SHIN-GEN-SAI 【箴・言・彩】

珠玉の名言・箴言をイシューします。

内田樹の言葉5

2012-05-26 04:25:49 | 学問

「幼児や病人や老人の面倒を押しつけられると私の自己実現の障害になるから、そういうものの面倒は行政が見ろ」と声高に言える人は、「幼児であり、病人であり、老人である自分」を勘定に入れ忘れている。かつて自分がそうであり、これから自分がそうなるかもしれないものとして「家庭内弱者」をとらえたときにはじめて、家庭内の誰かに過度の負担をかけることもなく、行政に丸投げするのでもなく、弱者たちをどういうふうに細やかにすくい上げてゆくかという問題が「自己救済」の問題として立てられることになる。

内田樹・下流志向より
これ、地域医療や福祉の根幹であろう。
まさに今、そういうものが忘れられようとしており、
その結果がこのような当事者不在のこれらの問題となって噴出している。
我々のこの時代の変化を、再び古き良き時代に戻すことはできるのだろうか?
いろんな事を考えさせられた好著であった。

 

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内田樹の言葉4

2012-05-19 05:07:42 | 学問

人から尊敬される方法はひとつしかないんです。「人を尊敬するとはどういうことか」を身をもって示せると言うことです。その人に敬意を示す仕方を私たちは、その人が他人に敬意を示している当の仕方を通じて学ぶからです。だから、他人に対して敬意を受けたことのない人間が他人から敬意を向けられることはあり得ないわけです。

内田樹・下流志向より
これ、本当だね。だからこそ寛容で他者を敬うことが重要なのである。
できている人って、目下の人に対しても、それを臆せずできる人だよね。
まさに、無限の尊敬。
いちいち腑に落ちた・・・。

 

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内田樹の言葉3

2012-05-12 04:33:05 | 学問

師であることの条件は師を持っていること

内田樹・下流志向より
スターウォーズのアナキンとオビ=ワンの関係から、
現代の教育、果ては師弟関係の真理を読み解く。
「俺は師よりも強い」という自信を得て自己完結したアナキンよりも、
弟子に背かれた後も騎士道につながっているオビ=ワンのヨーダに対する敬意は些かも変わらない。
師を超えたと思い成長をやめたアナキンと、
師は超えられないと信じて成長を止めないオビ=ワンでは、真にどちらが強いかは自明であろう。
次の世代にバトンを渡すパッサーとしての役割をわかっていることが即ち「成長」である。
我々の教育の世界で、最近教えが響かないのは、この「成長」を認識できないものが増えたからか。
奥が深い・・・。

 

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内田樹の言葉2

2012-04-28 05:35:30 | 学問

現在の教育の問題は、単に子供たちの学力が低下しているということではありません。それが子供たちの怠惰の帰結であるのではなく、努力の成果である、ということです。

内田樹「下流志向」より。
結局、現在のような学習をきちんとしない子供が増えたのは、
教育を「等価交換」するような考えが浸透したことにある、とのことである。
至極納得、そしてこのマイナス方向のベクトルから良循環へ変えていくことの難しさを痛感する。
しかし、誰かがやらねばならない。
いつの世も、困難が先にあったものが、それを追い越して克服してきたものだ。

さて来週はGWで更新をお休みします。よい連休を!

 

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内田樹の言葉1

2012-04-21 04:41:47 | 学問

去年、ある国立大学で集中講義をしたときに、その大学の新聞部の学生からインタビューを受けたことがあります。その学生が発した最初の質問が「現代思想を学ぶことの意味は何ですか?」というものでした。その問いを発した学生は、もし僕がこの問いに説得力のある回答をしたらそれを学んでも良いが、僕の答えに納得できなければ「学ばない」と宣言しているわけです。つまり、ある学術分野が学ぶに値するか否かの決定権は自分に属していると言うことを、問いを通じて表明しているのです。僕はこの傲慢さと無知に殆ど感動しました。

内田樹「下流志向」より。
ショッキングだった。
なぜ、最近の若者は勉強しないのか、その答えが「等価交換」にある。
そしてそれが上述の形で結実し、結果、教育の荒廃を招く。
そもそも教育に「価値」を求めてはいけないと言うこと。
価値で示せないからこそ教育の意味があるのであり、
そこから無形の財産が生まれるのである。
学びからの逃走を計る彼らを何とかしなければ。
若者の、この国の、未来はないと思うのであるが・・・。

 

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喜嶋先生の静かな世界4

2012-04-14 04:52:16 | 学問

ただ、今になって思うのだけど、若いときには、「これは解けるはずだ」と信じることができた。そこが若い研究者のアドバンテージだ。研究者が若いうちに業績を挙げる理由は、ここにある。年齢が増すほど、解けない例を知ってしまうから、もしかして、これは無理なのではないか、と疑り深くなり、それに比例して、少しずつ研究の最前線から退くことになる。これは、自信がないという状態とは全く違う。研究は、気合や自信で進められるものではないからだ。

森博嗣「喜嶋先生の静かな世界」より
これが実感できると言うことは、私も歳をとったと言うことか。
もっと早くに、この世界へたどり着いていたらという思いとともに、
遅れてきたからこそ、理解できるということもある。
周りが見えれば見えるほど、自分の立ち位置に愕然としてしまう。
知らないでいることがどれほど幸運なのか・・・。
このシリーズもこれで終わり。
学者の真実に迫った好著だったね。

 

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喜嶋先生の静かな世界3

2012-04-07 05:04:58 | 学問

そういう文化を否定しているのではない。ただすくなくとも、研究者の間では、言葉が、それが意味するところ、その意味から形成される共通認識がすべてだ。怒った顔で話そうが、笑いながら言おうが、言葉の意味とは無関係なんだ。どんな言葉を使ったか、それがすなわち、研究者の心だ。だから普段から、いつも自分の心のまま、考えたまま、正直に言葉にするようにしたほうがいい。それが誠実な研究者というものだ。親しい人に対しても、駄目なときは駄目という。いけ好かないやつでも、そいつのいっていることが正しければ、拍手を惜しまない。信用できる研究者っていうのは、そういうものだ。感情なんてちっぽけなものに流されてはいけない。君も後三年もすれば、きっとわかるよ

森博嗣「喜嶋先生の静かな世界」より
信じられるものは、目に見える部分のみ。
客観的事実のみが真実を証明してくれる。
そういう意味では、大変にわかりやすい、それが研究であり、学問である。
でも、実際の世の中はそんなにきっぱり割り切れるものじゃないけどね。
だから、再現性を問題にするし、妥当性も必要になってくるんだ。
曖昧なものはどこかへ置き忘れてきたいものだね。

 

 

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喜嶋先生の静かな世界2

2012-03-31 05:08:15 | 学問

「普通の人間は、言葉の内容なんかそっちのけで、言葉に表れる感情を読み取ろうとする。社会ではそれが常識みたいだ。〜特に日本の社会は、言葉よりも態度を重んじる傾向が強い。心がこもっていない、なんていうだろう? 何なんだろうね、心のこもった言葉っていうのは」

森博嗣「喜嶋先生の静かな世界」より
理想と現実、建前と本音、真実と虚飾。
人間の世界はとにかく、複雑である。
相手をどれだけ慮ったかに優劣を求める。
しかし、科学的にはそれは「真」ではない、ということか。
真実は、あるがままのその世界を受け止めるところから始まる。
虚飾はその上に糊塗してあるものにすぎない。

 

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喜嶋先生の静かな世界1

2012-03-24 21:19:52 | 学問

良い経験になった、という言葉で、人は何でも肯定してしまうけれど、人間って、経験するために生きているのだろうか。今、僕がやっていることは、ただ経験すればよいだけのものなんだろうか。経験を積み重ねることによって、人間はだんだん立派になっていく。でも、死んでしまったらそれで終わり。ふりだしにさえ戻れない。

森博嗣「喜嶋先生の静かな世界」より
大学院の日常を淡々と描く、ただそれだけの小説である。
しかし、学問とは、研究とは何かと言うことを的確に表現している。
自分も院生だったのでまさに実感。
禅問答のようだが、ひとつひとつの言葉に意味があるところが学問の深さではないだろうか。

 

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野口みずきの言葉。

2012-03-17 04:54:21 | その他

「ずうずうしいと思われるかもしれないが、諦めないで進んでいきたい。まだ辞めません」

名古屋ウィメンズマラソンで6位に入った野口みずき選手の言葉。
そう、度重なる体調不良で限界説もささやかれる中の復活劇。
やはりこの人にはこういう言葉が似合う。
そして、私もまさに諦めないで前向きに生きることを常としているのは同じ。
自分もいつかきっと。

 

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