クッキングハウス メンバー日記

日々の活動の中での思いをつづっていきます。

高い年齢で人前でおもらしをすると統合失調症緊張型になるⅡ

2016年10月13日 | Weblog
 ぼくは開成高校に進学しましたが、受験直前の成績はとても悪く、入学したときは爆発的な力でも出さなければ勉強不能になっていました。

 統合失調症が進行していて、緊張がとても強かったのです。緊張が強いばあいはどうすれば勉強できますか?えいっ、と強い気合でもかけないと取り組めないと思いませんか?

 そうです。プレシャーがとても強い状態と同じです。ですからふつうには勉強にとりくめません。というか、全然勉強にとりくめないのです。
 
 教科書を広げ、鉛筆をにぎってもそこから前にふみこめないのです。

 開成高校に入学してすぐ、風邪をひいて一週間休んだのをきっかけに全く勉強にとりくめなくなりました。

 高校一年の三学期は家にひきこもりました。

 小学五年生で学校でおもらしをしてから五年でひきこもりにいたりました。

 発端はおもらしですが、それではおもらしをした瞬間、ぼくの脳のなかでは何が起こったのでしょうか?

 こたえは感情が大爆発したのです。大量の、「恥ずかしいーっ。」という感情が生まれたのです。

 脳がパニックでストレスを受けて大きくバランスを崩したのでしょうか。そうではないのです。

 こころのなかが、恥ずかしい感情でいっぱいになったのです。

 ここで、いまだ科学がしらない考え方をぼくは説きたいと思います。この考え方を取り入れなければ統合失調症は理解できません。

 それは「感情とは実体的なものである。つまり、物質として存在する。」ということです。

 たとえば、「目に恥ずかしい感情がくっつく。」とはどういうことでしょうか?

 目に恥ずかしい感情がくっつくと視野にうつるものが気になって気になってしょうがなくなるというのですが、これはお菓子のグミのようなものがじっさいに目にくっつくと想像してもらえればいいのです。

 ただ、グミのような「固まりの」感情は普通の光線のもとでは目にはみえません。ですが実体として、物質として存在するのです。そしてそれが目にくっつくからこそ視野に映るものが気になって気になってしょうがなくなる。

 目にうつるものが気になるというのはおもらしをして「恥ずかしい」という感情の視覚的な表現なのです。

 このように感情が物質であるということは科学ではまったく新しい考え方です。ですが、この考え方をとらないと統合失調症は理解できないのです。

 「恥ずかしいという感情が目にくっつく。」ということは普通の現代日本語として通用すると思えませんよね?なんで感情が目にくっつくの?目は物質だけど、感情はイメージじゃない、ココロじゃない、といわれるでしょう。

 ですがココロというものも、いまだ化学記号はわかりませんが、やはり物質なのです。そしてこの考え方をとりいれれば、統合失調症の理解は可能になるのです。

 これはまったく新しい考え方です。だからぼくが説明するのに苦しみました。下手をすると「恥ずかしいという感情が目にくっつく」というところが稚拙な論理にみえるのです。これでは学問がまったくわかってないともいわれるでしょう。

 視野に映るものが気になって気になって仕方がない、というのは小便をおもらしして「恥ずかしい」という感情が目にくっつくからです。

 これはお菓子のグミのようなものが大量に目にくっつくと考えればいい。

 そしてそれなら感情はあぶないじゃないかといわれるでしょう。

 へたに感情をおこすと目にくっついて病気になってしまう。

 こたえは弱い感情ならだいじょうぶなのです。

 ふつうの感情は物質ではあっても煙のようなものです。

 すぐに消えて、あとには残りません。

 消えてしまうから病気をつくるひまがありません。

 ところが病的に恥ずかしい感情のばあい、強いのです。

 煙のようではなく、こりこりしたお菓子のグミのようなかたまりの感情です。

 統合失調症の人が異様にしつこかったりするのもこころのなかにかたまりのような感情があってさっと消えていかないからです。

 そしてかたまりといっても、じっさいに物質としてかたまりなのです。

 それが、目にくっつくと視野にうつるものが気になって気になってしかたがなくなるのです。

 それは人前でおもらしをして恥ずかしいという感情は「ものすごく気にしている」ということだからです。

 目にくっつくとくっついたところから視覚情報として入ってくるものが、「ものすごく気になる」のです。

 おわかりでしょうか。

 理解しにくいのはいままで科学でまったく知られていないことが説かれているからです。

 「感情は、物質である。」ということです。

 これをとりいれれば、「恥ずかしいという感情が、目にくっつく。」ということが理解できます。

 恥ずかしいという感情が目にくっつくからこそ視野にうつるものが気になってしかたがないという統合失調症の症状がでてきますが、これが理解できます。

 現代医学では視野に映るものが気になりすぎるものは目のフィルターに穴が開いていてそこから余計な情報がはいってくるからだ、目が過敏になっている、と説きます。

 なぜなら現代医学の思考の道具に、「感情が物質である」という考えがないからです。足りない道具を使ってものごとを理解しようとしても、とどかないのです。

 たとえば現代では原子の種類にしても百何個もしられてます。ところが大昔は万物を構成する原子の数は土と水と木と火とあとなんとかの五つだったりしました。五つだけでは、物事の現象をたくさん説明できません。思考の道具が足りないのです。

 現代医学の思考の道具が増えなければいけません。

 あと大事なことは、感情が物質であることは、考えではありません。感覚的に確かめられうることです。ですがぼくの場合、それだけではありません。

 ぼくの場合は、感情が物質であるということは実際に病気が治ってくる過程を確認することでも確かめられうることなのです。

 統合失調症の緊張の理由であるものが気になるという症状が改善していく過程が、確かに感情が物質であると考えていいと教えてくれるからです。

 緊張がとれた。それは現代医学で言う通り、脳の脆弱性が治ったからですか?脳が強くなったんですか?それではまったくわかりません。

 ですが緊張が取れたのは目のまわりにくっついていた物質としての感情が取れたからだ。そう考えるとすんなりとわかるのです。ここらへんはあまりくわしく論証してませんが、略していうとそういうことなのです。

 感情が物質であるという思考の道具はたんなる考えではありません。現実の観察からわかることなのです。

 おわかりでしょうか?やはり統合失調症、一筋縄ではいきませんね?でも普通の人間(高校生にでも?!)に理解不能ではありませんよ?ぜひ正しい統合失調症の理解をひろめましょう!

                                   (とまと)
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