ことのはのはね~奈良町から

短歌、演劇、アート他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

奈良の現代アートから ~はならぁと 高取町展示から

2016-10-19 | にぎわいの家・奈良関連
9月3日から始まった「東アジア文化都市2106奈良市」は奈良市の八社寺と奈良町エリアで現代アートの展示をしています。奈良町にぎわいの家もその会場として、連日、たくさんのお客様が来館、岡田一郎さん、林和音さんの作品「FLOW」を興味深く見て下さいました。この日曜日、23日まで開催、まだの方は是非ご覧ください。
さて、奈良県では「アートによる地域価値の発掘作業を通して、奈良県の豊かな文化や暮らしを過去から未来に繋ぐ、今ここから発信するアートプロジェクト」(はならぁとHPより)はならぁとを5年前から奈良県の各エリアで、毎年開催、「奈良・町家の芸術祭」とあるように、近年特に問題になっている、住み手のいない空き家や古民家を、アートの力でその魅力を再生、その過程において、地域との共同作業も生まれ…といった、地域の特性と地元との協働、といったことを大事にしたものです。
現在、奈良町にぎわいの家も参画している「ならまちアートプロジェクト」も、「奈良町」という場所や空間を意識して作られているという点では、良く似た文脈もあると思いますが、企画全体のコンセプトはさておき…。
展覧会、という以上、鑑賞される形があり、その形の存在を鑑賞すると思っています。作品が好き、嫌いの問題はさておき、まずは鑑賞する形がなんだか希薄に感じられるのはなぜかなと思いながら見ました。展示方法がなんともハテナ?という印象でした。場の必然性と作品の存在が立たない、という感じでしょうか?
「見てもらって好きに、何でも感じれば良い。何を思ってもらってもいい。」とのことでしたが、確かに、それはそうですが、作る側が初めからそこに甘えてしまっていては、結局、見るべき「形」や「フォルム」は生まれないと思います。
私はアートの人間ではないですが、「ものをつくる」という土俵が同じというところから考えると、何かを生むのは、直感と思考、直感に客観的な力を与えるための思考力、思考力を保つための努力がいると思います。その「持続」の厚みが、見た時の作品の「厚み」に反映されてくるように思います。
今回のはならぁと、高取エリアの作品の希薄さ、これが意図された、仕掛けられた薄さなら、鑑賞もできる。けれど、そうでもなく、ほぼ「ほったらかし」な感じを受けるのはなぜでしょう。丁寧さにかけるのです。ある町家には、扇風機が回っていました。この扇風機の置かれ方がまた適当で、この「適当さ」が、作品全体の必然かというと、そうでなく、ただ、置いてある。
扇風機、というと、「ならまちアートプロジェクト」の黒田大祐さんの作品が、扇風機を使っています。この黒田さんの作品の扇風機は、天井から吊ってあります。扇風機の風の吹き方は、まるで音楽、リズムをとっているようで、その扇風機の奥に、不思議なダンスの影の映像が映るんですが、このダンスがかなり適当な振りで、この適当なところが、非常に利いていて、扇風機の風、踊りの映像が、この古い町家、集会所、山陰の海から遠くはなれた、大国主命をユーモアをもって呼び込むような、なんとも面白いアートなんです。(展示会場になっている集会所には大国主を祀った小さな祠があります)この扇風機はなくてはならないでしょう。何を意図しているかは、それぞれの感性に任せるとしても、作品を支える「扇風機」なのです。「扇風機」は存在しているのです。
ところが、本日のはならぁとで展示されている「扇風機」はどうも違う。先の黒田作品の扇風機の存在感が全くないのです。「リアルの無さが作品なんです」と、もしか言われても、人に見せるという前提がある以上、扇風機を置くなら、見られる「存在」として置いてほしい、と思いました。
さて、はならぁとのアートと同時に、高取町では、「かかし巡り」が開催されていました。それぞれのお宅に、等身大のかかしが、飾ってあります。私はかかしは楽しめました。かかしをアートが邪魔をしてない?と思いました。アートが、このかかしと融合する、しないは、大きな問題でなく、かかしの「リアル」な町の人の手作りの存在感に、アートが全く拮抗できる力をもっていない。ここが一番の問題かなと思いました。
「現代アートはわからなくていい」「百人100通りの見方があっていい」というのを、免罪符のような言葉にしてはいけないでしょう。わかる作品を作れ、というのではありません。町家を使うなら、その町の特性をつかんで、ここでなければならない、何物かが見つからなければ、「地域」はどこでも同じ場所になってしまうでしょう。その「地域」ならではの「力」を見つけるのは、本当に難しい。勉強がいります。歴史や風土も供えた視点もいるでしょう。まず、その「場所」でやる前に、いかに意識的に、客観的に、「地域」を見ることができるか、そして、その特性にあった作家を選ぶのか…大変な力量がいる作業です。
「地域おこしのアート」が何でもありになってしまった時、観客のアートへの興味も失せるでしょう。これは私自身、地域発に関わるものとして、いつも頭に置かなければと思いつつ、流れてしまうことも多い…。今後の「はならぁと」ならではの作品に期待を込めて。(写真は、町中のかかし人形、池をみています)

 
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