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働かないアリ

2016-05-27 15:06:59 | エッセイ

すこし古いが今年2月の新聞記事によると、アリの集団は働かないアリがいた方が長く存続できること、働かないアリが実は集団存続の要であるという説があるという。 2010年にも新書「働かないアリに意義がある」を出した北大の長谷川栄介准教授の研究チームが英科学誌に発表した内容だ。            
             
アリの行動については童話の「アリとキリギリス」以来、働き者の喩えに使われるが、実際の働きアリは2割程度でパレート(2:8)の法則が当てはまるのだとされてきた。パレートの法則は1960年代から90年代に品質管理(QC)活動が盛んになった頃、よく引用された。懐かしく思いす人もいるのではないか。
アリの生態研究成果もいずれ人間の組織論に影響を与えるのかも知れない。

▼「馬の国」「アリの国」                                            ふと連想したのはジョナサン・スーイフトの「ガリバー旅行記『馬の国』」だ。子供の頃「馬(フウイヌム)の国」を読んだ私は、馬は人間の心を見通していると思い、怖かった。

 「馬の国」の記憶から「アリの国」の空想が浮かんできた。
構造化されたアリのコロニーでは高度な生産性を有する少数の特殊技能者集団が働きアリであり、アリ社会では大多数のアリは働かないのが普通なのだという想像である。
生物は生きるために必死で食べる。人間社会ではみんなが働く。これが今までの常識だが、ことによるとこれは単なる思い込みなのかも知れない。アリ社会では少数の働きアリが働けばほかの大多数のアリは働かなくても生きてゆける、働く必要がないのだ。                                        唐突な想像だが人間社会でも科学技術の急激な発達で「働く」ということについて大きな変革が起きるのではないか。テレビでホリエモンが「人間はもう働かなくていい。機械がみんなやる、そうなりますよ」と言っていた。ホリエモン節と笑い流すのは簡単だが、時代の流れは意外に速く、働かなくてもいい時代へ向かっているのかも知れない。


▼ 私の自動化体験、「労働からの解放」
「働かなくてもいい時代」のことについては私にもささやかな体験がある。 1970年代(昭和40年代) 私は火力発電所の自動化計画にタッチしていた。

「自動化は単なる生産性向上、信頼性向上、人減らしだけの問題ではない。人間は労働から解放されることによって、創造的な仕事に集中できるようになる。」

我々はこのような高遠なコンセプトを持ってマン・マシーン・システムの構築を目指していた。(つもりだった) 白状すると「創造」ということの 意味さえよく理解していなかったように思う。 楽観的な学者の「 コンピュートピア」論が喧伝された頃の話だ。

▼あれから40年、コンピュートピアは実現しなかったが生活全般が予想以上に便利で楽になったことは確かだ。工業化社会から情報化社会そして間もなくAI(人工知能)とロボット社会になろうとしている。近未来社会では労働も戦争もロボット・サイボーグ(改造人間)・アンドロイド(人造人間)・ヒューマノイド(人間型ロボット)が担当するだろうという。
 政府の科学技術白書でも、20年後には「人工知能と現実の融合」も実現の可能性は高いとして、「超スマート社会の到来」を予想している。                 
しかし問題は、自動化などのハイテクで人間が創造的になった兆候はないことだ。むしろテレビが普及し始めたとき大宅壮一の言った「一億総白痴化」の傾向が強いといっては暴言だろうか。

▼ バイオミメティクス(生物模倣)
 アリのコロニー報道に関連してもう一つ連想するのは最近ときどき目にするバイオミメティクス(生物模倣)という言葉だ。
 生物模倣の例として「痛くない針」開発のヒントは「蚊の針」からだということがよく知られている。最近のバイオミメティクスでは 機能的模倣から更に進んで「意味的模倣」も問題視されているという。さしずめ働かない者が多数派のアリのコロニーは「意味的模倣」の良い研究テーマになりそうだ。

▼ローマはなぜ滅びたか、 働かないアリ的社会の将来
いわゆる先進国ではモノ余り社会から金融社会へと移り変わり、不労所得者が幅を利かすホリエモン的社会になりつつあると何かに書いてあった。なんだか働かないアリのコロニーに似てきたようだ。                    
                                                          かって ローマの貴族と市民は奴隷を使って、遊び呆けていて衰亡した。現代の先進国は高度技術の進展によって見かけ上「働かないアリ集団」に近付いている。アリ社会は進化論的スパンで安定しているが、人間社会は不安定である。                    労働から解放されたその先にあるのは創造的社会ではなくて「ナマケモノ集団」の増大であり「一億総白痴化」であり、結局ローマ衰亡の二の舞になるのではないか。・・・想像はどんどんネガティブな妄想になっていく。                   
 
 私は「白昼夢」を見る子供だった。今、超高齢者になって、今度は呆けて「白昼夢」を見ているのかもしれない。人間はいずれまた童話の「アリとキリギリス」のときのようにアリさんに助けを乞うことになる。と思われる。          (2016/05/27)




























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