シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

チョコレートドーナツ

2014-05-12 | シネマ た行

1979年カリフォルニア。歌手を目指しているドラァグクイーンのルディアランカミングは毎日アパートの隣の部屋から聞こえてくる大音量の音楽に悩まされていた。ある日仕事から帰ると管理人がその隣の部屋に入っていて、家庭局の人間がその家の子どもであるダウン症の少年マルコアイザックレイヴァを連れ出すところだった。その子の母親ジェイミーアンオールマンは麻薬使用で捕まったと言う。ルディはなんとか止めようとするがもちろんできるわけはなくマルコは施設に連れて行かれてしまう。

その夜、仕事の帰り道ルディは施設を抜け出しとぼとぼと町を歩くマルコを発見する。自分のアパートへ連れ帰り、最近バーで知り合った弁護士のポールギャレットディハラントに助言を求める。ポールは始めマルコが施設に送られるのは仕方のないことと言っていたが、ルディの「麻薬中毒の母親の元に生まれたことも、ダウン症に生まれたことも全部マルコのせいじゃない。それなのに、どうしてマルコが辛い思いをしなくちゃいけないの?」という言葉に打たれ、弁護士として何とか方法を考える。その方法とは、刑務所に収監中のマルコの母親から出所までの監督権を譲り受けるというもので、面会に行き正式に手続きを済ませた。

ポールは裁判所に納得させるためには、きちんとした住環境が必要だとルディとマルコを自分の家に住むように誘う。同棲の誘いに有頂天になるルディ。表向きは“いとこ”と偽ってではあったが、3人の幸せな生活が始まった。マルコが初めて与えられたキレイな自分の部屋に涙するシーンが印象的。

母親からほぼネグレクト状態で育てられてきたマルコのために2人は医者に診せ、メガネを買ってやり、特別学級がある学校に入学させた。食事を作り、宿題を手伝い、祝日を祝い、寝る前にはマルコの大好きなハッピーエンドのお話を聞かせ、時々は健康には悪いけどマルコの大好きなチョコレートドーナツを一緒に食べた。マルコの成長は目覚ましく、2人からたっぷり愛情を受けとても幸せな1年が過ぎた。

ルディは目指していた本物の歌手になるべく、デモテープを送り、週に数回ではあるがバーで歌うようにもなっていた。そんな幸せな日々は永遠に続くかのように思えたのだが、、、

2人がゲイのカップルであるということがバレ、ポールは仕事をクビになり、マルコは家庭局に連れて行かれてしまう。絶望の中で2人はマルコを取り返すべく裁判に訴えることにした。ポールは自分が同性愛者であることをカミングアウトせずに人生を過ごしてきていたが、愛するマルコとルディのため勇気を出してクローゼットから出る決心をする。

ここからが見ているのがとても辛い。学校の先生ケリーウィリアムズや3人の家庭生活の視察に来た家庭局の職員は、2人は最高の両親であり、マルコは2人の元で暮らすべきだと証言してくれるのだが、ゲイに偏見のある、というか偏見しかない検察官のランバートグレッグヘンリーは重箱の隅をつつくような底意地の悪い質問で、3人を引き裂くことに全力を注いでいた。

ハロウィーンにフランケンシュタインの花嫁に扮したルディのことを、マルコに女装を見せた、だの、マルコの前でキスしたことがあるか、だの、開店準備の仕事場に連れて行っただけでゲイバーに連れて行ったことがある、だの、マルコのお気に入りのおもちゃは女の子の人形だ、だの、それはルディに出会う前からマルコがずっと大切にしていたものなのに、マルコに悪影響を与えている、とか言って、本当にムカつくおっさんだった。これが当時の世間の大方の見方だったのかもしれないけど、ルディのくやしさを考えると本当に腹が立った。

ルディにはマルコが受けてきたであろう理不尽な差別や彼の孤独がとてもよく分かったのだろう。だから、始めから何の抵抗もなくマルコを引き受ける気持ちになったのだと思う。検察官から放たれる攻撃的な言葉や侮辱も、自分に向けられるものならルディなら我慢できただろうし、普段ならひねりの効いた返しもできたかもしれない。でも、マルコとの生活がかかった裁判で、何をどう言い返そうが理解しようともしない検察官を前にルディがどんなに悔しい気持ちでいたか。ルディが証言台に立つシーンは涙が止まりませんでした。

興味深いのは学校の先生と家庭局の職員の実際に3人が家族として過ごしている姿を目にした人たちは「3人が一緒に暮らすべき」という結論を出していて、実際には何も知らない、ただゲイのカップルが他人のダウン症の子どもを育てようとしているという事実だけを見ている検察官や裁判官が3人を引き離そうとしているということなんですよね。親としての2人を実際にちゃんと見た人なら彼らがマルコにとって最高の親だと分かるのに。

それでも執拗に世間の枠から外れる3人を引き離そうとする検察側は、マルコの母親の刑期を短くしてまで出所させ母親の監督権の復権を申請させる。当然、実の母親が監督権の復権を求めてくればポールとルディに勝ち目はなかった。マルコをネグレクトし、アパートに男を引き込んでドラッグ三昧の母親にダウン症の子を引き渡す検察。ゲイのカップルの要望を通させないためなら、一人の子どもの福祉など彼らにはどうでもいいことだった。これは法律の問題じゃない。本当にただゲイのカップルが許せないだけの行動としか思えない。むしろ、そんな取引で母親を出所させた検察のほうが法律を捻じ曲げていると言ってもいいだろう。

法律の下結婚した“夫婦”でもなく、血のつながった家族でもない。でもそこには間違いなく愛があって、その愛はそんじょそこらの誰にも負けないものだった。でもそれを許さない人たちがいる。彼らの何を邪魔したわけでもない、ただ世界の端っこにひっそりと幸せに暮らしたいだけの人たちのことを絶対に許せない人たちが存在している。同性愛だけではない。ダウン症だけでもない。様々なマイノリティについて。自分の考える枠からはみ出す人たちを一切許さない、その狭量さにどう立ち向かえばいいのだろう。

このブログを書くために調べるまで知らなかったのですが、このお話実話がベースだそうです。どこまでが実話なんだろう?マルコがルディとポールを求めて彷徨い歩き死んでしまうラストまで実話なのかなぁ。だとしたら悲し過ぎる。マルコは母親のアパートに連れて行かれるとき「僕の家じゃない。僕の家じゃない」ってずっと言っていました。誰一人としてその言葉に耳を傾けてやる大人はいなかった。ハッピーエンディングが大好きだったマルコ。彼にこそハッピーエンディングが訪れてほしかったのに。

最後にルディが歌う「I Shall Be Released」に心を揺さぶられました。単館上映ですが、たくさんの方にぜひご覧になってほしい作品です。



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2 コメント

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やるせない気持ち (gerbera)
2014-06-10 21:39:26
この映画、やたら泣ける映画として、
紹介されていて、まあ、そういう部分も
あるのですが、私にとっては、泣けるというより、いろいろ考えさせられる、後をひく映画でした。あまりに後をひくもので、もう一度観に行きました。人の心って、あたたかくて、でも怖くて。
そして、ルディがいつのまにか、慈愛に満ちた肝っ玉母さんにみえてきて。
come to meをルディが歌うシーンが、とても美しくて、好きです。
gerberaさま (coky)
2014-06-12 16:58:36
コメントありがとうございます。

>泣けるというより、いろいろ考えさせられる、後をひく映画でした。

確かにその通りですね。
感動して泣けるとか、悲しくて泣けるとかよりも
やはりそうやって色々考えてもらうほうが製作者側も本望なのではないでしょうか。

人間の優しさと醜さを同時に見せつけられる作品でしたね。

>ルディがいつのまにか、慈愛に満ちた肝っ玉母さんにみえてきて。

本当に。
最初はそんなふうに見えなかったのに素晴らしい演技でしたね。

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