風の旅人 西村一広 Sailing Diary

海とセーリングだけの人生で考えたこと、悩んだこと、感動したこと、学んだこと、あれやこれや。

9月27日 神前結婚式とOHANA

2010年09月27日 06時12分35秒 | 日本の文化
今日のセーリング仕事の予定が雨のために順延になり、溜まっているデスクワークを一気に進めるチャンス。

なのに、仕事を始める前に、昨日の出来事を日記に書き記しておきたい、と強く思う自分がいます。
そういう感動に打たれた、昨日、2010年9月26日でした。

それなので、あらかじめ断っておきますが、今日の日記は長くなります。

9月26日。
相模湾は、台風と次の低気圧接近の合間の、つかの間のセーリング日和。
朝10時に葉山・鐙摺新港に集まって、出艇し、HAYAMA SAIL スティングレイのテスト。

「秋の風が吹いて、船をたたむころー」と、かつて南沙織が歌っていた秋になり、相模湾にも、湿気の少ない、爽やかな東北東からの風が吹いている。
その風に乗るために、港を出てすぐにHAYAMA SAIL スティングレイを、スルスルと開く。



舵をオートパイロットに任せるが、舵柄を見ていると、ほとんど動かずに中央で静止したまま、船が直進している。クォータリーからデッドダウンウインドを走るのに、非常にバランスの良い、保針性の高いセールであることを改めて知る。

近くに、スピネーカーを揚げてジャイブを繰り返しながらジグザグに走っているふた回りほど大きなヨットがいて、それと比べても、真風下へのVMGに換算すると、それほど遜色のないスピード。向こうは大騒ぎしながらスピネーカーをジャイブさせている。こちらはジブシートを固定したまま、飲み物を飲みながらのんびりと雑談。

3時間ほどセーリングを続け、いくつかの改良アイディアを思い付いて、午後2時に帰港。
海岸沿いを歩いて急いで自宅へ帰る。

遅い昼ごはんを食べ、シャワーを浴びて歯を磨き、髪をとかして、家族全員で、それぞれの一張羅を着て、鎌倉へ。
今日は、一回り歳下の大切な友人、トモの結婚式。

時間に遅れそうになって焦るのが嫌なので、早めに家を出た。
鎌倉駅からは、観光客の人たちで大変な混み様になっている小町通を避けて、ほとんど人通りのない段葛(だんかずら)を通って、鶴岡八幡宮へ向かう。桜の季節でなくても、段葛の散歩はお気に入り。お土産屋さんが立ち並び、人と車の往来が激しい両サイドの舗装路とは、異なる時間が流れているような気がする。

浅い夕暮れの景色に溶けつつある緑の中を、鎌倉の初秋の空気を味わいながら、段葛をのんびりと歩く。

それでも約束の時間よりもかなり早く着いたので、待ち合わせ場所を通り過ぎて、昨年秋に倒れた大銀杏のその後の姿を見ようと、大石段の下まで行ってみた。

大銀杏は上部を切り取られて、元の場所のすぐ横に移植されていたが、その太い幹から、濃い緑の枝々が信じられないほど力強く芽生えていた。

確か、この木が根元から倒れたとき、権威ある学者さんが「再生は不可能だ」と判断した、との報道が最初に流れたはずだが、それを堂々と否定する、すごいばかりの生命力。その緑の芽吹きが、科学は万能ではないのだよ、と静かに語りかけているようだ。

大石段のすぐ下にある舞殿が、今日の結婚式の式場。
資料によると舞殿は、静御前が源義経を慕って舞を納めた若宮回廊跡地に立てられたものだという。なんのことだかサッパリ分からないが、数百年の悠久の歴史の中に存在する建物らしいことは確かなようだ。もっと日本の歴史を勉強していればよかった。
階段も床も、漆で美しく塗装されている殿内は、すでに式の用意が整えられていて、舞殿の周囲に灯す松明の準備を、係の人が始めていた。

この舞殿での結婚式を、以前たまたま見かけたことがある。
それはそれは、古式に則ったとても厳かなものだった。その結婚式に参列している方々だけでなく、舞殿に上がれず、その周囲を取り巻いて式を見ている関係者らしき人たちをさえ、羨ましくさえ思った。
今日は、いよいよ自分たちが関係者だ。楽しみ。

待ち合わせ時間が近づき、集合場所である、源平池に掛かる橋の近くへと向かう。
カウアイ島のデニス・チャンと、日本とハワイを忙しく行き来して仕事をしているプロフェッショナル通訳のI田K子ちゃんが来ているはずだったので、周りを見渡すが見当たらない。

デニスは、カウアイの短期大学のハワイ伝統学の先生であり、ホクレア号のキャプテンの一人であり、カウアイ島で建造されている80フィートの伝統外洋セーリングカヌー、ナマホエ(ハワイ語で双子座の意)のプロジェクト・リーダーでもある。

今年、7月、8月のホクレア号でのトレーニング中、カウアイ島に滞在時はほとんどずっと、ぼくはデニスの家に泊めさせてもらった。

集合場所に指定された橋の近くの灯明台の下に、大きな荷物を横に置き、和服をりゅうと着こなして立っているカップルがいる。女性は向こうを向いていて顔が見えないが、男性のほうは真っ黒に日焼けして、背の高さも体つきも丸坊主のヘアスタイルも、デニスのようにも見える。

しかし、年中サーフパンツとTシャツで過ごしているデニスが、日本人でも着付けが難しい和服を、まさかあれほどカッコよく着こなせるはずがない。
Tシャツとショーツ姿しか見たことがないK子ちゃんの、結い上げた髪と着物の後ろ姿もイメージできない。
ただ、二人の横に置かれている大きなトラベルバッグに見覚えがある。ぼくがカウアイ島で泊まっていたデニスの部屋に置いてあったものに似ている。

もし人違いだったらいつでも方向転換できるように身構えながら、恐る恐る近づいていくと、やはり、というか、なんと、というか、そのカップルは、デニスとK子ちゃんだった。

二人とも、K子ちゃんが髪を結った美容院で着付けもしてもらったのだそうだ。
デニスは、着付けを崩さないように、神妙な立ち姿で立ったまま、顔はその経緯を説明しながら破顔一笑、大笑いしている。

デニスの粋な和装に、洋装のぼくは、少し嫉妬した。
そうだ、そうだよ。次もし神前結婚式の関係者になる機会があれば、絶対に和服の正装にしよう。

日が落ちて薄い暗がりになった境内の、控え室になっていた社務所の前を出発し、巫女さんが手に持つ提灯に導かれて、新郎新婦を先頭に2列縦隊で舞殿に向かう。昔「狐の嫁入り」かなんかの絵本で見たシーンを思い出す。
この厳かな行進のことを参進というらしい。結婚式の始まりだ。

降り始めた小ぬか雨を気にしながら歩く5歳の娘に、K子ちゃんが小さな声で、「神様からの祝福の雨だよ」と教えてくれている。

ぼくは歩きながら、その前の、控え室でのことを思い返していた。

社務所に入る前、係の女性が、「えー、控え室と式場に入る方は…」と説明をし始めたとき、新郎のトモが、キッパリと「全員です」と言うのが聞こえた。

控え室では、新郎側の参列者と新婦側の参列者が、向かい合って正座して座り、まずは新郎から自己紹介を始める。それに続いて、それぞれの側の親族だけでなく、友人、その奥さん、その子どもまで、全員がお互いに自己紹介をしあう。

ぼくたち家族は、新婦のマリちゃんのほうの列に座ってしまったが、一応マリちゃんの友人でもあると言えなくもない。だから、自己紹介も「新郎の友人の」ではなく「友人の」と言うことにした。

同じく新婦のほうの列に座ったデニスは、ハワイ語で自己紹介をした。ぼくももちろん、K子ちゃんにも通訳できない。
しかし、デニスが、英語でなくハワイ語で自己紹介することにした理由は、すごくよく伝わってきた。
あの控え室の空気を察することができたデニスは、ハワイ語で自己紹介することこそが自然だと判断したのだ。

控え室で、みんなの自己紹介を楽しく聞いているときに、ふと、これまで自分が出た結婚式で、参列者全員のことを、その人自身の自己紹介で知る機会などなかったことに思い至った。

トモは、OHANA、ということを考えているのだ、ということに気が付いた。

ハワイ語のOHANAは、家族、と訳されるが、日本語の「家族」とはニュアンスが少し異なる。
血縁がないOHANAもあるのだ。

通常、親族だけが入る控え室に、参列者全員に入ってもらったトモの心の中には、OHANAという言葉があったに違いない。
自分たちの結婚を祝うために鎌倉まで来てくれた人たちはすべて、分け隔てできない、自分たち夫婦のOHANAだ。そういうトモの心が見えた。

鶴岡八幡宮の夢殿に上がることができる人数はとても少ない。
参列者全員に小さな舞殿の中に入ってもらおうとすると、招待できる人の数は非常に限られてくる。その人選を絞り込んでいくことは、社会的立場もあるトモにとって大変な作業だったことだろう。
そんな中にあって、小さな子どももいるぼくの家族全員をトモとマリちゃんが招待してくれたことの重さを、改めて思った。

社務所のある小道から参道に出て、舞殿から大石段を経て本殿に至る方向に曲がると、日暮れどきの暗さの中に、参道の左右に灯篭がいくつも置かれ、それが舞殿まで続いている。
清らかな明かりの灯篭の横に、幾人かの正装の人たちが並んで立っていて、雅楽を奏でている。

舞殿の周囲には、すでにいくつもの松明が明るく焚かれていて、風で揺れ動いている炎が、舞殿に邪悪が入り込むのを防いでいるかのようだ。

その光景を見たとたん、鳥肌が立った。
不覚にも涙が出そうになる。
日本にいながら、日本人でいながら、これまで、こういう伝統と光景があることを知らなかったことを、もったいなく思う。
同時に、小さな子どもたちに、この日本伝統の光景を見せることができた幸せを思う。
そして、自分たちの文化を大切にしなければならないことを知っているハワイ人のデニスに、この光景を見てもらえることの幸せを思う。

舞殿の中で執り行われた結婚式は、外国からの借り物の文化ではなく、自分たちの祖先が世代から世代に、大切に、連綿と受け継いできた時間の中に没したような、感極まる儀式だった。

式のあとの、参列者全員での食事会は、小町通から少しだけ入ったところにあるレストランで行なわれた。
乾杯の挨拶に立ったのは、トモの職場で長く上司の立場にあった航海訓練所のA宮船長。そのA宮船長の乾杯の挨拶は、「OHANA」という言葉が核になっていた。
楽しかった祝いの会を〆るトモの挨拶でも、「OHANA」がキーワードだった。
式が始まる前の控え室から宴の最後まで、ぼくの心はOHANAを感じ続けることができた。おそらくそれは、そこにいた全員が感じていたことだと思う。

ハワイ通、あるいは、ハワイかぶれ、とでも言わせていただきたくなるような日本人たちの間でも、オハナという言葉を頻繁に聞く。
その人たちが口にするオハナという言葉を聞くと、ぼくは背筋がムズムズするくらい気持ち悪くなる。身をよじりながら逃げ出したくなる。

しかし、昨日、トモとA宮船長の話の中で聞いたOHANAは、実に心地良く耳に響いた。

それは、あの言葉を口にするときの、覚悟の違い、ではないだろうかと、思う。

結婚式の最中、新郎が誓いの言葉を述べる最も大切な場面に合わせて、いきなり歌を歌い始めた1歳の娘を素早く黙らせるためにはどうすればいいか、に頭を巡らせたり、食事会でシャンパン入りのフルーツポンチを食いたがる5歳の娘の手を上から押さえたり。
周囲にご迷惑をおかけしたりしながらの、珍道中的部分も多かった我が家の結婚式参列だったが、家族一同、本当に素晴らしい結婚式に参列させていただくことができた。

トモさん、マリさん、有難う。本当に感謝しています。


追伸
二人で軽自動車に乗って汲みにいってボトル詰めしたという富山・穴の谷霊水500ミリリットルと、
稲刈りはできなかったけど脱穀は二人でやったというお米500グラムの、計1キログラムの引き出物も出色でした。
手間がかかる、大変な心のこもった引き出物。
あの霊水を汲みに行くには石段を昇り降りしなきゃいけないんでしょ?それを、式の出席者全員分。
1キログラムを遥かに越える、暖かい心の重みをいただきました。

忙しい時間を縫ってまで、なぜそこまでのことができるのだい?
それはやっぱりみんなのことをOHANAだと思ってくれているからなんだな。
おかげでやっと、OHANAの本当の意味を、昨日初めて手で掴めたように思います。

愛情を持ってお互いに接し続けることができ、お互いに尊敬しあっていくことができる、(だから必然的に)ある程度数が限られた人たち。

なのかな?
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3 コメント

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Unknown (west)
2010-09-27 21:01:07
ハワイについて、久しぶりにキモチのいい文章を読みました。まったく同意!

読みながら、ハワイ島のマフコナで行われたホクレアの出航セレモニーを思い出しました。文字通り、クルーとクルーの家族全員が集まってのセレモニーは、これから全員がオハナになるのだという覚悟のもと、とても厳かに、かつ簡潔に行われていました。

それは巷間語られるような「リラックスした」「イージーな」イメージのハワイアンの姿ではありませんでした。しかしあのような空気の中だったからこそ、オハナやアロハという言葉の持つチカラが理解できました。本来、とても思い言葉だとは思っていたけれど、「覚悟」という言葉は、その重さを理解する上で、かなりの助けになりますね。

そう言えばタイガーが「マハロ」という言葉を発する時にも、どこかシリアスな表情に戻っていたものです。つまり「これからは覚悟を持ってオマエを迎える」というようなことだったのかな、と、今になれば思います。

まったくもう。日本人どうしの挨拶で「アロハ」なんて言うのは、ホントにやめて欲しいと思いますよ。
Unknown (dairoku)
2010-09-28 00:54:27
kazuさん
ホントに良い結婚式だったようですね。
八幡さまの結婚式で、僕は仲人をやらされて長い石段を新郎・新婦と和装で上がった時の大変さを想い出しました。
OHANAという言葉は、僕のブログにも書きましたが、僕自身は一番素直にOHANAの意味を感じたのは、コナでのレースが終わった後の打ち上げの時でした。一緒に長い距離を漕いだ仲間たちや応援に来てくれた仲間達や家族が一同に介して食事をしている風景は、昔の親戚の集まりを想い出させてくれました。最近の日本で言う「家族」ではなく、「一族」という方が近いのかもしれませんね。共有できるベクトルが同じ方向を向いていないと、感じ取れない言葉かもしれません。
Unknown (kazu)
2010-09-28 05:04:34
westさん、dairokuさん、

お二人のご意見にまったく同意します。
「一族」って、本質に近い訳語ですね。
タイガーの、重い「マハロ」。すぐ下の弟のアンドリューからも、同じ重さの「マハロ」を聞きました。

ハワイの人たちが守り、子孫たちに手渡そうとしているものは、本当に重いものだと思います。
カヌーに若者たちを乗せてナビゲートしているときの、カレパ、オノヒ、デニス、ナイノアたちの、切羽詰ったような、真剣な眼差し。
身体ごとそのことに向き合っている彼らから何を学び取り、自分たち日本人のこれからに、どう生かすことができるのか。

ただのハワイかぶれで終わるか否かも含め、自分自身にとってのターニングポイントに来ていると感じています。

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