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40大津皇子の愛

2017-03-12 22:48:15 | 40大津皇子の愛

草壁皇子のライバルは、本当に大津皇子だったのか? 

女性問題に関しても、草壁皇子は大津皇子にポイントを取られていたと解釈されています。草壁皇子の歌は、集中に次の一首のみです。

日並皇子尊、石川郎女に贈り賜ふ御歌一首 郎女、字(あざな)を大名児といふ

110 大名児 彼方(おちかた)野辺に 刈る草(かや)の 束(つか)の間も われ忘れめや

ああ大名児、彼方の野辺で刈る草の一束のツカのような、ほんの束の間もわたしはお前を忘れることはない。

 この歌の前に、大津皇子と石川郎女の歌があります。

   大津皇子、石川郎女に贈る御歌一首

107 あしひきの山のしづくに妹待つと吾立ち濡れぬ 山のしづくに

貴女をずっと待っていたのであしひきの山のしずくに私はすっかり濡れてしまった。

   石川郎女こたえ奉る歌一首

108 吾を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくにならましものを

私を待って貴方が濡れてしまわれた、その山のしずくにわたしがなれたらよいのに。わたくしは貴方に逢いに行けないのですから。

このように歌が並んでいますから、二人は相愛だったのです。しかし、理由があって二人は逢うことができなかった。石川郎女は、すでに草壁皇子に召されていたのです。それでも、密に大津は歌を贈り山で待ったけれど、石川朗女は逢いに来れなかった。しかし、ほどなく二人はひそかに逢ってしまった。 

 大津皇子、ひそかに石川郎女に婚(あ)ふ時に、津守連通、その事を占へ露(あら)はすに、皇子の作る御歌一首

109 大船の 津守が占に告(の)らむとは まさしに知りて 我がふたり寝し

大船が泊まる津と同じ津という、津守の占いに現れるとは、将にこちらも承知のうえでふたりは寝たのだ。

 こうしてみると、石川郎女を奪ったのは大津皇子で、草壁皇子はまだ未練がある、と読み取られています。大津皇子と石川郎女(大名児)はもともと恋仲だったのかも知れません。

 

この恋は大津皇子が優位だったという説ですが、確かに、石川郎女を引き付けるほど、大津皇子は文武に優れた魅力的な青年だったのでしょう。

「懐風藻」にも漢詩を残し、日本書紀にも「詩賦は大津より始まる」と書かれています。何より天武十二年(683)「朝政を聴く」とあり、朝政に参画していました。天武天皇の大きな期待が大津皇子に掛けられていたのは間違いないのです。

当時の宮廷の官人も周囲の豪族も大津皇子に期待していました。持統帝も草壁皇子もそれを知らないはずはありません。草壁皇子の「大名児」の歌は、この歌物語の最後に置かれています。この位置は微妙です。二人が恋仲であることが分かった後の歌なのですから。上記の草壁皇子の「大名児」の歌、『彼方野辺おちかたのべ』をあらためて読み直してみましょう。

「大名児、彼方野辺に刈る草の 束のあいだも われ忘れめや」 大名児よ、わたしは何処か分からない彼方の野辺で刈り取られた草の一束のように、ほんの束の間もお前を忘れることはないが、それは、何処か分からない彼方の草だ。だから、お前も彼方の草と同じ、それでいい。

とも読めるかなア。「大名児」を何処か分からない野辺の草にたとえたのです。これは読みすぎでしょうか。石川朗女は名を大名児・山田郎女と云いました。

大名児とは、宮廷の侍女だったのでしょうから、豪族倉山田石川麿系の娘だったのかも知れません。自由に恋ができない宮仕えの女性と大津皇子の恋を許したのではないでしょうか。つまり、草壁皇子は二人の恋を承知していたということです。

それにしても、大津皇子は大胆ですね。たとえ皇太子に召された女性でも愛してしまうという。その大胆さが悲劇を招いたのかも知れませんね。自由闊達は魅力でもあり、危険でもありました。若くて才能のある危険な皇子は当時の人を限りなく魅了したのです。その事を喜ばないのは誰だったのか。それが問題です。

万葉集巻二の124に「大津皇子の侍(侍女のこと)石川朗女、大伴宿祢宿奈麻呂に贈る歌一首」があります。この石川朗女(山田朗女)が大名児であれば、大津皇子の許に侍女として仕えたということです。大津皇子賜死の後も生き抜いて、大伴氏と歌のやり取りをしたということなのです。

やはり、草壁皇子が許していたのでしょうね。だから、大津皇子事件後も草壁皇子薨去後も宮廷の侍女として強く生きたのでしょうね。万葉集には石川郎女・石川女郎という名が出てきます。そのうち同一人物もいるでしょう。➁③④⑤は同じ人でしょうか。⑥は大伴安麿の妻で、大伴坂上郎女の母です。この人は蘇我氏の出だったとされます。すると、➁~⑥は同一人物でしょうか。

 次は、「大津皇子の賜死」にまつわる歌です。

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