風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

赤坂大歌舞伎 『夢幻恋双紙 赤目の転生』 @赤坂ACTシアター(4月22日)

2017年04月25日 21時00分57秒 | 歌舞伎




タイトルを書いていて気付きましたが赤坂「大」歌舞伎なんですね。「大」を付ける基準って何かあるのかなと思っていたのだけれど(幹部役者が出ているとか)、特にないのかしら
さて、ふと思い立ち、当日引換券で行ってまいりました。ネットの感想等を読む時間はなく、予備知識は家を出る直前に公式サイトで確認した粗筋と配役だけ。
それにしても私、ACTシアターでは転生ものばかり観ているなぁ(前回はみゆきさんの夜会)。
以下、ネタバレありです。

コクーンの三人吉三のときと同じく、やっぱりなによりも勘九郎だなあ、と。どうしても勘九郎に目が引き付けられてしまう。私は今回のようなイっちゃってる感じの勘九郎が好きなので(刃物が似合う~)、とても楽しめました。そもそも私が「勘九郎、好きかも」と初めて感じたのは、世間的に全く評判の宜しくなかった伊勢音頭の貢でしたし(^_^;)
とはいっても古典のような正統(ってなんじゃらほいと言われるかもしれないが)な歌舞伎よりこういうコクーンや赤坂のような作品での方がその魅力が際立っているように感じられるのは歌舞伎役者としてはどんなもんなんじゃろか、という気もしなくもないですけど(それは七之助にも感じることですけど)、その辺りは私ごときが口を挟むことではないと思うので、長年の歌舞伎ファン、中村屋ファンの皆さまにお任せいたします。

というわけで、個人的に今回も一番の収穫は勘九郎だったのですが、二番目の収穫は演出と美術。
切り絵風のセットも、ピアノ音楽もほんっと~~~~~に素敵だった
そして炎の幕!を掴んで落としての場面転換 ゾクゾクしました。素晴らしかったです。

どうしても勘九郎ばかりに目がいっちゃったけれど、他の役者もみんなよかった。
七之助はこういう役、似合いますよねぇ。
勘三郎さんは本当にいい息子さん達を遺してくれたものだなあ、といつも思うことを今回もしみじみと。

ドラ〇モン三人組:猿弥さん(剛太)、いてうさん(末吉)、鶴松さん(静)。皆さん役にとても合っていました。特に猿弥さん、うまい

亀鶴さん(源乃助)、お久しぶりです~。えっと、、、太られた(^_^;)?。大好きな役者さんだけどこういう凄みのある悪役(そこに理由はあるとはいえ)を私は見慣れていないせいか、あまり似合っておられないような気がしなくもなかったけれど、久しぶりにたっぷり姿を見られて嬉しかったです。2番目の太郎のときの明るい源乃助、楽しかった~。亀蔵さんのゴルフとともに笑。

ところで中村屋の公演について私は全然詳しくないのですが、コクーンと赤坂では違いを設けているのでしたっけ?(この2つと平成中村座の違いはなんとなくわかります)
「これは歌舞伎なのか否か」という疑問がもし提起されるなら、その歌舞伎味のレベルは、私にはコクーンの三人吉三と今回の赤坂は同じくらいの感覚に感じられました。そして古典等の歌舞伎がこちらに引きずられて崩壊してしまうような事態になるわけではないのなら(そして役者の身に沁みついている歌舞伎味が薄れてしまう事態になるわけではないのなら)、これはこれであっていい、選択肢は多い方がいい、と感じたのもコクーンのときと同じ。観終わった後に歌舞伎座の歌舞伎が懐かしく感じられたのも同じ。ただ個人的には今回の作品は歌舞伎と思って観るよりも、演劇と思って観た方が素直に楽しめる作品のように感じました。でも大向こうさんの掛け声になんの違和感も覚えなかったということは、やっぱり歌舞伎といってもいいのでしょうかね。

ストーリーについては咀嚼しきれていない部分も沢山あるのだけれど、観る前はポスターの絵から「太郎と歌の物語」なのだろうなと思ったのだけど、実際に観たらちょっと違った。
ポスターのコピーに「愛する女のために転生する男」とあったからてっきり一途でピュアな男の純愛物語かと思っていたら、一途は一途だけど、どの生まれ変わりの世界でも太郎はダメな部分のある不完全な男で、彼は「歌のため」と言いながら結局は「自分のため」に生きてしまっているのよね。でもそこがいい。ヒーロー的な主人公よりもそういう主人公に共感してしまう私もどうかとは思うけれど
そんな自分勝手だった自分にようやく気づいたときには、歌の兄になっていて。やっぱり彼には歌を幸せにすることはできないのだよね。


ちょっとわかりにくかったのは、太郎は生まれ変わったときに前世の記憶を残しているのか否か。勘九郎はインタビューで「転生する度に太郎の性格は変わります。転生によりなりたかった自分に変わりますが、転生前の記憶はありません。」と言っているけれど、前世で自分が埋めた場所からお金を掘り返したり、源乃助に生まれ変わった後でも「歌の好きな男って…そういうことだったのか!」って前世で歌が言っていた言葉を覚えていたりするので、「太郎に転生前の記憶はない」と言い切るのはムリがあるような。。父ちゃんに「太郎って奴が現れたら伝えてくれ」って言うのもあったなぁ。そんな大切なことは瀕死の父ちゃんに頼むんじゃなく自分で言いなはれ。酒に逃げていないで。そして歌のために、しばらく歌の前から姿を消しなはれ。源乃助も相当に不完全な人間だよねぇ。太郎の生まれ変わりなんだから当然か(イヤな夢幻、じゃない無間ループだなァ)。まあその不完全さがいいのだけれど。

歌と源乃助が愛し合っていることは最初からなんとなくわかったけど(歌舞伎の定番という点からも)、太郎が源乃助になる展開は読めなかったなあ。というか、ここは今でもよく咀嚼しきれていない部分。太郎は転生する(源乃助に転生させられる)たびに「なりたかった自分になる」を繰り返していて、結局それは「歌を本当に幸せにできる人(歌が愛している人、歌に愛される人)になる」ことを意味しているわけで、それに近づいていく過程が「赤目」なのだろうか。で、結局その対象になれた結果、源乃助になってしまったのだろうか。で、結局源乃助が背負っていた苦しみを自分も背負うことになって、歌の幸せのためには彼女を拒絶するしかなくて。「愛する人と幸せになる」ことは、本当に難しいことなのだね。歌には剛太と幸せになる人生もあったけど(太郎の3回目の生)、あれも「愛する人と幸せになっている」わけではないものね。一方で「愛する人の幸せが自分の幸せ」という考え方もあるわけだけど、歌にとっての幸せは源乃助と結ばれることで、でもそれは叶わぬことで、つまりはそんな歌を愛している源乃助も太郎も決して幸せにはなれないわけで。
歌は源乃助(亀鶴)の人格を好きになる運命というよりは、「兄」を好きになる宿命という感じなのかな。心や魂といった観点の話ではなくて(魂の話ならどういう形で出会おうとその人に恋してしまうということになると思うけど、この話では違うよね。兄になったカンクのことを愛してる)、どちらかというと人間の業のようなもの(人間の意思ではどうにもならないもの)を描いているという感じなのかな。恋にもそういう面はありますね。

カンクが源乃助になった最後の場面とこの話の最初の場面は全く同じなのでしょうかね。私の好みとしては、同じじゃないといいなあ。同じだと閉塞的すぎてつまらない。生まれ変わりの世界がパラレルワールドのように存在しているとして、そこには良い世界も悪い世界もあって、どの世界でも逃れられない宿命みたいなものがあって、それでも私達の一生は全く同じものは二つは存在しない、良くても悪くても違っている。そういう世界観の方が私は好みです。
なんてことをとりとめもなく考えるのが私は結構好きなので笑、そういう意味でもなかなか楽しめた作品ではありました。

ただ勘九郎がインタビューで「太郎は“大江戸タラレバ男”。そこに太郎の赤い右目の謎が絡み、最後にそのからくりが明らかになります。」とはっきり言っているけれど、「最後にそのからくりが明らかに」なった感じは私はしなかったなー・・・。観終っても、謎は謎のまま。私の理解力が足りないだけかもしれませんが。
ところで舞台ではカンクの右目が赤かったけどポスターでは左目(あるいは鏡に映った右目?)が赤いことには、何か意味があるのだろうか。ないのだろうか。どっちなのだろうか。教えて、蓬莱さーん!


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