風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

ネルソン・フレイレ ピアノリサイタル @すみだトリフォニーホール(7月4日)

2017-07-06 01:03:59 | クラシック音楽



台風接近中の雨の中、すみだトリフォニーホールへネルソン・フレイレのリサイタルを聴きに行ってきました
現在72歳のフレイレ。日本でのリサイタルは12年ぶりだそうです。S席6500円とこのクラスのピアニストのリサイタルとしては非常にお得なお値段だったのですが、客席の埋まり具合は7~8割程度だったでしょうか。
会場に入ったら、なぜか舞台の上にはガランと何もない。ピアノがセットされていない。こんなリサイタルは初めてです。結局セットされたのは15分前くらい?でした。
私の今回の座席は、なんと最前列中央。次回こんな席に座れるのはいつかしら。。。音は思いきり直接音なのでそういう意味での良し悪しは好みが分かれるかもしれませんが、自分の前にピアニスト以外の誰もいない状況でその演奏を聴けるのは至上の幸福でございました(ちょっと位置は上だけれども)。

舞台に現れたフレイレは、なぜかチャイナ風服。これは彼なりの日本人へのサービスなのかしら、それとも国とか気にしてなくてただ着たいものを着ておられるだけかしら

以下、あくまで普段クラシックを殆ど聴かないど素人の感想です。

J.S.バッハ(ジロティ編)/前奏曲ト短調 BWV535
J.S.バッハ(ブゾーニ編)/コラール《主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる》BWV639
J.S.バッハ(ブゾーニ編)/コラール《来たれ、創り主にして聖霊なる神よ》BWV667
J.S.バッハ(ヘス編)/コラール《主よ、人の望みの喜びよ》BWV147
【シューマン/幻想曲ハ長調作品17

正直なところ今夜の前半のフレイレは、あまり調子が良くないように見えました。
動画でしか知らないけれど、この人はこんなに弾きにくそうに演奏をする人だったろうか?と首を傾げつつ聴いていました。お顔の表情、指の動き、聴こえる音に、演奏にあまり入り込めていないぎこちなさのようなものが感じられたんです。バッハの後のお辞儀も、あの笑顔で笑ってはおられたけれど、イマヒトツしっくりきていないようなお顔。

シューマンの第二楽章あたりからは音が活気を帯びてきたように感じられたのですが、演奏後のご本人の表情はまだちょっと冴えないご様子。もっともこの時は演奏が完全に終わって手を下ろして膝の上に置いても何故かいつまでも会場から拍手が起こらず、フレイレが椅子から立ち上がってようやく拍手が起きたので、ちょっと戸惑っておられたのもあるかもしれません。

SNSを読むと私と同じ感想(前半は不調に聴こえたという感想)をあげておられる方は数人のみで、殆どの人は気にならなかったようです。はっきり不調とわかる演奏をしていたわけではありませんし、実際のところは私にもわかりません。
誤解のないように書きますと、私はフレイレの弾くバッハもシューマンの幻想曲も大好きなのです。特にシューマンは、youtubeでライブ録音を聴いて、この人の演奏を聴いてしまうと他のピアニストの演奏は聴けなくなってしまうのではないかと心配になったほど好き。

ところでヘス編曲の「主よ人の望みの喜びよ」は私が数十年前の記憶で暗譜で弾ける数少ない曲の一つなのだけれど、とてもフレイレのような透明感のあるポロポロとした弱音では弾けません。あんな音で弾いてみたい。。

20分間の休憩)

【ヴィラ=ロボス/《ブラジル風のバッハ》第4番より「前奏曲」】
【ヴィラ=ロボス/《赤ちゃんの一族》より「色白の娘(陶器の人形)」「貧乏な娘(ぼろ切れの人形)」「小麦色の娘(張りぼての人形)」】
【ショパン/ピアノ・ソナタ第3ロ短調作品58

フレイレさん、休憩で気分転換をされたのか、休憩中の調律も良かったのか、あるいはヴィラ=ロボスだからか、後半は第一音から前半と全く違う音 音の意思がはっきりしていて、お顔の表情も演奏も、すごく生き生きとされていました。弾き終わった後のお辞儀のときの目の表情も、全然違う(というか弾き終わった瞬間にもう笑顔になられていた)。そういえば前半ではバッハとシューマンの間で一度舞台袖に引っ込まれたのですが、ヴィラ=ロボスとショパンの間ではそれはありませんでした。そしてここからはリサイタルの最後までずっと、非常に素晴らしい演奏を聴かせてくださいました。

フレイレが愛している母国ブラジルの作曲家ヴィラ=ロボス。フレイレのピアノの魅力がこれ以上ないほど発揮されて、ピアニストが曲と完全に一体になっていて、もうオールヴィラ=ロボスプログラムでもいいですよ、と思うほど聴き入ってしまう演奏でした。ツィメルマンのシマノフスキのときを思い出した。赤ちゃんの一族では、もうコンサートホールとは別世界の場所に私はおりました。

ショパンも素晴らしかった。フレイレの弾き方って結構独特で、「いわゆるショパン」らしい甘さや激しさは少ないのだけれど、「フレイレのショパン」の甘さとロマンティックさがあると思う。ショパンの一つの弾き方として最高峰ではなかろうか。なにより透明な音の奥に温かな優しさと人間味があるのだけれど、それが全く押し付けがましくなく自然体で、更に温かみだけじゃないプラスアルファがあって。それは何かというと、フレイレの人生であるように感じられました。フレイレの人生とショパンの人生がこの曲の中で重なったような、そんな心に響く演奏でした。
そしてフレイレのクマさんのような手が鍵盤の上を縦横無尽に動いてあの音の洪水が紡ぎだされるのを目の前で見るのは、非常に楽しかった。というか目の前で見ていたけど何が起きているのか全くわからなかった@@

「私は、ショパンはけっして声高に叫ぶ音楽ではないと思う。最近の若いピアニストは鍵盤をガンガン力任せに叩き、猛スピードで突っ走るような演奏をするけど、私はそのような演奏はしたくない。ショパンの楽譜をじっくり読み、時代を考慮し、ショパンの意図したことに心を配りたいと思う」
(伊熊よし子さんのインタビュー記事より)

ピアニストの演奏を生で聴く度に毎回書いてしまっていますが、ピアニスト一人一人の演奏の個性ってほんっとーーーーーにハッキリと違いますよね。もうそろそろ誰かと被ってもおかしくない頃だと思うのに、全然被らない。ペライア、光子さん、ツィメルマン、バレンボイム、ポゴレリッチ、シフ、フレイレ、みんな全く違う。本当に面白い。
初めてフレイレの演奏をyoutubeで聴いたとき、ポロポロッとした音色の軽さとその自由さに、ジャズのようにクラシックを弾く人だなあとまず感じました。ただ感情はあまり音に込めないタイプなのかなと思ったのだけれど、全然違った。この人の音って、実はすごく感情豊かで情熱的ですよね。それがわかりやすく表に出ていないから、よく聴いていないと気付けないだけで。みんな違ってみんな良いとは本当によく言ったものだと思います。そしていつも感じるように、こういう「自分の表現したいもの」をはっきりと持っている人達の演奏は、好みであろうとそうでなかろうと(フレイレの演奏はすごく好みです)、本当に聴いていて楽しい。もっともポゴさんだけはまだ私の中でどう捉えていいかわからない位置にいらっしゃるので、この秋のリサイタルを再び買いましたです。

~アンコール~
【グルック(スガンバーティ編)/精霊の踊り】
【グリーグ/トロルドハウゲンの婚礼の日(抒情小曲集より第8集作品65)】
【ブラームス/6つの小品作品118-2 間奏曲】
【ヴィラ=ロボス/子供の謝肉祭から第1番「小さなピエロの仔馬」】


「精霊の踊り」はフレイレがアンコールで好んで弾く曲だそうで、海外のレビューを読むと、毎回ではないにしろ本当にかなりの頻度で弾いています。たとえフレイレが並々ならぬ敬愛を抱いているギオマール・ノヴァエスが好んで弾いていた曲とはいえ、これほどの頻度となると、どういう気持ちで弾いているのだろう?とやっぱり考えてしまうのだけれど、今夜聴いて、もしかしたらフレイレはこの曲だけは客席に対してではなく天国にいるノヴァエスに向けて弾いているのかな、とそんな風に感じました。歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」の中でエリュシオン(死者の楽園)の野原で精霊たちが踊る場面で演奏されるというこの曲。感傷的なわけでは決してない自然体な演奏なのに、そんな風に感じた演奏でした。いや、だからこそ自然体なのかも。

続く3曲も本当に素晴らしくて、グリーグでは興奮し(楽しかった~♪)、ブラームスではまたもや別世界に連れていかれました。コンサートホールではなく、柔らかな光に包まれた花々が風にそよぐ草原にいるような。いや、本当にそういう場所にいました。そのまま眠ってしまいたかった。そしてそのまま目覚めたくなかった。私、こういう空気の中で死ねたら絶対に成仏できると思うんです。いや成仏できなくてもいいです、こんな眩暈がするほどの優しさに包まれて死ねるなら。しかしフレイレさんはそれを許してくれず、再び絶品のヴィラ=ロボスで軽やかにお茶目に「さあおうちにお帰りなさい」と送り出してくださったのでした。はい、ちゃんと帰ります。
後半の絶好調なフレイレでバッハとシューマンをもう一度聴きたいと切に思ってしまいましたが、それは贅沢な願いというものですね。

ところで最前列では近すぎてフレイレと目が合うことなんてないのではと思っていたけれど、例のスマイルでにこーと微笑んでくださいました。こちらもにこー

次回は金曜日の読響×飯守さん×フレイレで、ブラームスのピアノ協奏曲2番です。実はフレイレのこの曲の演奏は録音で聴いた限りではあまり好みではないのですが、はてさて実演、楽しみです。フレイレの演奏をもう一度聴けるだけでも楽しみ。あと初めてのワーグナーも!


上記euronewsのインタビューより。
“What’s touching about Nelson is that he is filled with doubt, he is always searching… he gets nervous before each concert. For me, that is the very sign of a great artist. A great artist is someone who is always questioning himself. Certainty is not something that is essential in music,” Capuçon told us.

“He is also an exceptional human being, because there is that gentleness about him, which you also find in his piano playing, that intelligence, of course. You know, it’s no secret: when artists remain at that level over the course of a career that spans more than fifty years, it’s because they really have something to say, they are not like those artists who come and go, and that’s why they are great masters and why we are so proud and happy to have them here at the festival.”



――とりわけフレイレさんの音の美しさには惚れ惚れしてしまいます。何か秘密はあるのでしょうか。

サウンドの探求は私にとって重要な課題です。幸運なことに、ブラジルで最初に師事したニセ・オビノ先生とルシア・ブランコ先生にとって、サウンドは最優先すべき要素のひとつでした。彼らは何よりもまず演奏テクニックというものを、しかるべきテンポを維持しながらサウンドを表現するための手段とみなしていました。オビノとブランコはまた、それぞれの作曲家の様式を捉えることの大切さを教えてくれました。私は、昨今の演奏において様式の問題が軽視されているように感じることがあります。作曲家の世界に没入することよりも、自分自身の個性を示すことに心血を注いでいる演奏者がいるという意味において。

――今回の来日では、リサイタルのほかに読売日本交響楽団とブラームスのピアノ協奏曲第2番を共演されます。この曲はシャイー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管との素晴らしい録音がありますね。

ブラームスは私にとって、付き合いの長い、かけがえのない友人のような存在です。ブラームスの音楽を深く愛するようになったのは、23歳の時に、オビノ先生が《ラプソディ第1番》をコンサートで演奏するのを聴いた時です。その後、ブラームスのすべての作品を知りたいと思うようになりました。さて、ピアノ協奏曲第2番を初めてレッスンで弾いたのは14歳の時です。ウィーンでブルーノ・ザイドルホーファー先生に師事した際に最初にみていただいたのもこの曲でした。以来、協奏曲第2番は私の演奏家としての人生に絶えず寄り添ってくれています。そう、私は自分のレパートリーを擬人化する癖があるのです!ところで、ブラームスのピアノ協奏曲第2番には、私がピアノを始めたばかりの頃の思い出が詰まっています。自分の人生でもっとも幸せだった数年と言えるでしょう。新しい出会いや新しい経験に満ちた時代でしたし、当時は今のように演奏家としての責務をひしひしと感じたこともありませんでしたから……(笑)
KAJIMOTOインタビューより抜粋)




2003年?制作のフレイレのドキュメンタリー。現在購入不可。
6:22~ アルゲリッチとフレイレ。なんて空気でしょう。どなたか英訳プリーズ~~~!
14:49~ ギオマール・ノヴァエス。二人のそれぞれの「精霊の踊り」が聴けます。涙なしには聴けません。どなたか英訳プリーズ~~~・・・。
40:48~ フレイレのヴィラ=ロボスに聴きいる愛犬ちゃんが見られます。
1:09:13~ ピアノを掃除するアルゲリッチ(ブリュッセルのアルゲリッチの家のようです)。その傍らのソファで寝転がっているフレイレ笑。そして仲良く一緒にお掃除。誰か英訳を・・・。


ヴィラ=ロボス/《ブラジル風のバッハ》第4番より「前奏曲」
フレイレの演奏の特徴として色っぽさというのはまず聞かれない言葉だけれど、フレイレの音ってこの人独特の色っぽさがあると思うのですけど、そう思いません? いずれにしてもそういう面は非常にわかりにくい、謙虚でシャイな自由人、フレイレ氏なのでありました。

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