記念日


D810 + Carl Zeiss Otus 1.4/55 ZF.2

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先日のブラック・フライデーで、ふと思いついたことがある。
クリスマスは、ご存知の通り、本来宗教的に重要な日である。
しかし経済の面でも、お金が大きく動くのは確かだ。
何のかのと言っても、結局はクリスマスというイベントに乗っかって、商売をしている事になる。

しかもクリスマスを祝うプレゼントやパーティというのは、半ば強制的というか、参加しないと無信心者と言われてしまう。
クリスマスにしても、ハローウィンにしても、バレンタインディにしても、強制的にお金を使わせようという日でもあるのだ。
私はそんなの関係ない、なんて言っているヤツは、仲間外れにされる。

どうせならそういう日を、もっともっと作ってしまえばいいのではないか。
記念日などという中途半端なものではなく、より強制力があって大規模なイベントの日である。
それを国が率先して広めていくのだ。

宗教的な偏りがあってはまずいなら、身近で一般的な、多くの人が関係している題材から拾い出せばいい。
もちろん様々な分野の商売に結びつくよう、最初から意識して選ぶのだ。
時の記念日は時計を買い換える日とか、具体的に商品が動くようにしないと意味がない。
その日だけは、その品目の消費税を免除するとか、国にしか出来ない優遇措置を織り込んでもいい。

1年のスケジュールを組み、そういう日を満遍なく散りばめる。
月に数回盛り込み、経済が停滞することなく動くようにする。
ここが重要である。
そうやって意図的にお金を回していくのだ。

国民もそれを馬鹿にしたり、批判したりしないで、率先して話に乗ってやろうという気持ちを持たなくてはいけない。
お金を使うのは、資本主義国家の国民の義務である。
どんな記念日がいいか、国民からアイディアを募るのが、一番いいかもしれない。
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