ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

オリンピックの顔

2016-08-08 | その他
オリンピックが始まりました。日ごろ、スポーツから縁遠い私も、オリンピック番組が多いので、必然、見てしまいます。オリンピックの楽しみの一つは、普段はそんなに中継されないスポーツが、見られるということ。その一つがウエイト・リフティング。三宅宏実選手の銅メダル、おめでとうございます!ですが、なんというか、今回の三宅選手の競技、とにかく釘つけになりました。何に釘つけかというと…「顔」。芝居の稽古をしている時、せりふ以上に、「顔」が物を言うのですが、本当に「顔」というのは、いろんなものが出るところで、よく、役者さんはそれをさらけ出してくれているな、と思いますが…さらけ出してくれないと、リアルな芝居はありませんものね。
さて、その「顔」。三宅選手がバーベルを一端、肩の近くで受け止めた時、苦しくせつなく、しかし、次に向かうための覚悟のような、なんともいえない「顔」をします。そして、バーベルを完全もちあげた瞬間、ほっとして、嬉しさと安堵感と喜びや、苦労や、そんなものが一杯詰まった「顔」になります。この「顔」に思わず涙ぐんでしまうのは、年をとったからなのか…いや、「重さ」というものをしっかり持ち上げたことへの、何かしら、私たちの中にある共感のようなものというか…。
「強力」(ごうりき)という言葉を思い出します。交通手段がない昔、大きな荷物を背負って歩くのは当たり前のことでした。昔は百キロ以上の荷物を背負って山を登る「強力」もいたとか。アルプス登頂でシェルパが荷物を背負っているのを映像でみるたびに、なんだか健気に思うのは、「重さを背負う」ということへの、具体的な感覚と、一方、具体的でない「重さ」を同時に感じるからでしょう。
育児中、子どもを背負うママも多いことでしょう。あの子どもの重さ。背負うのは疲れるけれども、この重さを背負っているうちに、何かしら、「強い力」も生まれてくるのではと思います。
重いもの…は疲れますが、今回の「重さ」を持ち上げた、三宅選手の「顔」に、昔の人たちの背負っていた「重さ」までつながるような、不思議な感動を覚えました。まさに、「オリンピックの顔」でした。銅メダル、おめでとうございます!

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