シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

めぐり逢わせのお弁当

2016-03-29 | シネマ ま行

インドにはダッバーワーラーという弁当配達人がいて、ランチタイムになると家族が作ったお弁当や食堂に頼んでいる人のお弁当を配るシステムがあるらしい。日本みたいに朝持ってけばええやんとか食堂に食べに行けばええやんとか思うのだけど、どうやらそういうシステムではないらしく、午前中に弁当配達人が自宅の家族からお弁当を受け取って一人一人に届けてくれる。そして、またその勤め人が空の弁当箱を持って帰るのではなくて弁当配達人が勤め人より先に空の弁当箱を自宅に届けるという。なんだか摩訶不思議なシステムなのだけど、劇中でも言っていたようにハーバード大学の研究によると絶妙な誤配は600万分の1ということらしいのだが、この作品ではその誤配が2人の男女の運命を左右することになる。

夫との関係がうまくいっていないイラニムラトカウルは一所懸命美味しいお弁当を作り、夫の気を引こうとしている。ある日同じアパートの上に住むおばのレシピで美味しいお弁当を届けてもらったところ、夫は帰ってきて「ブロッコリーが美味しかった」と言った。ブロッコリーなどいれていない。お弁当は違う人の元へ届いているらしい。

一方早期退職を控えたサージャンイルファンカーンは妻を亡くし独身のため食堂にお弁当の配達を頼んでいた。ある日とても美味しいお弁当だったので食堂のコックに「今日のお弁当はとても美味しかったよ」と伝えたが、それは実はイラが作ったお弁当だった。

お弁当が別の人に届いていると考えたイラは翌日お弁当に手紙を入れてみた。そこからイラとサージャンの文通が始まる。

2人の文通は徐々にプライベートは話に及び、イラは夫とうまくいっていないこと、父親の病気のこと、上に住む叔母が寝たきりの叔父の面倒を見ていることなどを書き始める。それについてサージャンは年上の男性らしくちょっとしたアドバイスをしていたりしたが、サージャンも少しずつ亡くなった奥さんのことや独りの生活の話をし始める。

そのやりとりが単調なようでいて、退屈には感じない。サージャンは「現代人は忙しくなりすぎて心の余裕がなくなっている」とか言っていてどこも経済的に成長をする国では同じようなことが言われているのだなぁと感じた。夫に相手にされないイラと妻を亡くして寂しい生活を送っているサージャンが手紙を通してセラピーのようにお互いを癒していく。

一方手紙のやりとりの話だけでなく、イラと叔母さんのやりとりやサージャンとなんだか頓珍漢な会社の新人シャイクナワーズッディーンシッディーキーのやりとりは少しユーモラスに語られる。手紙でのセラピー的なものを通して現実世界での2人にもなんとなく変化が表れていく姿がうまく表現されている。

何度も手紙をやりとりし、ついにイラはサージャンに一度会いましょうと誘う。待ち合わせのカフェにまでは行ったものの若くて美しいイラを見て、こんな老いぼれが会いに行くべきでないと考え消えるサージャン。

その後病気の父親が亡くなり、何かが吹っ切れたのかサージャンの仕事場まで会いに行くイラだったが、サージャンはすでに退職したあとだった。イラはブータンに旅立つ決心をしており、サージャンはそのころ間違えてお弁当を運んでいた配達人にイラの住所を聞きやはりイラに会いに行こうとしていた。というところでエンドロール。ワタクシはイラは1人でブータンに旅立ったものと考えていたのだけど、サージャンと一緒に行ったとか、イラはブータンではなく自殺しようとしていた、とか、それをサージャンが止めたとか解釈は色々とあるようです。みなまで語らない終わり方だったので、解釈は人それぞれで良いのだと思います。

映画的に残念なのはイラの絶品という料理がまったく映らないこと。徹底して映らないのでリテーシュバトラ監督の意図があってのことだと思うのですが、インド料理のスパイスが香って来そうな映像があればもう少し明るい雰囲気の作品になったかなぁと。そうなるのがイヤだったのかな。

ダッバーワーラーを始めとして、通勤電車の様子やサージャンの仕事場の様子、電車の中で野菜を切る新人君などインド文化に触れられる作品でもありました。



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