新・仏像ワンダフル!

千年の時を超えて仏像との新しい出会い
いやいや街を見渡せばよく似た人がいたような・・

世親立像-2  興福寺北円堂・奈良 鎌倉時代

2012-07-29 07:49:26 | 旧仏像ワンダフル
弟の世親は視線を上げて
なにかを探しているようです。
まさに求道の体なのでしょう。

運慶の描く求道者の在り方は
例えばこんな感じでしょうか・・

兄の無著が道を得ることを願い
弟の世親が道を求め、
そして見ているあなたと私が
自分にとっての道を得て受け取る、

願って求めて受け取る、
西洋にも共通する道理ですね~

世親立像-1  興福寺北円堂・奈良 鎌倉時代

2012-07-28 08:51:40 | 旧仏像ワンダフル
兄の無著に比べるとがっしりしていて
年齢も若い時分のもののようです。

眉間にしわを寄せて悲痛な趣を漂わせているのは
どうしたことでしょう?

一説には初め、兄とは異種の仏教を修めて
これを極めたつもりが、兄から大乗仏教を勧められ
それまでの自分の修練を否定し、自分の耳を
切り落として新しい教義を追及していったとか。

真摯な姿が狂気と隣り合わせな、
ちょっぴり哀愁をを呼ぶ方ですね。

無著立像-2  興福寺北円堂・奈良 鎌倉時代

2012-07-25 08:49:25 | 旧仏像ワンダフル
言葉を使わずに意図を伝えるのは
とても難しいことですよね。

うちの犬もよく視線やしぐさで訴えてきますが(笑)
何も感じなかったり無関心で気が付かなかったら
「もうグレたるわ~」といじけてしまうでしょう。

それを考えると表現なんてかなり相対的なもので
言葉で表現しても形で表現しても、
何を受け取るか?何も感じないか?は
自分の意図と違ってしまっても致し方なし。

まあ、よいほうに買い被って受け取ってくれれ
ばよし、悪いほうに誤解されたら
 へぇ~そんな考え方もあるんだわいと
視界が広くなるってもんで。

自分の場合はお経を聞いたり読んだりしても
サッパシの教えが、仏像を見たりすると俄然
教義のほうに関心が向いてくるもので困ったもんです。

それで無著さん、
求道者の自分に厳しく他人に優しい眼差しを
ひしひしと感じるかな。

無著立像-1  興福寺北円堂・奈良 鎌倉時代

2012-07-24 06:04:58 | 旧仏像ワンダフル
インド4-5世紀に実在した兄弟で
無著はお兄さんと言うことです。

弥勒の跡を継いで法相宗の祖師となり
生涯教えを広めたようです。

そんな人種の違う僧侶でも
完全に日本の僧として昇華し
運慶の考える理想的な僧侶の在りかたを
追求し表現した像なのでしょう。

弟の世親と一対で
求道者の見つめるものを
玉眼の入った生気を感じさせる表情に
託しているのかもしれません。

次はその顔の表情に迫ってみようと思います。

弥勒如来坐像・光背の飛天 興福寺北円堂  鎌倉時代

2012-07-21 23:52:22 | 旧仏像ワンダフル
飛んでいるんですよ、8体の飛天が。

いかつい運慶の弥勒菩薩を迎えに
歓喜に満ちて衣を自在になびかせて。

心なしか西洋のテイストが感じられる
オペラのひと場面のような、
ドラマチックな感じさえします。

しぐさが愛らしく
面持ちは穏やかで
思わず弥勒菩薩さんの口元も
緩んでくるようです。

弥勒如来坐像 興福寺北円堂  鎌倉時代

2012-07-19 09:47:22 | 旧仏像ワンダフル
運慶最晩年の作とされる像です。

運慶と言えば東大寺南大門の金剛力士像
が真っ先に浮かびますが、あの形相と
波打つ筋肉の表現は豪快そのもの。

鎌倉時代の武家の気風にもなじんだ
好戦的な気が感じられます。

こちら興福寺のほうは、有名どころで
阿修羅像がありますね、でも今回は
別棟の中にある阿弥陀如来を見てみます。

鎌倉期に再建された北円堂という
八角形のお堂の中にはこの阿弥陀三尊像と
無着(むちゃく)と世親(せしん)という
実在の僧侶像と四天王が安置されています。

なんと仏と人間が同等に配置されて
いるんですよね~

その人間の方々には後ほど登場して
いただくとして・・

この阿弥陀如来像の光背に飛天がいるんです。
どちらかというと、その飛天が描きたくて
如来さんに出ていただいた感じです(笑)




東海道四谷怪談  歌舞伎・四世鶴屋南北 江戸時代

2012-07-18 10:00:00 | 旧仏像ワンダフル
不気味にうち響く太鼓と笛の音
「う~ら~め~し~や~~」と長い髪の
女の幽霊が白装束で浮かび上がる、
その顔は腫れ上がり片目は潰れている・・

お岩さんは子供の時から結構夏の定番でしたが、
今になってその話を読むと異様な人間臭さに
満ちている、やりたい放題の人情沙汰話で
怖面白いもんです。

悪の主役の伊左衛門が惨劇の果てに
同類の悪党と出くわして吐く決め台詞

「首が飛んでも動いてみせるわ~」

原作には無いという演目の目玉のこの台詞、
いつの頃から誰が言い出したか。

もののはずみや成り行きではなく
己の欲のために「やったるでぇ!」
その針の方向が悪を指していた。

仏の慈悲も問答無用の
悪の美学がなぜか心を弾きつけます。




阿弥陀如来坐像  平等院・奈良 平安時代

2012-07-12 06:12:11 | 旧仏像ワンダフル
よく考えれば、考えなくても
雲中供養菩薩は本尊のこの阿弥陀如来さんを
お迎えして祝福していたわけですね。

仏頂面などと言いますが、
仏像の神秘性のひとつに、観るアングルによって
表情が変わることがありますね。

見上げた時、光があたった時、
アップにした時、全身像で見た時、
その仏頂面の中から感情のようなものが
見え隠れしてきたりして。

唯一、稀代の仏師定朝の作だと言えるこの仏像。
言われてみれば雲中供養菩薩はいろんな
作風が混じっていて、弟子たちが頑張って
作ったものも多そうです。

さて、やや下から見上げるような視点で
正面から光をあてたこの像の
慈愛に満ちた眼差しがとても素敵です。

平安貴族もなにか、現代の日本の
閉塞感に似たような空気を
感じていたのかもしれないですね。






鳳凰・南方  平等院・奈良 平安時代

2012-07-11 05:59:27 | 旧仏像ワンダフル
平安期の仏像の理想形だと
藤原氏の擁護を受けて活躍した仏師、
定朝(じょうちょう)

その定朝が原型を作ったと想定される
金銅製の象徴的な鳳凰。

雲中供養菩薩を配して
かなりきらびやかだった阿弥陀堂の
棟飾りとして南北一対に作られました。

今、実際に屋根に飾られているのは模造で
鳳翔館のほうに納められているようです。

諸行無常の藤原家の栄華に一役買った
極楽浄土の再現を目指した平等院。

あんまりキラキラで庶民の感覚からは
離れていたかもしれないですね。

でも今こんな棟飾りがついていたら
おしゃれな家だと思っちゃいますね~