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周囲とのシンクロが得意な日本人

2015年03月10日 | 相対主義の国・日本
前回とりあげたような「間人主義」的な日本人の行動の特徴は、具体的にはどんなところに見られるだろうか。日本人自身はあまり意識しなくとも外国人の目には際立って見える面がある。たとえば、ドイツ人でありながら日本で曹洞禅の修業をし、日本の禅寺の住職になったネルケ無方氏は、「日本人は人に合わせ、人とシンクロする性質がある」という(『日本人に「宗教」は要らない (ベスト新書)』)。欧米人は、そもそも他人とシンクロしようという意識がない。日本人のように人に合わせる、動作や気持ちにまで合わせるというのが苦手のようだ。

日本人が時間に厳格で正確なのも、日本人のシンクロしようとする性質によるのだろう。「空気を読む」というのも同じ性質によるもので、そもそもドイツ人には「空気を読む」とうような発想も概念もないという。日本人にとって空気を読めないということは、本人にとっても周囲の人にとっても苦痛であり、そこにいじめの一温床があるかもしれない。日本人のいじめは、「間人主義」の良さと裏腹の関係にあるのだろう。

日本人が移民の受け入れに後ろ向きなのも、以上のような日本人の特徴と関係があるようだ。日本人の社会は、他者とのシンクロを前提としている。シンクロするためのセンサーも敏感である。そこへ、そうしたセンサーやアンテナを備えていない人が大量に入り込んだらどうなるか。日本人の敏感なセンサーが、その危険さをキャッチしているからこそ、移民受け入れに消極的になっているというのだ。

浜口恵俊氏の『間人主義の社会日本』では、西欧的な「個人主義」を、①自己中心主義、②自己依拠主義、③対人関係の手段視、によって特徴づけ、一方、日本人の「間人主義」を、「人と人との間に位置づけて初めて"自分"という存在を意識する」あり方として特徴づけた。それは、具体的には①相互依存主義、②相互信頼主義、③対人関係の本質視、として表されるという。

ところで少し前にこのブログで、金谷武洋氏の『日本語が世界を平和にするこれだけの理由』に触れ、「日本語は、共感の言葉、英語は自己主張と対立の言葉」であり、英語が「人間に注目する」のに対し、日本語は人間よりもその周りの舞台や背景、つまり「場所に注目」するという見方を紹介した(→世の中を平和にする日本語と縄文時代)。日本語の発想法の特徴が、日本人の「間人主義」とみごとに対応しているといえるだろう。このように、それぞれの分野で行われている議論がどのように関係するかを確認し、そこに通底する構造を明らかにし体系化する作業こそが今後、必要だと思う。

『間人主義の社会・日本』の著者・浜口氏は、この本の「はじめに」の中で、日本論を代表するものとしてべネディクトの『菊と刀』、中根千枝の『タテ社会の人間関係』、土居健郎の『「甘え」の構造 [増補普及版]』など、すぐれた理論がたくさんあるとしながらも、それらはいずれも、「日本人の社会的行為を規制している基底的な原理を不問にしたまま日本を論じている」と批判している。

ここでいう「基底的な原理」とは、人間が本来どのような社会文化的存在と見なされているかという「人間観」であり、その人間が織り成す間柄についての人々の考え方、すなわち「人間関係観」などのことである。それを著者がどのようにとらえていたかは、前回かんたんに紹介した。その研究は優れたものであり、私も興味深く読んだ。

一方で私自身の関心は、では著者の「間人主義」の人間観をもとにした理論と、「タテ社会の人間関係」や「甘えの構造」はどのように関係するかということである。その関係については、著者はもちろんほとんど何も触れていない。私の関心をもう少し一般化して述べよう。

これまでに日本人論、日本文化論といった類の本は、ほとんど無数といえるほどに生み出されている。本の題名に日本の二文字がなくとも、中身は日本人、日本文化とは何かを問うものも多い。もちろんそれらのすべてを読むのは不可能だが、おそらく何百冊とその関係の本を読んできた。それでいつも感じるのは、このテーマを巡る各分野からの数多くの優れた研究成果が、相互の関連が確認されながら蓄積されて、日本人の共有財産となっているという感じがしないのだ。

今、求められているのは、各分野からの日本論の多くの優れた成果をつきあわせて、相互にどのような関係や共通性や違いがあるのかを問い、それらを体系的に整理することではないか。私には、各分野からの研究の多くが、深いところで通底しているように見える。それらが、どのような類似性や共通性をもっているかを確認し、これまで先人が蓄積してきた日本人や日本文化についての議論を、いわば国民の共有財産とすることこそが求められている。私も、ささやかながらそんな作業の一助となれればと思う。

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