おぉ一週間もたっているではないか。時間の経過は早いなぁ。
すでに一年も「半分経過 or まだ半分ある」の状態だなぁ。
先週も「自分空間における音楽週間」になっていて、またまたいろんな音楽をヒッパリだしてきては「おぉぉこの曲は奥深いじゃんかぁ〜」とか浸ってたりする(^^;
自己のために所有しているCDアルバムなど、ワタシはほとんど中古で売ったことがない。アルバムでも、たとえば3年前に聴いたときに感じた感動と、最近聴いたときに感じた感動と、さらには今日聴いたときに感動する「感動点」が違うのだ。
なので、「聴き飽きたCDお売りください」という文句に対し、ワタシは「聴き飽きたものはない」といつも思っている。まぁ、もちろんアーティストの意向から全く逸脱したマーケティングありきで制作されたモノに関しては微妙な気もするが。
車の中ではアラブ音楽でアラビアンな気分で運転し、仕事中には80年代のロックかけて仕事にモチベーションかけたり、疲れてきたらサラブライトマンあたりの数曲で落ち着いてみたり、精神的に疲労が積もればマントラでも流して心身ともに、細胞の刺激ー整列をする。
帰宅したらそれこそ「多種多様なジャンル」にどっぷり浸かっている。
先日、ひょんなことで「シガーバー」につれてってもらった。
う〜〜〜んマンダム。いい感じ。タバコはすわないけど、シガーという嗜好品の奥深さにに妙で良質な空間を感じた。bgmでは軽めのモダンジャズがかかっていて、まさにワタシが14才のときに求めていた「空間」であった。
これも結局「年齢を重ねる必要性」から感じる「Now and Then」であり、人生の中で「無駄はない」とつくづく思う今日この頃だ。
音楽の制作を実際やったことがあるひとは、一枚のアルバムにどれだけの時間と労力がかかっているかはご存知であろうと思うが、その苦労を考えると、アーティストのそのときの作品の意味や背景が、時間を置くにつれてしみじと感じてくる。
もちろんそのあと数年も経過すれば、肉体的に「声、テクニック」が若きころとは変わることは当然のことで、逆に音楽の奥深さは酒のように「成熟するもの」であると思った。
「あの時の声は、もうでないね」これは歌ったことがあれば誰でも感じることだろう。
でも、それは決してネガティブなことではなく、年をとったこと(経験をしたこと)による成熟した体でないと出せないモノが、代わりに身についたということだ。
だから、逆に「今の声(歌唱)はあの時では出なかったね」とも言えるのだ。
どの世界でも同じだとおもうが、経験と思考と探し物(自分の中で、なにか一番適合しているのか)、そして「実生活における喜怒哀楽の経験のモノの多さ」はどんなに金をつんでも得られないものだろう。
そんなわけで「音楽」がないと頭も体も死んでしまうワタシが、ここ最近深く深く、音楽について考え始めたのだった。
そのチカラは時には軽く、時には「重さ」より重いものである。