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紀伊国・玉津島神社の花影に

2017-04-17 20:06:08 | 1紀伊国の旅

紀伊国の玉津島神社の春

紀伊国に旅してきました。紀伊国は目に入る風景の何処も山桜が咲き、今まで旅した土地に比べても決して引けはとりません。沖縄以外、ほとんどの県を旅したわたしが思ったのです。もちろん春の東北の芽吹きや北上川の岸辺も、日本海の春雷も素晴らしかったけれど、ヤマザクラが何気なく咲いた紀伊路の春には心惹かれました。

やっと、以前から訪ねたいと思っていた玉津島神社に行きました。玉津島神社は桜の花に彩られて、華やかな空気が漂っていました。

ここは、聖武天皇、孝謙天皇、桓武天皇の行幸の地でもあります。鳥居の横に、山部赤人の万葉歌碑がありました。公の場で赤人が詠んだ玉津島の長歌と短歌でした。

 神亀元年甲子の冬十月五日 紀伊国に幸す時に山部宿禰赤人の作る歌一首 併せて短歌

やすみしし わご大王の 常宮と 仕へ奉れる 雑賀野ゆ そがいに見ゆる 沖つ島 清き渚に 風吹けば 白波騒ぎ 潮干れば 玉藻刈りつつ 神代より しかぞ貴き 玉津島山

沖つ島 荒磯の玉藻 潮干満ち い隠り行かば 思ほへむかも

若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る

神亀元年(724)は、元正天皇が甥の聖武天皇に譲位した年でした。二月に即位し、改元。長屋王が左大臣となり、三月には吉野行幸。聖武天皇には思い出深い幸せな時間が流れていたことでしょう。玉津島には天皇の行宮があったのですが、そこを常宮とするほど長く滞在し気に入っていたということです。玉津島神社の本殿の裏は小高い岩山(標高33m)となっていて奠供山(てんぐやま)と呼びます。奠も供も「お供え物」の意味です。

聖武天皇はこの山に登り「山に登りて海を望むにこの間最も好し。遠行を労せずして以て遊覧するに足る。故に『弱浜(わかのはま)』の名を改めて『名光浦(あかのうら)』と為せ。宜しく守戸を置きて荒穢せしめることなかれ。春秋二季官人を差遣し玉津島の神・明光浦靈(あかのうらのみたま)を奠祭せよ」との詔勅を発せられたのです。

奠供山に登ると和歌の浦が一望できます。頂上はやや広く、称徳天皇の「望海楼」の址でもあります。

古来、各天皇に愛された玉津島。いにしえ、ここは紀ノ川の河口でした。紀ノ川は改修される前は、今の和歌川の流路を和歌の浦に流れ込んでいたのです。行幸の一行は、吉野川から紀ノ川と航行し玉津島まで船旅を楽しむことができたでしょう。

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