チャイナMBAマネジメント協会

「CMMA: China MBA & Management Association)」

第6回 Richard 現代の状元は静かに暮らしたい(?)

2014-12-25 | 清華大学MBA

(清華大学経済管理学院のサッカー大会にて優勝。写真左がRichard。)

<プロフィール>
1987年12月四川省成都生まれ。中学・高校と地元の名門校で学び、清華大学で電気工学を専攻。卒業後はSOE(政府系企業)で働いたのち、教育NPOである”Teach for China”で教師として2年間雲南省で恵まれない子供に教育サービスを提供。その後は投資会社を経て2013年9月清華大学経済管理学院に入学。2014年9月からは米国・マサチューセッツ工科大学スローン経営大学院に進学。クラスメートからは状元(科挙において各省で一番の成績の人)と呼ばれる天才肌。


坪井(以下(坪)): どんな家庭で育った?

Richard(以下(R)) : 父、母と一緒に住んでいた。僕が生まれたばっかりの頃は父と母は共に成都の小さな国営企業で働いていたけれど、2歳くらいのころから彼らは自分たちで事業を始めることにしたんだ。典型的な「个体工商户」だった(注: 改革開放後に条例により個人事業が許可され、行政の認可をとった個人営業者のこと)。その後10年くらいは建設関連の資材を売る仕事をしていて、幸いにも事業は順調に成長していった。また、祖父母は当時大学を卒業したばかりのおじの事業の手伝いをしていた。祖父母は改革開放前までは農業をしていたけど、多くの中国人がそうであるように開放後は農業を続けたいと思う人が少なかったし。それからしばらくして、父と母、それに祖父母もあ合わせておじが新しく始めた自動車部品の製造業を手伝うことになった。このような大家族的な事業運営もいかにも中国っぽいよね。

小学校は普通の学校だったけど、中学校は成都実験外国語学校(Chengdu Experimental Foreign Language School)に進んだ。この学校は英語教育に力点を置いている学校。英語の勉強はこの中学校に入ってから始めたけれど、ここでのトレーニングは間違いなく就職に役立ったよ。英語を流暢に話せる先生が教えてくれる上に英語だけはクラスを2つに分けて授業を行っていたので効率がよかった。それに加えて他の科目に比べて英語は授業数が多く、毎日宿題も課されていたし。
卒業後は成都第7中学(注:中国語では中学が英語のHigh School)という地域で一番の学校に成都市で一番の成績で入学した。

他の人よりも勉強ができる、ってことは小学校の時には気づいていた。他の人よりも早く理解できるからそんなに勉強しなくてもいい点取れていた。だからその分日本のアニメをたくさん見ることができたよ(笑)。とはいえ高校での勉強は少しハードになった。特に最初の学期はプレッシャーもそれなりに感じていたよ。なぜなら周りは僕が一番の成績で入学していることを知っているから。まあそれでも次の学期からは周りを気にせずリラックスして過ごすことができたけどね。

中学校、高校の進学先は自分で選んだ。家族の理解にも恵まれていたと思う。両親は僕がやりたくないことは無理にやらせようとはしなかった。学校を選ぶときだって、彼らは選択肢を示すだけでどこの学校に行け、と強制しなかった。おじは大学で英語を専攻していたこともあって、英語の重要性についてアドバイスをくれたのが決め手となって選んだんだ。



(坪): 大学は当然のように清華大学に進学

(R): 大学は清華大学の電気工学専攻に入学した。勉強に関して言えば多くの努力をしなくても割とスムーズに物ごとは進んできた。地域で一番の学校に進み、清華大学に入学するのだって特別なチャレンジではなく、当然の選択だった。電気工学を専攻したのは、入学が一番難しい専攻だったことと、両親が工学を専攻するのはロジカルシンキングを育むのにも役に立つだろう、とアドバイスをくれたから。だから別に電気工学に興味があったから選んだわけじゃないし当時は電気については何も知らなかった。高校を卒業してしまえば、もう大学入学に対するプレッシャーとか大勢のクラスの中で勉強することとか、勉強以外何もしない日々から解放される。だからもともと理科系の科目が得意だったけど、大学では勉強だけをしていたわけではない。卒業するのが唯一の目標だったし。クラスメートはほとんどの時間勉強してたけど、僕はガールフレンドと一緒に過ごしたり、エンジニアリングとは関係無い本を読んだり、映画を見たり、ゲームしたり… あとは歌うのが好きで、大学の歌のコンテストに参加して優勝したことが自慢だね。

海外の大学という選択肢は、その当時は一般的じゃなかったから。実際、香港科技大学からもオファーをもらったけど行かなかった。小さい頃から清華大学と北京大学が中国で一番の大学だって言われていたし、自分もそこに行くものだ、と思っていたから。それにハーバード、スタンフォードなどの欧米の大学が当時中国の高校生にオファーを出すことはなかったし。今は多くの学生が学部から直接海外に出て行くけど。



(坪): 大学を卒業後は何をしていた?

(R): 学部論文が研究室の教授に評価されて、彼に研究室に残るように言われたんだけど、そこまで研究に興味がなかったからその選択はしなかった。

当時インターンシップでSEOで働いていて、そこでオファーを得たので働くことにしたけれど、仕事は非効率的で退屈だった。全体の仕事のほんの一部しか携わることができないし、チャレンジングなことは何一つできない。だから別の機会を外に求めたんだ。それが”Teach for China (美麗中国)”というスタートアップだった。

このスタートアップは、地方の教育サービスを受けられない子どもたちのために教育を届けることを目的としたNPO。このNPOについてはウェブサイトで知ったんだけど、創設者やスタッフと話をして、彼らのミッション、モデルにぞっこんになった。短期的にだけでなく長期的にも意義のある仕事だと感じたし、そのミッションは実現可能だと思った。だから、せっかく SOEに就職したけれどTeach for Chinaで働くことを両親に納得してもらうよう試みた。とはいえ、彼らは僕のやることに対して反対することはなく、やりたいようにやらせてもらえたから大きな障害となることはなかった。

自分の経験も参画への決断に影響している。中学のときに大きな影響を受けた若い先生がいて、なぜかというと彼は事あるごとに将来の目標とか情熱とかについて熱く語ってくれたからなんだ。教師というのは子どもたちに多くの影響を与えることができる仕事であるってことを体感した。それと同じ仕事を地方の恵まれない子どもたちを相手にできることに大きなやりがいを感じる。研究室に残ることや、同じ仕事を繰り返すことよりよっぽど意味があるだろう? 僕は雲南省を担当して2年間そこで先生として働いた。当時の生徒は今でも毎週連絡をくれて、僕がMITに行くことを知って応援してくれるのを聞くと、うれしくなるね。彼らといつかどこかで一緒に働ける日を楽しみにしている。

その後北京の本社に戻って採用担当をした。SOEのような大組織では僕一人がいようがいまいが業務に支障は出ないけれど、ここでは僕がいないと生徒にとっては大きく違う。さらに、ここで働いているスタッフはアメリカと中国の一流大学を卒業した人たちばかりで、みんな違うバックグラウンドを持っている。以前の僕は何をしたいか、何のために働くかをあまりわかっていなかったけれど、彼らからそういったことを学ぶこともできる。

そういった環境にいたせいなのか、このままずっとここで働いていくことが果たして本当にやりたいことなんだろうか、と考えるようになり、それは少し違うような気もしてきた。最終的には自分で事業をしたい、というのは早い段階で思っていたこともあって、Teach for Chinaを退職して成都に戻って投資会社で働くことにした。投資候補となる企業を訪問して、デューデリジェンスをするのは、これまで研究や教育などいわゆる「ビジネス」から遠い仕事をしていた自分にとってとても面白かった。



(坪): なぜ清華大学MBAを選んだ? アメリカに直接行こうとは思わなかった?

(R): MBAはTeach for Chinaに入る頃から意識していた。その後で自分の事業を立ち上げたいと思っていたけど、僕にはコミュニケーションスキルが不足しているとわかっていたから。リーダーシップや他の人との共同作業、自分のビジョンを示すことなど、ビジネスに必要な要素が特に。これまでの業務経験ではこれらのスキルを伸ばす経験を積んで来なかったから。アメリカのMBAに直接行くことも考えていたよ。だけどMITとプログラム提携していること、デュアルティグリープログラムを選択すれば2年間で2つの学位を取得できることと、最初の1年間で僕より中国について多くを知っていて、多くを経験している中国大陸の学生と会えること、さらにインターナショナルクラスを選べば中国で他国の学生との交流が可能なことが清華大学MBAを選んだ理由だね。中国でビジネスをするためには、やはり人脈が必要だから。僕の両親もビジネスを営んでいるからインサイトを提供してくれるけれど、それだけでは十分ではない。違った産業、違った都市、違ったスタイルについて学ぶ必要がある。



(坪): 卒業後は何をしたい? 将来の夢は?

(R): MIT卒業後はアメリカに残りたいと思っている。現時点では不透明だけど可能であれば、自分で事業を始めたいね。しばらく働けばアメリカの永住権も得られるわけだし。ただ、永住権が欲しいと思っているのは便利だからってだけで、それ以上でも以下でもない。いずれにしてもいつかは中国に戻って自分のビジネスを展開するつもりだよ。中国は次の10年で最も影響力を持つ国であることに疑いはないし、今後ますます開放が進み、他国との協業もますます増えていくだろう。とはいえ、それにはまだまだ時間がかかるだろうから、アメリカの永住権を得ることはビジネスの場所を問わないためにも持っていて損はないと思うよ。

僕は大きな仕事に携わっていくよりも小さなビジネス、例えば海外の優れた製品などを中国に輸入する貿易業とかを営みながら、家族や友人と人生を楽しみたいと思っている。だいぶ前に清華インターナショナルMBAを卒業した先輩が、日本のエアコンメーカーの輸入エージェントをしているんだけど、それなんかいいよね。

将来の夢は…特に野望はないけれど、健康な人生と家族。健康、健康、健康。のんびりとした時間を家族と多く過ごしたい。それだけだよ(笑)。旅も好きじゃないけど、時間があればできると思う。家族と多くの時間を過ごしたいだけなんだ。


この記事はソーシャルウェブサイト「Billion Beats(10億の鼓動)‐日本人が見つけた13億分の1の中国人ストーリー‐」でも掲載しています。

中国を出る若者、戻る若者 -大陸で交差する夢-

北京大学MBAの他に、長江商学院MBA、清華大学MBAに在籍した日本人留学生による中国人クラスメイトインタビューもありますので、ぜひご覧になってください。

エリートバーリンホーのリアル

中国MBAリアルトーク ー WHAT’S NEXT IN CHINA

清華大MBAリアルトーク
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