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難波天皇の御代を寿ぐ難波津の歌

2017-06-16 20:53:40 | 59難波天皇

難波天皇の御代を寿いだ歌

難波津に咲くやこの花冬ごもり 今は春べと咲くやこの花

この歌は、現代では「競技かるた」の開始時に詠まれることが通例となっているそうです。難波津に咲くやこの花冬ごもり 今を春べと咲くやこの花

また、「いろはにほへと」のように書道の手習いのはじめにも使われた歌で、徳島県の観音寺遺跡から万葉仮名で「奈尓波ツ尓昨久矢己乃波奈」と記された7世紀のものと思われる習書木簡が出土しました。他にも、この歌を記した木簡が出土しているそうです。平安時代には「難波津の歌」は誰もが知っていたのですね

この歌は、宇治若郎子と大鷦鷯尊が皇位を譲りあったため、極位が三年間空位となっていたが、難波高津宮に大鷦鷯尊が即位した時、治世の繁栄を願って詠まれた歌となっています。ここに詠まれた花は梅だということですが、この歌が仁徳天皇の御代を寿いだ歌と云うことに、とても違和感があります。実在さえはっきりしない仁徳帝の時代の歌が平安時代になって流行するというのも不自然だし、三年間即位しなかったうえに、更に三年間民から税を取らずにいた仁徳帝の御代をいつ寿いだのでしょう。皇位を譲りあっていた三年間は、皇太子は宇治若郎子ですから大鷦鷯尊に即位を促すのは変ですし、税を取らない切り詰めた生活の時の歌としても変です。

ですから、同じ難波天皇である孝徳天皇の御代を寿いだ歌だと考えると、違和感はありません。日本書紀にも「いふべからず」と言われた壮大な難波宮を構えた孝徳天皇の御代、難波津にみなぎる新しい時代の風を詠んだと。大化改新によって今までと違った時代が来る、物流の豊かな難波津にまるで春になったような期待感が漂う、という歌になるのです。

これが、孝徳天皇の御代を寿ぐ歌だとすると、万葉集に孝徳帝時代の歌が何故ないのか、気になってきます。わたしは孝徳帝の御代の歌はあったと思います。それは万葉集の中に在ったのだと。その事に、そろそろ触れなければなりませんね。

 また、後で。

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