歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

“だから荒野”⑤引き籠もる優太!逃げ出した朋美!そして優太も逃げ出し!二人は一緒に長崎の人に!

2015年02月18日 | テレビの話し
前回の続きです。

今日も寒い、冷たい小雨が降っています。それでも朝食後、それでも、いつものように45分歩いて来ました。朝は糖質を摂取するので食後高血糖対策は怠れ無いのです。昼頃から雪になるとの予報が出ています。

それで、だから荒野ですが、次男の高校生“優太クン”です。ドラマではよくある設定の“引き籠もり”なのです。

やっぱり、それなりに“引き籠もり”は社会問題なのでしょう。優太クンは学校で“いじめ”られているようです。どちらかと云うと、精神的なイジメのようで、いわゆる“無視”と云うやつのようで、それらから逃れるために引き籠りのようです。

心配する朋美に対して、『うるさい!ババァ死ね!』何て、お決まりの罵詈雑言を浴びせたりしているのです。まあ、彼としては、周りは荒れ果てた荒野なのでしょう。

でも、しかし、うるさいババァは自分を置いて家を出て行ってしまい、置いて行かれたと云うか、取り残されたと云うか、捨てられたと云うか、自分にもその責任の一端はあると云うか、いろいろ考え始めるのでした。

虐めは昔も“よくある”ことでした。いじめッ子、いじめられッ子も居ました。でも、しかし、引き籠もりは聴いた事はありませんでした。

昔と比べて、今の虐めは、肉体的な虐めより、陰湿な精神的な虐めが多い印象を受けます。こころの傷は、身体的な傷よりも、長く深く重く人を痛めつけます。

それで、昔は、家族も多く、兄弟も多く、経済的に貧しく、家庭内でも生存競争があったのです。食事にしても、それなりに積極的にならないと、エネルギー摂取もままならなかったのでした。

昔は、堪えるか、気にしないか、反撃に出るか、それなりに状況を打開するために、悪化させないために、闘ったのです。そうしなければ生きて行けなかったのでした。

今の世の中、それなりに、経済的には向上し、エネルギー摂取での争いは起きないのです。そのほかの生活環境も、黙っていても、それなりに与えられて育つのです。

すべてが、黙って居ても、何もしなくても、他者から与えられる環境なのです。自らが積極的に行動しなくても、それなりに生きて行ける環境なのです。

自分の置かれた環境を、自分の意志と力で変化させる必要もなく、訓練の機会もなく、泳ぎ方を知らないまま、社会の荒波に放り出され、驚き、もがき、苦しみ、不安を抱きつつ、敗北感を抱きつつ、自分の世界に閉じ籠もる・・・・・・そんな気がするのです。

で、一応、念の為、云って起きますが、私はどちらかと云えば、子供の頃、いじめっ子の部類でしたので、いじめられっ子の気持ちには疎いかも知れません。

それで、だから荒野で、優太ですが、優太のブログに母からのコメントが入り、母の家出の一端の責任を、母への甘えを、母の優しさを、そして、そして、互いに逃げ出した者として、いろいろな思いが募りつつ、家を出て母の居る長崎に向かうのです。

今日は、この辺でお終い。

久しぶりの連続更新です。

窓の外は、予報が外れた?ようで、雪ではなく雨が降ってます。

それでは、また。


コメント (1)
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