風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

四国旅行その1 ~松山~

2017年04月18日 20時58分44秒 | 旅・散歩



二泊三日で四国旅行に行ってまいりました~。
メインはニザさま15年ぶりのこんぴら歌舞伎だったのですが、その前後に行った松山も高松もすんごく楽しかった!
というわけで、順を追って旅行記を

【一日目:松山】

まずは伊予松山からスタート。
ところで皆さま~、今年はわが国の文学においてどういう年かご存知ですか~。




そう、今年は夏目漱石と正岡子規の生誕150年の年なんです。
各地でイベントは行われていても、これほど街をあげてお祝いしているのは日本広しといえど松山以外にはあるまい。
漱石も子規も好きな私には、今年の松山はパラダイス~


子規といえば『坂の上の雲』。というわけでまず最初に訪れたのは、坂の上の雲ミュージアム。

明治というこのオプティミズムの時代にもっとも適合した資質をもっていたのは子規であつたかもしれない。私は「子規居士」という名をきくだけでも言いようのない痛々しさといとおしみをおぼえるのだが、このひそかな私の感情は、子規においてときに突きとばされるような感動をおぼえるその底ぬけの明るさや稚気と表裏をなしているようにおもえる。
この子規の気分が子規だけでなく明治三十年代までつづくこの時代の気分であるようであり、その気分は好古にも真之にも通いあい、調べていてときに同一人物ではないかと錯覚する瞬間がある。時代のふしぎさというものであろう。
(司馬遼太郎 『坂の上の雲』より)

司馬さんの描く秋の透きとおった空のような子規が大好き。
このミュージアムは映像展示がよく出来ていて、思いのほかここで時間をとってしまった。
『ひとびとの跫音』に出てくる人達に関する展示もあって嬉しかったです。
明治20年に真之が子規に出した手紙がすごく綺麗な英語で書かれていて(このとき真之も子規も19歳)、なんだかもうね・・・


ミュージアムの窓から見た萬翠荘。


萬翠荘から見たミュージアム。


萬翠荘内部。
中央階段のステンドグラスの海と帆船の解放的な絵柄が素敵。
朝イチの飛行機で羽田を発ったのに、この時点ですでに正午~。。。


お昼ご飯は、漱石や子規も好んで食べたという松山の郷土料理、もぶり飯/松山鮓(左)と五色そうめん(右)

1892年(明治25年)8月、大学予備門の学生だった夏目漱石が初めて松山を訪れ、正岡子規の家に立ち寄ったとき、母、八重がもてなしたのが松山鮓であり、漱石は大いに喜んだ。
和服姿にあぐらをかいて、ぞんざいな様子で箸を取る子規の前で、極めてつつましやかに紳士的な態度であった漱石は、洋服の膝を正しく折って正座し、松山鮓を一粒もこぼさぬように行儀正しく食べていたそうで、その時の様子は、同席していた高浜虚子が、書物の中で回想しており、後々に語り継がれている。
(wikipediaより)


午後の最初の目的地は、松山城に向かう途中にある秋山兄弟生誕地(写真右の建物)。
兄の好古は死の半年前までこの家に一人で住んでいました。その理由はこちら
現在の家は、空襲で焼ける前の当時の家を忠実に再現したもの。


この好古による書は、複製ではなくオリジナルだそうです。


庭に当時のままにある、秋山兄弟産湯の井戸。
説明員のおば様に「今日はこれからどこ行くん?」(←方言はいい加減です)と聞かれ、「ええと、松山城行って、子規堂行って、子規記念館行って、道後温泉行って」とのんびり答えていたら、「あらこんなところでのんびりしてる場合ちゃうわ 早よお城に行き!時間あらへん!」と。
このおば様の一言のおかげで、どれほど助けられたか。
ここで急かされていなかったら、子規記念館か子規堂のどちらかは確実に行けなかったと思います。おばちゃん、ありがと~~~!


松山城の黒門口登城道。
ドラマのオープニングで好古、真之、子規の3人がかけ上っていく坂。大好きな場面。
同じくオープニングで3人が写真を撮っていたあの場所は、現在工事中で入れませんでした




瀬戸内海が望めます。








大天守より。


石垣の曲線が美しい。
松山城を見終った時点で14時半になっていました。


路面電車で松山市駅に移動して、子規堂へ。
子規が17歳まで過ごした家が再現されています。


内部には子規や漱石に関する遺品や遺稿が多数展示されています。
外国からの方も来られていて、「Shiki~」と熱心に見学されていました(^-^)


真之が子規に送った羽根布団の生地。ローラアシュレイみたいで素敵


一部は我が地元に貸し出し中。
生誕150年を記念して神奈川近代文学館では正岡子規展(開催中)が、鎌倉文学館では今月22日から漱石展が開催されます。


子規の勉強部屋。


子規堂の向かいには、『坊っちゃん』に出てくる当時の列車の客車(ホンモノ)が展示されています。


中にも入れるんですよ~。




今では本当に遠くなってしまいましたが、こうして平成29年になっても子規や漱石の足跡がのこっていて訪ねることができることは幸せなことです


時間がないのでサクサクいきます。路面電車に乗って道後温泉へ。


子規記念博物館。この記念館のある道後公園はお花見客でいっぱいでした
到着したのが16時。閉館は17時


内部に再現された、愚陀仏庵。
漱石と子規が一緒に住んだ家です。
この記念館、思いのほか興味深い資料が沢山あって、全部をじっくり見るには1時間では時間が足りなくて残念;;
でもとりあえずは最初から最後まで見ることはできてよかったです。

展示品は複製も多かったですが、印象に残ったオリジナルの展示としては、
・明治28年4月に子規が日清戦争の従軍記者として遼東半島に行ったときに持っていた鞄。
・明治28年10月に漱石が松山から東京に帰る子規に送った送別の句「お立ちやるかお立ちやれ新酒菊の花
・明治31年3月に子規が漱石に宛てた手紙「歌につきては内外ともに敵にて候」
・明治31年7月に子規が河東銓に送った自身の墓誌銘。「正岡子規又ノ名ハ処之助又ノ名ハ升又ノ名ハ子規又ノ名ハ獺祭書屋主人又ノ 名ハ竹の里人・・・」という有名なあれです。「アシャ自分ガ死ンデモ石碑ナドハイラン主義デ・・・」の書簡に同封されていたもの。
・明治35年頃に描かれた「来年の萩」と題された子規自筆の萩の花の絵。子規は明治35年9月に亡くなりました。


閉館ギリギリまで子規記念館を見学し、それから歩いて道後温泉本館へ
お目当てだった神の湯2階席コースは40分待ちとのこと。
今年の秋から長期の耐震工事に入るせいか、混みあっているようです。
風邪気味でもあったので入浴は諦め、見学のみ(250円だったかな?)のコースにいたしました。


皇室の方々が入浴される又新殿を見学した後は、3階の「坊っちゃんの間」へ。夕暮れの風が気持ちのいい角部屋です(目の前はビルですけど^^;)。
ここに上がる途中で2階の大広間の様子も見えましたが、入浴後に浴衣で涼んでいるお客さん達がとても気持ちよさそうでした~。


最後に本館の周りを一周して、道後温泉駅へ。


道後温泉駅。路面電車に乗り、今夜のホテルのある大街道へ戻ります。


夕食は松山の郷土料理のさつま汁。
と、追加で水蛸の天ぷらと内子の日本酒京ひな(このお酒、美味しかった)。
"かどや"さんというお店でいただきました。


今回の旅行では鯛めしを食べられなかったのが心残りですが、次回の楽しみにとっておきます。
子規と漱石の生誕150年の年にこの街に来られて幸せでした


お土産に買った一六本舗の御菓子『坂の上の雲』

翌日は朝から琴平に向かいました。

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