風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

漱石と子規の友情 ~その手紙より

2007-10-21 23:00:55 | 

<明治24年 25歳>
□子規→漱石(紛失)

■11月7日 漱石→子規
先いふ処のものは単に壮言大語僕を驚かせしなれば僕向後決して君を信ずまじ。また冗談ならば真面目の手紙の返事にかかる冗談は発してもらはんと存ず。また先年の主義を変じ今日の主義となりたりといはばそれでよし。人間の主義終始変化する事なければ発達するの期なし。変じたるは賀すべし、しかし変じ方の悪さは驚かざるを得ず。高より下に上り大人より小児に生長したるやうな心地するなり。僕決して君を誹謗するにあらず、唯君が善悪の標準を以て僕の言の善か悪かを量れ。
実は黙々貰い放しにしておかんと存じたけれど、かくては朋友切磋の道にあらず、君が面目に出掛けたものを冷眼に看過しては済まぬ事と再考の上、好んで忌諱に触る。

□子規→漱石(紛失)

■11月10日 漱石→子規
僕が二銭郵券四枚張の長談議を聞き流しにする大兄にあらずと存じおり候処、案の如く二枚張の御返礼にあづかり、金高よりいへば半口たらぬ心地すれど芳墨の真価は百枚の黄白にも優り嬉しく披見仕候。・・・・・・僕決して君を小児視せず小児視せば笑って黙々たるべし。八銭の散財をした処が君を大人視したる証拠なり。恨まれては僕も君を恨みます。
・・・・・・君の道徳論について別に異議を唱ふる能はず、唯貴説の如く悪を嫉(にく)むの一点にて君と僕の間に少しく程度の異なる所あるのみ。どう考へても君の悪を嫉む事は余り酷過ぎると存候。
微意の講釈は他日拝聴仕るべく候。
君の言を借りて、
(偏へに前書及び本書の無礼なるを謝す。不宜。)

<明治26年 27歳>
■12月18日 漱石→子規
大兄の御考へで小生が悪いと思ふ事あらば遠慮なく指摘してくれ玉へ。これ交友の道なり。

<明治33年 34歳>
□2月12日 子規→漱石
例の愚痴談だからヒマナ時に読んでくれ玉へ。
・・・・・・勿論喀血後のことだが、一度、少し悲しいことがあったから、「僕は昨日泣いた」と君に話すと、君は「鬼の目に涙」といって笑った。それが神戸の病院に這入って後は時々泣くようになったが、近来の泣きやうは実にはげしくなった。・・・・・家族の事を思ふて泪が出るなぞはをかしくもないが、僕のはそんな尤な時にばかり出るのでない。・・・今年の夏君が上京して、僕の内に来て顔を合せたら、などと考へたときに泪が出る。・・・しかしながら君心配などするには及ばんよ。君と実際顔を合せたからとて僕は無論泣く気遣ひはない。空想で考へた時になかなか泣くのだ。昼は泣かぬ。夜も仕事をして居る間は泣かぬ。夜ひとりで、少し体が弱っているときに、仕事しないで考へてると種々の妄想が起って自分で小説的の趣向など作って泣いて居る。それだからちょっと涙ぐんだばかりですぐやむ。やむともー馬鹿げて感ぜらる。
・・・・・・
僕の愚痴を聞くだけまじめに聞て後で善い加減に笑ってくれるのは君であらうと思って君に向っていふのだから貧乏籤引いたと思って笑ってくれ玉へ。・・・・・・しかし君、この愚痴を真面目にうけて返事などくれては困るよ。それはね妙なもので、嘘から出た誠、というのは実際しばしば感じることだが、・・・僕の空涙でも繰り返していると終に真物に近づいてくるかも知れぬから。・・・自分の体が弱ってるときに泣くのだから老人が南無あみだ南無あみだといって独り泣いてるやうなものだから、返事などはおこしてくれ玉ふな。君がこれを見て「ふん」といってくれればそれで十分だ。

(和田茂樹編 『漱石・子規往復書簡集』)

子規と漱石の間で交わされる手紙(特に若い頃のもの)は、よくこれで友情が壊れないなと感心するほどどちらも自分の意見をオブラートで包まずはっきり述べている。
根底に相手への尊敬と信頼があるから、こういう友情が成り立つんだろうなぁ。

明治24年、漱石は子規から届いた手紙の内容に立腹し、「放っておこうかとも思ったけれど、それは友人に対する礼ではないと思うから、忌憚に触れることを承知であえて返事を書く」とし、長々とかなり痛烈な批判の手紙を書いている。
これに対する子規の返事は紛失してしまっているので読むことはできないけれど子規もまた、これだけ言われておきながら適当に無視することもせず、ちゃんと返事を出している。それに対して漱石は「君なら聞き流すことなく返事をくれると思っていた」と書く。
切手の金額のくだりなど、決して重い空気にしないユーモアはどちらの手紙にも共通で、子規が死ぬまでこんな感じ。なんか、さすがだよねぇ。

似た性格というわけでもない二人は、時に衝突しつつも決してその友情は壊れることなく、明治33年の病床の子規の手紙からは二人が育んだ友情の深さがみてとれる。

こんな友人が私にはいるか・・・というと、考えこんでしまう。
うらやましくなってしまいます。

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