調査において、80パーセント以上の人が「自分で録音した音楽をHPに掲載したりファイル交換ソフトで交換すること」を「権利者の了解を得る必要があるかもしれない行為」と認識

* 利用者の対する権利行使が困難だが、違法複製物等を減少させるためには、利用者の複製行為を減少させる必要あり
* 著作権保護技術が及ばない分野であり、法的秩序の一律の変更はやむを得ない


**************

 ここいにう「制度改正」とは、どうも著作権法30条で私的な複製ができるとする範囲の外に出す「制度改正」という意味ではないかと思われます。どんな議論が行われたかは、会議録がアップされていないのでよくわかりませんが・・・

 この資料によれば、30条の範囲から除かれる・・つまり複製が適法ではなくなるのは「複製物が違法に作成されたことを知っている場合」に限定しているようですから、国会で保坂代議士が述べられた「添付ファイルをあけてみたら中に違法なものが入っていた」場合は、違法とはいえなくなります。
 が、いずれにしても、そのような範囲で、違法サイトからのダウンロードは「違法」とする方向であると考えることができるのではないでしょうか。

 もしそうだとした場合、Winnyでのファイル交換についてはどうなるでしょうか。アップロードする行為についてレコード会社などの権利者は許諾していませんから、そのことを知ってダウンロードをすれば、違法ということになるでしょう。実際多くの人が「無許諾でアップロードされている」と認識しているでしょうし、法律ができたら、関係の権利者は「無許諾だ」と宣伝するでしょうから、実際ファイル交換で音楽や映像を獲得する行為は違法になってしまうでしょう。

 では、違法となった場合にはどういうことがダウンロードをした人に対して起こるのでしょうか。
 おそらく、ファイルを削除することが求められるでしょう。削除しないと裁判に訴えられるかもしれません。ただ、刑事罰は科せられないでしょうから、警察が来て逮捕したり家宅捜索されることはないでしょう。

 個人の家庭内の零細な行為については、法律はあまり立ち入るべきではないと思います。立ち入る以上は、それだけの理由が必要でしょう。

 私は、違法サイトからのダウンロードを禁止するとすれば、権利者の利益を害しているという証明がなければならないと思っています。
 そういえば、最近権利者側は「ファイル交換で6時間に100億円の被害」という報告を出したようです。100億円の計算をどのようにして出したのか、ファイル交換が新曲の周知に効果があることや新たなCD購入につながる効果があることも考慮に入れなければいけないと思います。

 また、配信ビジネスが実際に行われているかどうかもよく考慮すべきだと思います。TV番組に関しては、見逃した番組をあとから視聴する手段は、適法なものは存在しません。TV局が、そうしたビジネスをしていないからです。したがって、YouTubeは違法だといっても、過去の番組にアクセスできない消費者がそこにアクセスすることを違法としてしまうのは、私はいかがなものかと思っています。
 例えば、ダウンロード行為を違法としたとしても、適法な手段で消費者に提供するビジネスを展開していない権利者は、違法であることを主張できない、というような法律にはできないのでしょうか・・・(他の著作権の分野全般についていえる話ではありますが・・・)

 私は、実際に非常に多くのCDやDVDなどのファイルが交換されているわけですから、被害は相当の額に上るのではないかと推察しています。それを明らかにした上で、ダウンロードも違法とする方向で検討すべきではないかと思います。
 ただし、無許諾でアップロードされていることを知ってダウンロードした場合に限ることが必要でしょう。また、違法としても、刑事罰は科すべきではないと思います。さらに、ビジネスを展開していない者は、個人のダウンロードに対して権利主張ができないというような規定でもあればいいのではないかと思っています。
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著作権の保護期間の延長(その4)

2006-11-29 02:53:10 | Weblog
 「エンドユーザーの見た著作権」さんから、私が書いた記事への反論と、質問を頂戴しました。
 反論の記事は、トラックバックのところを見ると判ります。

 ここでは、寄せられた質問に対して、回答を載せたいと思います。

 なお、私の「立場」に対しても言及いただきましたが、他の措置とセットで延長を認めるべきということなので、「条件付賛成」としたいと思います。

【1】保護期間を延長すべき根拠とは何か?
 特に、そのメリットは何でしょうか。欧米並みにして何が変わるでしょうか。

 メリットとして考えられることは、以下の通りです。

 まずは、日本のコンテンツを国際的に厚く保護することができる点だと思います。保護期間を70年にしている国においては、米国を除いて、保護期間について相互主義を取っているので、日本の著作物は50年しか保護していません。しかし、そのような国においては、日本が保護期間を70年にすると、日本の著作物の保護も70年となります。これが、最大のメリットと考えます。

 第2には、インターネットの手段により欧米との間で著作物が国境を超えて流通することが多いわけですが、日本の保護期間が50年のままですと、欧米で保護されているが、日本で保護されていないという状況が生じますが、そこから様々な問題が生じる可能性があります。保護期間を70年にすることにより、そうした諸問題を回避することができると考えます。

 第3は、国際協調です。先進国がこぞって70年にしている現在、逆に言うと70年にしないほうがなぜ?といわれるのではないかと思います。もちろんベルヌ条約は50年と決めていますが、先進国の大半が70年としているのなら、そうしたルールを採用することが、国際協調ではないでしょうか。

【2】保護期間を延長したメリットはデメリットを上回るか?
 デメリットについては既に指摘した通りです。これを無視されませんよう。

 デメリットは、著作物の利用者からすれば、自由な利用が妨げられること、 また、利用できるとしても、経済的な負担がかかることでしょう。

 また、日本の国際収支の観点からすれば、現時点ではメリットよりデメリットが上回ると思います。
 しかし、将来はどうなるかは分かりません。映画、小説、ゲームなど、国際的に強い分野がありますし、政府としてもコンテンツ産業の発展と国際展開を重視していますので、今デメリットかもしれませんが、将来までそうした傾向にあるとは思えません。
 いま日本のコンテンツ産業の強みは、ストーリーといわれています。
 コミックの原作や小説が様々な形で日本や諸外国において利用されています。
 将来にわたってそうしたストーリーが海外で広く利用されることを考えると、保護期間延長は将来の収支のプラス要因です。

 また、「新たな創作」の観点からすすと、どうなるでしょうか。
 確かに、翻訳・翻案は影響を受けるでしょうから、それはデメリットだと思います。

 しかし、それ以外の利用については、私は大きな影響はあるとは思いません。
 過去の作品にインスピレーションをえて創作する人も、著作権に触れるような形で自らの創作をする人はいないと思います。

 また、権利者が不明の作品が大量に発生します。これはデメリットでしょう。

 で、【1】と【2】のメリット・デメリットをどう評価するかが問題となるわけですが、私の考えは、「権利者が不明の場合の利用を円滑にする」という条件付なので、そのデメリットは解消されたものと考えさせてください。

 まずは、経済的には保護期間延長は現時点ではマイナスだが、将来は改善の可能性があると考えます。

 「新たな創作」に関しては、延長は影響はあるが、概ね翻訳や翻案の事例にとどまるでしょう。

 日本の国際的な地位ということを考えれば延長のほうがよい。

 法的に問題をなくするための国際協調という観点からは、延長にメリットがある。

 以上のような状況下においては、メリット・デメリットの評価は見る人の価値観にもよりますが、私はメリットが大きいものと考えます。

【3】著作者の「気持ち」を満たすのが目的か?
 もしそうなら国民会議側の「気持ち」をどう評価しますか。
 もちろん著作権法上の話であって、 copyright1971 さんの仰る狭い話ではありません。

 メリットがあるから延長をするのですが、私は権利者側の気持ちを満たすことは大切だと思います。
 しかし、「国民会議」側の気持ちも大切にしなければいけないと考えます。
 では、この状況にどう対応すればいいのでしょうか。
 ・・・多数決という問題ではありますまい。

 私は、延長を認めた上で、延長のデメリットをできるだけ少なくする措置を同時に講じることが、最も適切ではないかと思っています。
 また、クリエイティブコモンズの試みを政府が支援したり、奨励することもあるかもしれませんね。
 さらに、文化の発展という目的をより明確化するため、延長される部分については、「許諾権」でなくするとか、権利者団体が徴収する延長分の使用料の一部は、新進の創作者の育成などに当てるようにできればいいのかもしれません。
 こうしたことで、延長したとしても、なんとか国民会議の方々の気持ちに配慮していくという方向で行くべきではないでしょうか。

【4】保護期間が死後50年でなぜ不足か?

 私は、「そもそも論」でいえば、50年で十分だと思います。しかし、国際的な協調等を考えれば、「延長すべきだ」というのが私の考え方です。

【5】創作は、過去の著作物と無関係に発生すると思うか?
 優れた著作物を多く消化することで より良い創作が望めるとは思いませんか。
 流通(パブリックドメインのものも含む)が少なくなることで、創作者が触れる著作物を減らし創作のインスピレーションを減じることには なりはしませんか。

 創作は過去の著作物と無関係に発生することはまれで、過去の何らかの成果に依拠しているものだと考えます。
 しかし保護期間の延長と、創作者による過去の著作物へのアクセスは、基本的には別の問題ではないかと思います。
 保護期間を経過したとしても、版を出版社が独占し公開しなければ、アクセスは困難になるかもしれません。また、保護期間内であっても、すでに十分利用がなされているものについては、図書館その他にいけば、誰もがそうした著作物にアクセスすることが可能でしょう。

【6】創作は「オリジナル」のものが全てと考えてはいないか?
 全体を考えれば、過去の著作物に依拠するものが多い(評論や論文・ジャーナリズムも含む)。

 創作は、何らかの形で過去の著作物に依拠していると思います。しかし、それは、アイディアだとか思想、表現の様式などにおいてであって、そうした部分は、著作権が及びませんので、保護期間が延長されても、創作活動には影響はないと思います。

【7】copyright1971 氏自身が延長の経済的メリットを否定していますが?
「死後50年を経過しそうな者の作品の利用はいったいどれだけあるかと考えると、著作物全体の利用からすれば極わずかでしょう」との文章がありましたが、これでは延長の経済的メリットが存在しないと言っているのに等しい。これをあなたは撤回しますか? それとも維持しますか。

 「極わずか」という点は、私は現時点では間違っているとは思っていません。しかし、厳密な影響調査がなされ、「非常に大きい」という結果がでれば、撤回いたします。
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著作権の保護期間の延長(その3)

2006-11-26 04:41:29 | Weblog

「国民会議」発起人の津田大介さんより、コメントを頂戴しました。

 私が国民会議発起人の構成について「有識者」と表現したことについてのコメントがありますが、私は、著作者としての代表が「創造性の高い著作物を創作するクリエーター」とは思っていません。社会の様々な情報をわれわれに伝えてくれると共に卓越した識見を表明され、われわれに考えるヒントを与えてくれる「研究者」「評論家」その他私が「有識者」と表現した「著作者」の方々の活動は、現代社会にあってはまさしく「著作者」の代表といってよい存在だと認識しています。

 しかし、保護期間の延長問題を議論するときには、多くの人たちが念頭に置くのは、「この作家、作曲家、画家の保護期間はいつ切れるんだ?」などと議論されるように、小説家であり、画家、作曲家といった立場の方であると思います。また、新たな創作を促すことになるのかという議論をするときも、引き合いに出されるのが「星の王子様」であったり、ホルストの「ジュピター」であったりしています。
私は、そうしたことを念頭に、「国民会議」の発起人の方々をひとくくりにして表現(・・などと大変失礼なことであったと思いますが)する場合に、用語として「有識者」というコトバを使用しました。

 よく考えてみれば、発起人の方々の様々な著作は、現代社会についての様々な論説等はあったとしても、将来においては、この時代を映す鏡としてばかりでなく、時代を超えて読者を獲得していくものも多いでしょうから、死後50年までか70年までかという議論から除外するかのような概念整理は不適切であったかもしれません。この点「発起人」の方々にお詫びしたいと思います。
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著作権の保護期間の延長(その2)

2006-11-24 03:24:48 | Weblog
 保護期間の延長にかんする「賛成論」について、反論を頂戴しました。11月23日付けのトラックバックに引用されているものがそれです。
 

■「国民会議」の構成について
 「国民会議」について、十分そのお名前を認識した上で「有識者」と書いたところ、「ほとんどが著作者である」という指摘を頂戴しました。
 確かに、発起人の方々は各分野で様々な活動をされている方々で、著作も数多くあり、「著作者」であることは間違いありません。しかし、大学の教員や弁護士として論文を「著作」したり、「評論」などを著作するだけの方も多く、小説家や美術の創作をされる方、アーティストといった方々の割合は多くありません。
 私はこの構成を的確に表現するには「有識者」と表現したほうが適切だと思います。
 
■未来の著作者を再生産できる環境
 保護期間が長くなると、利用が円滑に進まず、あらたな著作物の再生産ができにくくなる点も指摘されています。これは、延長反対を考える方々の共通した意見と思います。
 私は、利用が円滑にならなくなるという点については、まさにその通りだと思います。仮に20年間保護が延長されれば「青空文庫」も20年間にわたり、新たな作家リストを得られなくなりますし、ワンコインDVDについては、映画の保護期間が70年となったことにより、年々新たなタイトルのものが出されるという状況でなくなっています。
 しかし、新たな創作には、どれほどの影響があるのでしょうか。
 確かに翻訳のような、既存の創作を利用して創作を行う活動には、影響はあるでしょう。前の記事で引用した「星の王子様」がよい例です。
 同様に、小説の映画化といった「翻案」利用にも影響はあるでしょう。
 しかし、オリジナルの作品を創作するという点では、私は大きな影響はあるのかどうか、よくわかりません。今の時代に創作活動をされている方々は、過去の作品からインスピレーションを感じて創作することは多いと思いますが、そうした作品について権利が存続していたとするならば、その著作権に触れるような形で創作活動をされる方はどれほどおられるのか・・
 私は「新たな創作」に影響がある点は否定するものではありませんが、その影響は、創作活動全体から見れば「限定的なもの」ではないかと思っています。

 ■国際協調について
 50年より長い保護期間を設定している国は、数としては少数です。ベルヌ条約の規定を国際標準と考えれば、その標準を乱しているのが「欧米諸国」だといわれれば、確かにそういう考え方は否定できないと思います。
 しかし、米国・EU諸国などが70年としている状況を冷静に考えたとき、どのような行動を取ることが「国際協調」かをよく考える必要があると思います。
 私は、協調するなら、欧米諸国と一緒の歩調を取るべきではないかと思います。もちろん、ここは「価値判断」の問題ですけどね。


 ・・・提起された問題点のすべてに応えているわけではありませんが、とりあえず気がついた点について、書いてみました。
 私は、「無条件」で保護期間の延長を賛成しているわけではありません。延長のデメリットの解消策がセットで取られることがぜひとも必要であると思っています。
 「権利者が不明になって、許諾を取ろうと思っても取れない」とか、「出版社が作品を塩漬けにして、一般人の作品へのアクセスを困難にしている」という状況は、改善されなければならないでしょう。
 私は、権利者不明の場合には「裁定」によって利用可能とする手段が著作権法にもありますが、それを非常に簡潔な手続きで行えるようにすべきだと思っています。米国でも「オーファンワークス」の利用を円滑にするための法案が連邦議会で議論されていると聞いています。日本でも、そうした対策はぜひとも必要でしょう。
 また、出版社の「作品塩漬け」については、出版社に猛省を促すとともに、著作権法で、「独占出版」の契約を禁じるくらいの措置をとってもいいのではないかと思っています。
 新聞報道によれば、文化庁は来年にも保護期間の延長問題を検討するようですから、そうした政策を一緒に考えるべきだと思っています。
 
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著作権の保護期間の延長

2006-11-20 02:52:46 | Weblog
 権利者団体が保護期間の延長を求めて文化庁に要望書を提出し、また、慎重な検討を求める有識者がその旨文化庁に要望書を提出したという報道がありました。
 権利者団体の要望は、各紙にのっていましたが、慎重な検討を求める要望は、日経しか報道していなかったのではないでしょうか。

 米国からの要望もありますし、政府の公式の計画である「知的財産戦略推進計画」においても「2007年度中に結論を得る」とあることから、著作権法を所管する文化庁ではおそらく近いうちに検討を開始することでしょう。

 保護期間の問題は、ある面経済問題ですが、創作に携わる人や創作物をどれほど大切にするかという文化芸術の問題でもあると思います。
 保護期間延長反対論は、「経済」の問題として、保護期間を「死後50年まで」から「死後70年まで」に延長しても、創作のインセンティブにはならない、と言っています。しかし、延長要望派は、創作者やその作品を大切にするということで、インセンティブになるとしています。要するに、経済的な側面よりも、「しっかり保護してくれている」というその「気持ち」のような部分を重視しているのでしょう。

 たしかに、創作のインセンティブにならないといっている人は、「有識者」に多いような気がします。実際に創作をしない人で「経済学」的な観点から、言っているのではないでしょうか。

 私は、個人的な考え方を披瀝すれば、保護期間の延長は賛成です。
 理由は、3つあります。

 第1には、やはり国際協調の観点です。
 欧米先進国がもう70年に延長しています。そうしたなか、国境を越えて利用されることが多い「著作物」の保護は、一般論としては先進国共通の保護内容とすべきではないでしょうか。
 損得の議論がありますし、知的財産権法の権威である研究者までもそのようなことを言っておられますが、それはあまりにも「途上国」的な発想ではないかと思います。「星の王子様」が、保護期間が切れたことにより多くの翻訳が登場したといいますが、そうした翻訳が出版される経費のうち、権利者に支払われるべき金銭はいったいどれほどなのでしょうか。それを節約したいから保護期間が短い方がよいというのは、なんだか情けない気がしてなりません。
 日本は「自由貿易」でもって、今日の経済的な繁栄を勝ち取り、その成果を謳歌しています。そういう国は、国際収支面の「損得」の議論というよりも、「国際協調」を大切にすべきではないでしょうか。


 第2は、創作をする方々の気持ちを大切にしたいということです。
 保護期間の問題は、先に触れたように、「経済問題」だけではなく、「文化芸術政策」の問題でもあります。「保護期間の延長」は、創作する者を大切にするとともに、作品をも大切にするという国家の意思の表れという側面があります。
 文化芸術に対する政策は日本は欧米諸国に比べると本当に貧弱といわれています。国の予算も少なく、民間からの寄付も少なく、寄付を促進するような税制にもなっていない・・・・ 
 そんな文脈からすると、せめて著作権の分野で、創作を大切にする姿勢を示さなければいけないのではないかと感じます。

 第3は、保護期間の延長は、経済的には大きな影響はないということです。
 断定的に「ない」と書いてしまいましたが、確たるデータがあるわけではありません。しかし、死後50年を経過しそうな者の作品の利用はいったいどれだけあるかと考えると、著作物全体の利用からすれば極わずかでしょう。
 もちろん、権利者との連絡がうまくいかないから著作物を利用できないとか、そういう面での影響も考えられますが、それは50年となっている現在でも問題とされており、保護期間の延長問題とは別に解決されるべき課題であり、延長問題とリンクして語られるものではないと思います。
 でも、文化庁が延長を考えているのなら、この問題に対しては有効な対策を用意すべきでしょうね。「裁定制度」をより緩やかなものとするとか、「えいや」と使っていいことにして、後から登場した権利者には、その権利行使に限定を加えるとか、そうした措置を取るべきでしょう。

 ・・・そんなことで、保護期間は延長してもよいと思いますが、こうした考え方は少数派なんでしょうね。
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翻訳権の10年留保

2006-09-25 03:09:31 | Weblog
■「翻訳権の10年留保」とは?

 「翻訳権の10年留保」とは、1970年まで効力を有していた旧著作権法で認められていた制度で、海外の著作物の翻訳が10年出ていないときには、日本ではその作家の翻訳+印刷による複製の権利が切れるというものです。発行が講和条約前の場合には、この10年に一定期間の「戦時加算」も加わります。

 1971年から施行された現在の著作権法にはこの規定はありません。しかし、1970年までに発行された著作物についてはこの「翻訳権の10年留保」は適用されることとなっています。したがって、例えば1970年に発行された海外の著作物は、1980年までに邦訳されていなければ日本の出版社は81年以降自由に翻訳し出版することができました。
 多くの作品がこれにより日本で邦訳が出されたようです。確認はしていませんが、著作者が生存しているかどうかはまったく問われないので、著作者がまだ生きている間も日本ではこの規定を適用することにより多くの作品が邦訳され出版されていたようです。

 ■青空文庫のリストに

 で、10年留保の規定で日本での翻訳等が自由になった作品は、現行法の下でも、翻訳し出版することは自由です。
 ただし、翻訳と印刷が自由ということのようなので、それ以外の利用については権利が残るのかもしれません。インターネット上にアップロードすることは難しいのでしょうか。しかし、「印刷」は大丈夫なので、書物としては出版発行が可能です。

 ■戦時加算廃止との関連

 最近著作権関係団体が、保護期間の死後50年までから70年までへの延長を文化庁に要望したようです。その中で、戦時加算は廃止すべきだという意見も表明されていたとのことです。
 しかし、戦時加算は、連合国が日本との戦後の枠組みを規定する際に決められた秩序ですから、いかに「不平等条約」とはいえ、その廃止は容易ではないでしょう。少なくとも「沖縄の復帰なくして戦後は終わらない」などといった政治家の情熱と同じくらいの情熱を持った政治家が現れないと、その廃止は難しいのではないでしょうか。

 しかし、この戦時加算を廃止するには一緒に「翻訳権の10年留保」も廃止したらよいではないかという議論もあります。確かにこうしたセットでの議論なら連合国も乗って来やすいのではないかとも思えます。
 だが、翻訳権の10年留保は、現行法の著作権法には規定はありません。現在ではこの10年留保により翻訳権が新たに切れる著作物はありません。1980年末をもって自由な翻訳ができる海外の著作物リストに新たな著作物は加わらなくなっています。

 ■保護の復活?

 したがって、戦時加算廃止の取引として提案できる翻訳権の10年留保の廃止はといえば、意味あるないようにするのであれば、それは「保護の復活」しかありえません。
 「保護の復活」は著作権の分野では基本的には行わないこととしているようです。保護があって、いったん保護期間満了で公有になったものを、また再び保護するというのは、社会的に混乱が大きいと考えられるからです。「ローマの休日」も、今なぜ問題になっているかといえば、映画の著作物の保護期間を公表後50年から70年に延長したときに、復活はしない・・つまり、いったん保護が切れたものは復活しないという立法措置をとったからこそ、保護が切れているのかどうかが問題となっているのエス。
 したがって、「保護の復活」になるような「10年留保の廃止」はありえないでしょう。つまり、10年留保を廃止したとしても、この10年留保の規定の適用により出版された著作物については、そのまま出版が継続できるようにすべきでしょう。

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知的財産戦略(その2)

2006-09-18 23:36:56 | Weblog
■知的財産戦略とデジタル・コンテンツ

 知的財産戦略の中でも、著作権に関する部分は「コンテンツビジネスの飛躍的拡大」ということで、30年以上も前の産業振興政策をやっているというのが私の理解です。だからこそ、業界エゴもの要素も入ってきたのでしょう。
 その典型が、「レコードの還流防止措置」です。CDの国内の価格は、再販価格維持制度で米国などに比べるとはるかに高い価格が保たれているのですが、その制度を温存したまま、中国からの低価格な輸入版を止めようとするのですから、こんなに筋の悪い話はありません。普通の産業なら、安く生産できる中国等に工場を建設し、そこでできた製品を日本で売るはずです。衣料品のユニクロにしても、100円ショップのダイソーにしても、そこで売られている安価な製品は、中国製のものが非常に多いことは、誰の目にも明らかです。
 還流防止措置は、非常に問題の大きい制度であり、それを担いだ知的財産戦略は、非難されてしかるべきでしょう。

 しかし、知的財産戦略本部は、最近になってユーザーのことを考え始めました。昨年から今年にかけて検討を行った同本部のコンテンツ専門調査会のデジタルコンテンツWGは、「ユーザー大国」という概念を掲げましたが、些か遅きに失した感があります。
 動機としては、地上デジタル放送のコピー制限の議論が行き詰っているのをみて、放送事業者ではなく電気機器メーカーの肩を持つ形で「ユーザー大国」といっているような気がしてならないのですが、ユーザーの立場に配慮し始めたことは、望ましいことだと思います。

 しかし、新たな業界のエゴを擁護し始めました。それが、IT業界です。ITビジネスの振興を強く意識するあまり、そこに提供されるコンテンツにかかる権利者の意向が軽んじられる気がしてなりません。
 私が主張したいのは、その点です。IT業界保護のために、創作する人の立場が軽んじられているのは問題ではないかという点です。

■大切なのは「創作者」

 知的財産戦略本部は、「クリエーター大国」ということも言っています。噂によれば、コンテンツ専門調査会の会長の牛尾治朗さんがこれを強く主張したのだとか・・・
 私も、著作権制度で何が最も大切かというと、創作する人の努力に報いることだと思っています。額に汗して作品を作り上げた個々のクリエーターの立場は、今の日本はあまりにも低すぎます。そのような人たちの権利も「コンテンツの流通の円滑化」ということで、軽んじられる傾向にあります。
 「権利処理」という言葉がありますが、「処理」は、「ゴミ処理」、「むだ毛処理」というように使われる用語で、著作権についても、その程度にしか認識されていません。創作したり演奏したり様々な活動をしている「クリエーター」にとってはあまりにも可哀想すぎます。

■ 特許のほうが消費者泣かせ

 知財戦略に長けているというある優良企業は、自社が販売しているプリンターのインクについて、詰め替えができる他者のビジネスを、特許権侵害として訴え、勝訴を勝ち取りました。消費者にとって、また環境にとっても有益なビジネスの試みが、日本を代表する優良企業(しかも経営者は経済界の重鎮)によって葬り去られたのです。
 医薬品についても同じことが言えます。医療行為についても特許の対象とすべきだという議論がありましたが、製薬会社がそれを支持していたようです。理由は、もしそれが特許の対象となるのであれば、医薬品の特許の期間が実質的に延長されるからだということのようです。
 お医者さんの反対で医療行為自体は「特許」の対象にはなっていませんが、こうした議論の過程では、患者・消費者というかユーザーの意向はこれっぽっちも配慮されていません。

■きちんとした知的財産戦略を

 ただ単にコンテンツビジネスを振興するという経済産業省の考え方に即するだけでは、政府としての「知的財産戦略」としては不十分です。
 創作する者をもっと大切にして、日本で様々な作品が製作され、世界に打って出ようとすることを、もっと支援してもいいのではないでしょうか。
 
  
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知的財産戦略

2006-09-18 02:06:45 | Weblog
■知的財産戦略とは

 2004年2月、小泉総理は施政方針演説の中で「知的財産戦略」を謳い、我が国の近年の知的財産に関する本格的な取り組みがスタートしました。
 すぐに「知的財産戦略会議」が組織され、その年の7月には「知的財産戦略大綱」がまとめられ、史上初めて(?)、日本の各省にわたる知的財産に関する取り組みがまとめられました。
 そして、その「大綱」に基づき、「知的財産基本法」が成立し、2005年3月には、同法に基づき政府に「知的財産戦略本部」が設けられます。事務局長には、史上初めて「知的財産評論家」を名乗る荒井寿光元特許庁長官が就任しました。
 その後、知的財産戦略本部は、様々な施策を打ち出していきます。最も大きな成果は「知的財産高等裁判所」の創設でしょうが、他にも、模倣品・海賊版対策のための条約を締結する動きがG8サミットにおいて提唱されるなどの取り組みがなされています。

■知的財産戦略と著作権制度

 著作権制度も知的財産制度の一環として、知的財産戦略本部は様々な取り組みを行ってきました。新しいところでは、IPマルチキャストの著作権法の取り扱いについての提言などがあります。世間の流れは大きく著作権法の改正に傾き、文化庁はそれをうけて著作権法の改正にむけて具体的に動き出しました。

 しかし、著作権にかかる分野では、知的財産戦略においては、基本は「コンテンツビジネスの拡大」です。
 人材育成や資金調達海外展開など、映画産業やレコード産業などの抱える問題点を浮き彫りにして、問題解決のための方策を打ち出していますが、その手法は、30年以上も前に国が製造業の振興において打ち出した施策をそのままなぞっているように見えます。
 特許の分野が、文字通り特許制度にかかる戦略を打ち出しているのに対し、著作権分野は、「コンテンツ産業振興」が中心課題であり、著作権制度に関しても、産業振興のためにどうあるべきかという観点からしか議論されていません。
 したがって、コンテンツの「創造」よりも「円滑な利用」に重点が置かれ、その観点からの制度改正が唱えられることはあっても、保護を強化しようという発想は出てきません。

 知的財産戦略を政府全体として進めるのであれば、もっと文化政策的観点が取り入れられなければならないでしょう。創作する人の立場にもっと配慮しなければいけません。「著作権はビジネスの障害になっている」と考えるIT長者の意見ばかり聞いていると、ろくな戦略は立てられないような気がします。
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9月12日朝刊新聞記事

2006-09-13 00:14:11 | Weblog
■日本経済新聞

 一面トップに地上デジタル放送のネット配信に関する規格統一を目指す「IPTVフォーラム」というのを総務省が立ち上げるという記事が出ていた。で、著作権に関しては、5面に「ネット配信をする際の番組著作権処理について、最終的にどのように扱うかは、決まっていない。」として見出しには「著作権なお課題」とある。

■朝日新聞

 一方、朝日新聞は、実演家とレコード製作者がテレビ番組をネットで配信する際の集中処理が10月8日には始まるという記事を掲載している。文化庁に正式の手続きを9月8日に届け出たのだとか・・・

■比較すると・・・

 日経の記事を書いた記者は、実演家等の集中処理の動きを察知していなかったのだと思う。しかし、デスクも気がつかなかったのか・・・
 朝日の記事を読むと「発表した」とあるので、おそらく日経の記者も誰かはこれを知っていたはずだろう。その情報が、今回の日経の特ダネ(?)記事には、反映されなかったというわけだ。記者が知っていたら、それも踏まえて、もう少し違う表現になったのだろうに・・・と思う。

■著作権に関する報道は・・・・・・・

 おそらく、総務省の担当の記者も書くのだろうし、経済産業省の記者も書くのだと思う。文化欄に掲載されている記事は文化部の記者だろうし、文化庁の動きは文化庁というか文部科学省担当の記者が書いているのだと思う。
 レコード業界の動きをフォローしている記者は、今回の集中処理の発表を聴いていたかもしれない。
 著作権の問題は、経済にも絡むし、文化・芸能にも絡んでくる。中身も専門用語がたくさん出てくるし、きっと新聞記者泣かせの話題なのではないかと思う。
 しかし、特定の業界をフォローする立場からではなく、もっと公平・中立な立場から報道されてもよいのではないかと思うのだが、そのような記事を書ける人っているのだろうか。著作権をめぐっては様々な課題があるが、そのような公平・中立的な報道がなされることが、実は大変重要なことではないかと、私は密かに思っている・・・・
 
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映画の著作物の頒布権

2006-09-03 23:33:33 | Weblog
 ■進学塾ビデオ教材

 上の娘が使っていた進学塾のビデオ教材は、現在販売されていない。ネットで授業のような解説を視聴することができるようになったので、そっちに全面的に移行するようになったのだろう。
 しかし、ビデオ教材には、現在のネットでの授業に比べると、基本的事項の解説部分があるという。そのようなことで、このビデオ教材は求める声が少なくないようだ。

 Yahooのオークションにも時々出ているらしい。結構いい値段がつくという。
 ウチでも、下の娘がこれを利用したら、オークションに出そうかなと思っている。

 ■映画の著作物の頒布権

 著作権法では映画の著作物について「頒布権」という権利が権利者に与えられている。それによれば、映画の著作物の複製物を勝手に第三者に販売したりレンタルしたりすることは許されないのだ。

 しかし、最高裁判所は数年前、ゲームの映像に関してであるが、頒布権は消尽するという判断くだした。その判断からすると、ビデオカセットを第三者に転売することは問題ないことになる。

 ■消費者の立場に立てば・・・

 消費者の立場に立てば、欲しいと思っている人にこの塾のビデオ教材を譲渡できればいいし、それで対価を得られるのならそれに越したことはない。正規ルートで入手できないのなら、オークション経由で売買されることはあっていいと思う。正規に販売しているのではないのなら、権利者の権利も害することにはならないしね・・・

 他の事例でもおもうのだが、アクセスできない状態にする権利者は、特段の理由がない限り、権利主張すべきではないと思う。
 今回は、複製行為はないけど、複製行為があったとしても、とめるという方向での権利主張はすべきではないだろう。
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