またまた続きです。
④柳家そのじ 「三味線」
高座では「太田その」と名乗っておりました。
お囃子さんです。
はじめにメドレーで、お囃子の有名なところを。
そのあと、「長崎ぶらぶら節」
美声ですね。
「せつほんかいな」
越後の民謡「十日町小唄」
「木遣りくずし」
そして最後に「奴さん」と、その替え歌の「赤穂浪士」を。
初めて聴きましたが、なんかこういう落語会で、お囃子さんの歌、というのもいいですね。
⑤柳家小三治
初天神では黒紋付きでしたが、トリでは淡いブルーの羽織を着ておりました。
まくらでは、先ほどの柳家そのじさんについて。
「噺家になって、もう50年になります。
数日したら、もう69歳になりますから、ちょうど50年ですが、
(12月17日がお誕生日ですね)
その頃のお囃子さんは、40代はいませんでした。
50代もあぶない、
失礼ですから、女性に歳なんか、訊いたことがないですけれど・・・。
その頃69歳の噺家がいたら・・・、
人間もああなっちゃ、おしまいかな、と思いましたよ(笑)。
高座では太田その、と言っていましたが、「そのじ」という、寄席の名前をあげました。
お囃子にしておきたくなかった。
ただ、本人がとても恥ずかしがり屋で、人の前に出られない、という・・・。
もともと、落語が好きで、日本舞踊の名取で、東京芸大を出まして、
これからも何かの際に引っ張り出します。時々ご覧になって、『ああ、良くなったな』と感じていただければ、本人も励みになります」
で、「しみったれ」の小噺から「味噌蔵」を。
番頭さんの「どがちゃが、どがちゃが」、権助の「少年老い易く・・・」で大笑いです。
ただ、個人的には出来は今一つかな、と感じました。
「味噌蔵」はCDで聴いたことがありますが、そちらのほうがまとまっていたように思います。
この日は前半、ちょっとまとまりがなかったように感じてしまいました。
(すみません、生意気な意見で・・・)
この会場は、緞帳がないせいで、噺が終わって、小三治師匠が上を指差したあと、指でバッテンを作りながらお辞儀をしておりました。
なんで、会場が笹川記念会館だったのでしょうね?
途中、椅子が固いせいで、お尻が痛くなってきて、噺に集中できなかったのも、小三治師匠の評が辛くなった一因かもしれません。
④柳家そのじ 「三味線」
高座では「太田その」と名乗っておりました。
お囃子さんです。
はじめにメドレーで、お囃子の有名なところを。
そのあと、「長崎ぶらぶら節」
美声ですね。
「せつほんかいな」
越後の民謡「十日町小唄」
「木遣りくずし」
そして最後に「奴さん」と、その替え歌の「赤穂浪士」を。
初めて聴きましたが、なんかこういう落語会で、お囃子さんの歌、というのもいいですね。
⑤柳家小三治
初天神では黒紋付きでしたが、トリでは淡いブルーの羽織を着ておりました。
まくらでは、先ほどの柳家そのじさんについて。
「噺家になって、もう50年になります。
数日したら、もう69歳になりますから、ちょうど50年ですが、
(12月17日がお誕生日ですね)
その頃のお囃子さんは、40代はいませんでした。
50代もあぶない、
失礼ですから、女性に歳なんか、訊いたことがないですけれど・・・。
その頃69歳の噺家がいたら・・・、
人間もああなっちゃ、おしまいかな、と思いましたよ(笑)。
高座では太田その、と言っていましたが、「そのじ」という、寄席の名前をあげました。
お囃子にしておきたくなかった。
ただ、本人がとても恥ずかしがり屋で、人の前に出られない、という・・・。
もともと、落語が好きで、日本舞踊の名取で、東京芸大を出まして、
これからも何かの際に引っ張り出します。時々ご覧になって、『ああ、良くなったな』と感じていただければ、本人も励みになります」
で、「しみったれ」の小噺から「味噌蔵」を。
番頭さんの「どがちゃが、どがちゃが」、権助の「少年老い易く・・・」で大笑いです。
ただ、個人的には出来は今一つかな、と感じました。
「味噌蔵」はCDで聴いたことがありますが、そちらのほうがまとまっていたように思います。
この日は前半、ちょっとまとまりがなかったように感じてしまいました。
(すみません、生意気な意見で・・・)
この会場は、緞帳がないせいで、噺が終わって、小三治師匠が上を指差したあと、指でバッテンを作りながらお辞儀をしておりました。
なんで、会場が笹川記念会館だったのでしょうね?
途中、椅子が固いせいで、お尻が痛くなってきて、噺に集中できなかったのも、小三治師匠の評が辛くなった一因かもしれません。