COOL WEST JAPAN

クールな西日本のスイートな暮らしをお届けします

2016瀬戸内国際芸術祭・秋会期~小豆島~その3『国境を越えて・潮』 秋旅うどん県香川1泊二日③

2016-11-20 00:00:55 | 新日本紀行 四国編 香川

小豆(コマメ)の今回の一番のお目当てである、『国境を越えて・潮』。リン・シュンロン(林舜龍)さんの作品です。

土庄町の大部地区にある海岸に、196体の子どもの像が設置されたもので、作家の息子さんがモデルとのことです。

昨年2015年の初秋に、トルコの海岸にシリア難民とみられる子供の遺体が流れ着いた写真がメディアで大きく報じられました。その可愛そうな姿に世界中が衝撃を受けたことは、まだ記憶に新しいことかと思います。

作家のリン・シュンロンさんもその一人で、これは海に消えた子どもをイメージし、196という数は日本が承認する世界の国の数です。首に下げたプレートには各国の首都の座標と大部港からの距離が記されており、子供の向きはここからのその国の方角です。

この海岸に着いた時には晴れ間も見えるぐらい、天気が良くなってきていました。小学校の運動場の駐車場から歩いてほどない距離にある子供たちの像は、無料で鑑賞できます。秋会期中の平日の4時台で、私たちの他には鑑賞者は、5グループくらいだったかな。リン・シュンロンさんが台湾のアーティストなので、スーツケース姿の台湾のお客さんが3組くらいおられました。

私の感想ですが、この『国境を越えて・潮』は、本当にお勧め!です。なぜか。実際の作品に触れて、とても色々なことを考えさせられるからです。

実際の作品に触れる、ということがポイント。展示会場たる小豆島は大部地区の海岸で潮風に吹かれ、寄せては返す波の音を聞きながら鑑賞するのと、本で見るのとでは、全然感慨が違うと思います。

子供の像の材質は、環境に優しいよう石膏の他にも、海水に溶けるもち米粉や黒糖などでできているんです。

私たちがここを訪れた10月末には、波打ち際の像は浸食がかなり進んでいるものもありました。

そうして溶解していく白い子供の像の中から、白バラが忽然と姿を現すんです。

これは日本の古典の最大のテーマの一つである「諸行無常」を感じさせていいなと思いましたが、ただ溶けるだけでなく、白バラの花びらが現れるのには無常の中に永遠につながるものを感じて、寂しいだけで無く一抹の救いや希望を感じて、胸がすく思いがする作品です。

溶けていく子供の像の中から現れる白いバラを見て、確かに小さいお子さんが亡くなった場合、誰でもその中から白いバラが出てくるかもしれないなぁ、と思いました。もちろん目には見えませんが、残された遺族などの心の眼で見える、その人の魂の象徴として、です。

しかし、大人になるとどうなるだろう? その人の生き方によって、もはや出てくるものが千差万別になってくるのではないでしょうか?

そして、思わず我とわが身を振り返るんですよ。自分からは、何が出てくるんだろう? 白いバラやユリやピンクの蓮の花、綺麗な蝶々がヒラヒラと飛び立つのだったらいい。けれど、枯れススキが出てきたり、コバエどころかまさかのゴキブリがカサカサっと出てきたりしないように、日頃から身を正していきたいですね。大人は自分から出たものに対して、責任を取らないといけないですね。

いずれにせよ、もの悲しくて哀愁が漂っていてしんみりとしますが、鑑賞前と鑑賞後で何か自分の中で違うものに出会えた気分になるという、確かな芸術に触れた満足感があります。中々ここからは、立ち去りがたいですよ。鑑賞者がそれぞれに、もの思わせられるからだと思います。

作品の陸側の公民館に、作品にまつわる色んな無料展示コーナーがあり、DVDも見えて椅子に座って少し休憩もできるので、ぜひ立ち寄ってみられると良いと思います。

この196体の像は、ボランティアの方を募って、立てられたそうですよ。制作に携わった方々の、一言添えたお写真もありましたが「この光景を目に焼き付けてお帰りください」と書いていらっしゃる方もおられました。

二次元で見るのと、三次元で見るのとでは、そこから受ける感動が全然違ってくる作品です。溶ける材質の像は、日ごとに波によって浸食されていくので、行ったタイミングで見る風景が違うと思います。消えて無くなる前に、小豆島にお立ち寄りの際には、ぜひ足を運んでご覧になられることをお勧めします。

この公民館からの帰り道、苔むして庭で雑草が伸び放題になっている廃屋などを何件か目にして、オリーブが「小豆島も過疎化に悩んでいるのかなぁ・・」と独り言をつぶやいていました。

次の日に高松港に戻って、陸側の高松市の方は開けていて廃屋なんかも目立つところには無いですが、昔から観光で有名な小豆島と言えども離れ島であるため、少子高齢化・過疎化の波は避けられないようですね。

これは日本の地方はどこでもそうみたいですが、少子高齢化を憂えても、社会の変化や時代の波があるので、先進国の少産少子化は避けられない、後に引けない動きのように思うんです。

だったら、その時代を生きる人口数で前向きに生きればいいと、個人的には思います。1億3千万の人口が1億になり、8000万になったとしても、人がいなくなってどうしようと悲観的に悩んでばっかりの1億3000万の人がいる国と、8000万で1億3000人分のことをしようと前向きに考える人が生きる国の方が、あらゆる意味で強いと思いますが、いかがなものでしょうか。もちろん社会や政府側も、仕事をする女性の出産と、夫婦に対しての子育て支援を一層確かなものにして、出生率を上げていく行動を実際に継続していくことが必要だと思いますが。

海の波にさらわれて消えていく子供の像を眺めながら、そのようなことも考えつつ、大部地区を後にしました。

ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 2016瀬戸内国際芸術祭・秋会... | トップ | 2016瀬戸内国際芸術祭・秋会... »
最近の画像もっと見る

新日本紀行 四国編 香川」カテゴリの最新記事