風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

オルセー美術館展 印象派の誕生―描くことの自由― @国立新美術館

2014-10-19 00:15:19 | 美術展、文学展etc

月曜日で終了するオルセー美術館展に、滑り込みセーフで行ってきましたー。
この一週間は毎日夜20時まで開館という素敵サービスをしてくださっておりまして、とはいえ最後の週末だから混んでるかなと思いきや、空いてた!もちろん有名どころの絵にはそれなりに人はおりましたが(といっても数人)、それでも東京でオルセーでこの空き具合は素晴らしい!
17時から2時間半たっぷり堪能することができました。

ミレーの『晩鐘』は昔オルセーで見たときはもう少し小ぶりに感じたのだけど、十数年ぶりに見たら記憶より大きかった。
モネの『草上の昼食』も、オルセーで見たかどうかは記憶にないのだけれど(見た記憶はあるけどマネの方だった気がする)、想像より遥かにデカかったです。
そしていつも感じるごとく、やっぱり海外で見るより日本で見た方が一つ一つの絵が立派に見えるなぁ、と。空いていれば、ですが。
国立新美術館、久しぶりに行きましたが、良いですね!B1Fのカフェもそこそこ手頃なお値段でよい。

以下、今回のお気に入り♪

【2章 レアリスムの諸相】

ギュスターヴ・カイユボット『床に鉋をかける人々』 1875年

【4章 裸体】

ウィリアム・ブグロー『地獄のダンテとウェルギリウス』 1850年
ウェルギリウス(一番左の草冠の御方)ってイケメンに描かれることが多い気がするのは気のせい?
そして題名の二人より明らかに目立ってる裸体二人^^;

【5章 印象派の風景 田園にて/水辺にて】

クロード・モネ『かささぎ』 1868-69年
モネが描く雪の絵、すごく好きなんです。
この絵も写真だとわかりにくいけれど、雪の色にピンクやブルーやイエローが混ざっていて、そこに陽が当たった様子の美しいこと。。。
雪の匂いや澄んだ冷たい空気が伝わってくるよう。


カミーユ・ピサロ『白い霜』 1873年


アルフレッド・シスレー『ルーヴシエンヌの雪』 1878年

あれ?雪景色ばかりになってしまった。。
好きなんです、雪の絵。

【7章 肖像】

ジェームズ・アボット・マクニ―ル・ホイッスラー『灰色と黒のアレンジメント第1番 画家の母の肖像』 1874年

【8章 近代生活】

エドガー・ドガ『バレエの舞台稽古』 1874年
チュチュの透け感がきれー。


アンリ・ファンタン=ラトゥール『テーブルの片隅』 1872年
一番左がヴェルレーヌ、その隣で頬杖をついているのがランボー。
彼らの生前にリアルタイムで描かれた絵ですよ!
1872年というと、ランボーは18歳ですね。

【9章 円熟期のマネ】

エドゥアール・マネ『アスパラガス』 1880年
マネがある人にアスパラガスの束の絵を800フランで売ったところ、その人はその絵をえらく気に入り1000フランを支払ってきたそうです。そこでマネは「先日お送りした束から一本抜け落ちていました」と言って、この絵を贈ったのですって。
なんて洒落たエピソードでしょう!
今回の展示会はマネで始まりマネで終わりましたが、会場を出るときにはすっかりこの画家のファンになってしまいました。


エドゥアール・マネ『ガラスの花瓶の花』 1882年
1880年頃から急激に体調を崩したマネは、パリから郊外に移り住みました。生粋のパリジャンだった彼にとってそれはとても辛いことで、そんな彼のささやかな楽しみはこのような静物画の小品を描いて人に贈ることだったそうです。
「彼のパレットから生まれた花はしおれることがない」。マネの絵について、画家ジャック=エミール・ブランジュが言った言葉です。


エドゥアール・マネ『ロシュフォールの逃亡』 1881年頃
今回一番最後に展示されていた絵です。
ナポレオン3世によりニューカレドニアに追放されたロシュフォールが島を脱出したのは1874年。
そんな同時代に起きた事件を、マネはまるで伝説の出来事のように壮大に描きました。
月光に照らされた荒波の力強さと美しさ。
マネは若き日に見習い船員として航海に出たことがあり、その経験がこの絵に活かされたようです。
1883年、彼は壊疽した左足を切断し、同年4月30日に51歳で亡くなりました。

パリまで行かずにこんなに多くの素晴らしい絵が楽しめるなんて、1600円は決して安くはなかったけど行ってよかった。
しかしこうしてブログで自分の好きな絵だけを並べまくれる至福といったら。。。
あー自分の大好きな作品ばかりを思い切り飾れる部屋とお金が欲しい!
そしたらあの高い複製画を買うのに!


ところで今回、意外と空いていた会場で沢山の鮮やかな名画に囲まれながら、「この絵を描いた人達も、ここに描かれている人達も、今はみんないないんだよなぁ」と、ふとそんなことを思いました。今まで美術展でそういう風に感じたことは、あまりなかったのですけど。
会場の説明文で、「近代は彼らにとっての現代であった」という文章があって、本当にそのとおりなんですよね。
ふっと、Monty Pythonの"Decomposing Composers"を思い出しました。
これまで以上に画家を身近に、より生々しく、だから一層愛おしく感じられたからかもしれません。
印象派の見方が変わったなぁ。


Decomposing Composers (Monty Python)


Beethoven's gone, but his music lives on
And Mozart don't go shopping no more
You'll never meet Liszt or Brahms again
And Elgar doesn't answer the door

Schubert and Chopin used to chuckle and laugh
Whilst composing a long symphony
But one hundred and fifty years later
There's very little of them left to see

They're decomposing composers
There's nothing much anyone can do
You can still hear Beethoven
But Beethoven cannot hear you

Handel and Hayden and Rachmaninov
Enjoyed a nice drink with their meal
But nowadays, no one will serve them
And their gravy is left to congeal

Verdi and Wagner delighted the crowds
With their highly original sound
The pianos they played are still working
But they're both six feet underground

They're decomposing composers
There's less of them every year
You can say what you like to Debussy
But there's not much of him left to hear

Claude Achille Debussy, died, 1918
Christophe Willebald Gluck, died, 1787
Carl Maria von Weber
Not at all well, 1825, died, 1826

Giacomo Meyerbeer
Still alive, 1863, not still alive, 1864
Modeste Mussorgsky,1880
Going to parties, no fun anymore, 1881

Johan Nepomuk Hummel
Chatting away nineteen to the dozen
With his mates down the pub
Every evening, 1836, 1837, nothing

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