歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

龍ヶ崎で蛇沼の「赤煉瓦廃墟」そして吉田茂でした

2007年02月27日 | 龍ヶ崎の風景

本日、龍ヶ崎の「蛇沼公園」付近にあると「噂」されている、「廃墟」の「洋館」を探しに行って来ました。

この「洋館」については、しばしば「コメント」を頂く、「吉田健太郎」さんの「ブログ」『親愛なる日記in龍ヶ崎』で「取り上げ」ていたので、これは「絶対」に「見て来なければ」と、思っていた場所なのです。

今日は、龍ヶ崎郊外の大型スーパーの駐車場に車を入れ、花粉対策用「超立体マスク」を着用し、自転車で「調査」を「敢行」しました。


先ずは、10分ほどで「蛇沼公園」に到着。


沼の畔にある「広場」から公園入り口方向を見ている写真です。「蛇沼公園」の「シンボル」の「蛇」の「彫刻」です。



口の中を見ると、「一円、五円、十円等」の「コイン」を十数枚「くわえて」いました。何かの「お呪い」でしょうか?

この「へび」どう見ても、「海」に居る「わらすぼ」のように見えます。失礼!


散策コースに沿って公園内を歩き、「廃墟」の「有りそうな」場所を「探って」見ました。当然、「公園」の「コースガイド」には「廃墟」の案内はありません。

沼縁を歩いていると、中高年の「探鳥」グループに出会いました。偶々、「リーダーらしき」男性と「眼が合い」、お互いに軽い会釈をしました。

何か話した方が良いと思い、

『この辺にある、赤煉瓦の廃墟をご存知ですか?』

と、聞いたのです。彼は「怪訝」そうな「顔」をして、

『エッ!? ハイキョ? さァー。知りませんねぇー』との答えが返って来ました。

公園に「廃墟」を探しに来る人は、あまり居ませんからねェ。かなり「怪しいおやじ」と思ったことでしょう。

沼の片側が公園になっており、反対側の岸に渡る「道」はありませんでした。
沼の対岸の林の中が「臭い」と感じたのです。


※帰宅してこれを書く前に、「健太郎さん」のブログを覗いたら、「コメント」のところに、「沼の反対側」と書いてありました。行く前に見ないで良かった、探す楽のしみが減りますからね。


公園を出て、暫くは住宅街を走りました。道は「沼から」遠ざかる方向にしかありませんでした。住宅街を抜けたところで、対岸に行く「だろう」と「思われる」道を見つけてました。

その道は「未舗装」の砂利道で、両側は畑です。暫く行くと行き止まりになっていました。


突き当たった所は、右側の林に沿ってパイプの柵があり、左側は「墓地」になっています。一旦は、引き返そうと、ハンドルを切ったのですが、そのまま360度回転して、墓地と柵の「隙間を突破」する事に決めました。

パイプに沿った先が「墓地」の入り口です。入り口から出て「未舗装」の道を少し行った所で、右手の林の中を覗いたら、

『ありゃ! なぁーんだ! こんな所に!』

そうです! あったのです!「赤レンガ」の「洋館」が!


発見した「喜び」はありましたが、あまりに簡単に「探し当て」てしまった事で「チョッピリ」残念な「気持ち」もしたりして・・・・・・。

やはり「探す」「苦労」多ければ、それだけ「見つけた時」の「喜び」も「大きい」ですからね。

「健太郎さん」に『探すのは大変ですよ、楽しんで探して下さい』と云われていたので、それなりの「心づもり」をしていたので・・・・・・・。少し「ガッカリ」でした。



「廃墟」へは、「笹」をかき分け、頭を下げて、足下に注意しての、ちょっとした「探検気分」です。



草木に「浸食」され、苔生した「赤レンガ」の「洋館」です。



この内部の「朽ち果て感」は、「朽ち果て」を「絵に描いた」ような「素晴らしさ」です。



内部の壁は「白漆喰仕上げ」です。


これは、正面玄関を内部から見たものです。この建物、二階建てで「階高」は「それなりに」ある様ですが、「正面玄関」の「ドア」も、脇の「ドア」も、「高さ」が「低く」、「幅」も狭いのです。

高さは180㎝弱ですし、幅は90㎝弱です。「洋館」ですが、所謂「尺モジュール」で作られているようでした。


玄関を入った部屋の下は、床板が抜けて「地下室」が露出しています。この地下室は「ワインセラー」に「ピッタリ」の気がしました。



建物内部に生えた木は、樹齢が「2~30年」といったところでしょうか?


苔に覆われた「赤レンガ」。いいです!

この建物は、「健太郎さん」の「ブログ」によると、「吉田茂」の「父親」か「兄」の「別荘」だったそうです。

私も、「吉田茂」と「龍ヶ崎」の「関係」を調べて見たくなりました。



帰りは、畑の先に広い通りが見えたので、そちらに向かいました。48号線でした。こちら側から入ると判り易いですね。

48号線を土浦方向に向かい、この「ONIX 龍ヶ崎店」の先を左折、写真で「宅急便」のトラックが出て来ています。

未舗装の道を、「ビニールハウス」の間を抜けて500㍍ほど行くと、右側の林の中に「赤煉瓦」の「洋館」が見えて来ます。


帰ってから、「くしゃみ、鼻水、眼の痒み」の発症なし、「超立体マスク」は「OK」のようです。

それでは、「洋館」で「吉田茂・・・私と誕生日が同じなのです」と「ワイン」を「酌み交わす」夢でも、見るとしますか・・・・・・


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4 コメント

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よく見つけましたね (ばかちん)
2014-04-13 17:45:56
すごいですね。この記事がなかったら絶対に見つけられなかったと思います。
くる人がいるらしくて「一般公開していません」「立ち入り禁止」の看板が出ていました。 でも現場で若い方に一人お会いしましたが…
立ち入り禁止ということなので、長居はしませんでしたが、良いものを見させていただきました。
Reよく見つけましたね (cocoro1)
2014-04-13 20:13:23
私が行ったのは7年前、その頃は「一般公開していません」「立ち入り禁止」等の看板はありませんでした。それなりに整備をして“市”として公開して貰いたいものです。以前、そんなことを龍ヶ崎市長に就任する直前の“中山一生さん”と“立ち話”でしたのですが・・・・・・・。
ご返事ありがとうございます。 (ばかちん)
2014-04-13 23:37:13
ずっと昔から、こういうプログ? をやっておられるのですね。
読んでいただいて感動しました。
目印のONIXですが、今は看板だけ残っていて廃業しているみたいです。
世の中の移り変わりは早いものです。
朝日新聞デジタル 2017年8月31日 3時00分 (牛久)
2020-09-03 20:37:54
※建物に興味を持った人のために、新聞記事を載せておきます。

『龍ケ崎の赤れんが西洋館、保存呼びかけへ』

 龍ケ崎市の蛇沼のほとりに大正時代、吉田茂元首相の父親が建てた赤れんがの建物が残されている。旧竹内農場の西洋館だ。今は朽ち果てて廃虚同然だが、市民団体は農場のシンボルで文化財として価値が高いとみており、9月3日に市内で開くイベントで保存を呼びかける。

 旧竹内農場は実業家で政治家の竹内綱が開設、1920年には2階建ての西洋館を建てた。吉田茂が病身の親族の見舞いに訪れたことがあるという。

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