本屋


D810 + AF-S NIKKOR 24mm f/1.4G ED

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町の本屋が、どんどん減っている。
理由はもちろん本が売れないからである。
実際僕も、本を買うことがすっかり無くなってしまった。

少し時間が余った時など、そうだ本でも買おうかと思い、本屋にふらりと入る。
しかし店内を隈なく見た上で、何も買うものが無い事に気付く。
最初は買う気で入ったのに、欲しいものがみつからず、仕方なく手ぶらで本屋を出るのだ。
駅の小さい本屋ばかりでなく、かなり大きめの書店でも同じ結果になる。

活字離れとよく言われる。
映像などのメディアが台頭し、人々が活字を読まなくなったというのだ。
印刷物に関しては、確かにそうかもしれない。
しかしネット上の情報はほとんどが文字なのだから、文字を読む機会は昔より増えているように思う。
学生も主婦も、スマホを片手に朝から晩まで文字を打ち込んでいるし、芥川賞は若い女の子が取る時代である。

本を本屋で買わずにアマゾンに注文するようになった、というのは確かである。
母親に頼まれて、アマゾンでまとめて文庫本を買うこともある。
しかし以前と比べて、購入する本の絶対量は大幅に減っている。

なぜ本を買わないのか・・・
理由は簡単で、単に読みたい本がみつからないのだ。
でもそれは何故だろうかと考えると、実は印刷物というものが既に情報の形態として古いのではないか、という気がしている。

インターネットが生活に密着するようになり、常に変化する最新の情報が、ほぼリアルタイムで入手できるようになった。
今はそれが日常のリズムなのだ。
印刷して製本して店頭に並べる情報なんて、すべて古新聞である。

これは別に雑誌や新聞に限ったことではない。
本というのは、もともとが情報の塊なのだ。
本を読むということは、情報を得ることである。

僕にとって、かつて町の本屋は特別な場所であった。
そのエリアに足を踏み入れると、遊園地に行った時のようにドキドキした。
右を見ても左を見ても、自分の知らない世界が広がっていた。
それが今や、かつてのエネルギーを失い、まるで情報弱者が集まる場所のようになってしまった。

もう1年以上も、本屋で本を買っていない。
これでは本屋は成り立たないわけだ。
店頭に並ぶ本が、昔に比べて品質が落ちているわけではないだろう。
変わったのは社会の形態であり、自分の方なのだ。
それでも何かを期待して、つい本屋を覘いてしまうのだが、その結果何も得られない事に、自分自身が戸惑っている。
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