環境色彩デザインを考える人へ

長年の経験と実践の中から、色彩デザインに役立つ情報やアイデアを紹介して行きます。

色は並べ替えるだけで、見え方が変わる その1

2011-02-28 14:24:17 | 日々のこと
2月26日(土)、千葉県柏市の景観まちあるきワークショップを行ってきました。柏市では例年、この時期に景観シンポジウムを開催してきたそうなのですが、10年を経過し専門家の話を聞くというスタイルも一つの節目を迎えたということで、もっと市民からの意見を取り入れるような形のイベントを企画したい、という要請を受け、昨年暮れから何度も現地を訪れたり市役所の方と打合せを行ったりしながら内容を練ってきました。

タイトルは『絵になる風景・気になる風景』というもので、A3サイズ大の黒いフレーム(額縁)を用意し、参加者にタイトルに即したまちなみの風景を切り取って(=写真に撮る)もらいました。それを会場に戻ってから各自のスライドショーをスクリーンに映し、どの点が『絵になる・気になる』のかを発表してもらい、最後に私が色彩の観点から絵になる要因・ならない要因を挙げ、意見交換を行って終了、という半日のスケジュールでした。

クリマのスタッフは何回かワークショップの経験がありますが、写真を撮影して即PCに取り込んでという流れは初めての経験。そして市役所の方も初の試みですから、何もかもが始めてで、上手く分担したつもりだったのですが、途中データが取り込めなかったり、編集であたふたしたりと少々慌てる場面もありました。

それでも、参加者の方々の反応がとてもよく、難しいと言いながらも色々な写真を撮ってきて下さいました。20代の大学生3人を含めても平均年齢が62歳前後という年配の方が中心のイベントだったのですが、最後には『看板を規制する法律はあるのか』 『風景と景観の違いは何か』等の質問も飛び出し、市役所の方が景観法や景観計画の解説を行う等、まさに『これからの景観まちづくりへの取り組み』を知ってもらうためのイベントとしては大成功だったように(手前味噌ながら)思います。

そのワークショップの模様は後日、市のHPに掲載予定ですのでそちらを待つこととして。最後のレクチャーで一番参加者からの反応が大きかった内容の一部をご紹介します。

タイトルは『色は関係性が大切』。毎度おなじみの文句です。下のモザイク、向かって左側は多色がランダムに混在している例です。商業施設の集積する中心市街地などの見え方に相当します。右は、それをただ並べ替えたもの。低彩度色を上部に配し、全体にトーン別にまとまりをつくることによって、見え方が大分“整った”印象になると思います。



次に、更に暖色系・寒色系に分類し、彩度の高い色の割合を全体の1/3程度に抑えてみました。色そのものは、上の画像の左図と何も変えていません。



これをppt(パワーポイント)のアニメーションで表示した際には、参加者からおおっ、と歓声(ちょっと大げさですが)が上がりました。私達にとっては、この配色のバランス(隣に来る色によって見え方が変わる)はとても重要で、色を扱う時にいつも意識している点です。まちなみの計画を考える時、全てが低彩度色であればいい、と思っているわけではありません。変化を感じさせる、或いは賑わいや活気の演出等にある程度色味のある色彩も欠かすことは出来ないと思います。

色それぞれが相互の関係性を持っており、互いに影響しあうという、至極明確な論理。これさえ頭に叩き込んでおけば、色に対する余計を先入観は払拭でき、色の持つ可能性を探求しやすくなるように考えています。

色の持つ性格

2011-02-24 20:17:20 | 日々のこと
先日ご紹介したアクトシティ浜松の高層棟は、7.5YRという色相でした。7.5YR 6.0/4.0程度の色彩は暖色系の低彩度色の範疇ですから、建築色として特別、珍しい色ではありません。ですが各地の建物の調査を行ってきた結果から、同じ暖色系の10YR系やY系に比べ、特に都市部での出現は少なめです。

浜松に毎年通うようになる以前から、この外装色が気になっていたのは、このような要因があるように思います。

これは2007年8月、視察したイタリア・ローマで見かけた集合住宅です。前日の夜遅くにホテルに入り、翌早朝まちの雰囲気を早く知りたくて、ホテルの周辺を散策した時のものです。4~6階建て程度の集合住宅やホテルが集積していたのですが、彩度がかなり高め(日本のまちなみよりも)であるというのが第一印象でした。そして測ってみると、7.5YR系を始めとするやや赤みに寄ったYR系の色相が多く見られました。ほのかにピンキッシュ、自然素材でいうとインド砂岩等に見られる色でもあります。



下はスポレッティで撮影したもの。7.5YR 7/5程度、明るくやや色味を感じる色彩です。単色で見るとかなり色気があり、私自身はこの程度の色を単独で外装色に展開したことはなく、でもそれがどうしてこんなにきれいに見えるのかなと不思議に思った記憶が蘇ります。



冷静に考えてみれば、周辺の建物群も類似色でまとまり、トーン(色の強さ)が揃っていること、開口部の類似性等も含め周辺建物との一体感が形成されていること、また塗装のマットな質感が落ち着いた雰囲気を与えている等のいくつかの要因が挙げられます。

一つの建築物の規模に対して圧迫感を感じない、という要素も大きいと思います。15m前後の高さでスカイラインが揃ったまちなみは、空が広々と開放的に感じられました。

これらの暖色系の色彩は、いわゆるアースカラーと呼ばれる範疇にあります。大地の素材(土や石や木)を使ってつくられて来た建築物の最も原始的な色、と言えるのだと思います。ですから、やはり誰もが安心感や親しみといった感情を抱きやすいのではないでしょうか。

それが、かつて誰も見たことが無いような超高層建築物に、大地の色が上へ上へと伸びて行き建ち現れた時にはどうしても多少の違和感が生じることでしょう。色そのものの違和ではなく、素材感を伴いある形態と合致した際の見え方の違和感、を想像するのは中々困難な作業だと思います。

色はそれぞれが持つイメージが優先されやすいのですが、私は動植物と同じように個々の性格や特性を持っている、と最近改めて考えるようになりました。ですから形態やボリューム・素材との相性、他の色との相性があります。独りではおとなしくて控えめな子が、誰かと一緒になると驚くほど饒舌になっていたり、個性的なフォルムや匂いを持つ植物がある場面では他を引き立てる役割を発揮したり。

そうして色それぞれの個性を見極め、なだめたりおだてたり(?)しながら色彩計画を考えるのは、とても奥の深い作業です。

測色005-アクトシティ浜松

2011-02-21 22:09:38 | 建築・工作物・都市の色
昨日、静岡文化芸術大学の卒展と、市内のギャラリー(ギャラリーのある蕎麦屋?)にて開催されていたターミナルオブブックスという本の展覧会を見て来ました。この話題はまた後日改めて。

普段授業の時は本当に時間が無くて、昼も夜もろくに市内で食事をとることが出来ません。浜松に通い出して6年も経つのに、“うなぎ”を食べたのは昨年が始めてでした。もっとまちを知らなくてはと思い、昨年暮れの授業見学の際に中心街をぶらぶらしたり、砂丘に行ったり。私なりの視点で、浜松というまちを見る余裕が、やっと出てきたように感じています。

以前から新幹線で通る度、この特徴あるシルエットは印象に残っていました。灯台もと暗しという感じで、駅前にありながらいつも通り過ぎるばかりだったのですが、昨日やっと初測色。



低層棟は5YR 6.0/4.0、高層棟は7.5YR 6.0/4.0程度でした。仕上げはいずれもモザイクタイル、それぞれ単一色でまとめており、少し距離を置いた際にもかなり色面として認識されやすい外観であると言えます。



暖色系の低彩度色は、穏やかで落ち着きがあり、住宅の基調色としてはごく一般的な色彩です。ですが、高層棟の基調色として使用されている例はとても珍しいのではないかと思います。

全ゾーンの落成式は平成7年4月とありますから、1995年です。工期は平成3年からとあり、いわゆるバブル期の計画であることが推測されます。建設当時は都市のスケールにそぐわないという議論があったのかも知れませんが、2011年現在、駅周辺にはいくつもの高層棟が林立するまちなみが広がっています。

ここでその都市論を語るには、申し訳ありませんが私のあまりにも脆弱な知識では敵いませんので、ここではあくまで、現在の色彩環境としての姿を考えてみたいと思います。

アクトシティは遠景で見るとほとんど同じ色と認識されるのですが、良く見ると高層棟の外装色は色相が黄赤味に寄っています。もし私が設計者の立場だったら、と考えると、それぞれの建物を全体の調和感を意識しつつも、変化を持たせるということは考えますから、ここでも同じような検討が行われたのだと推測してみます。

5YR系と7.5YR系の違いが、どのような効果をもたらすか?明度・彩度がほぼ同じですから、色相(色味)のみの違いです。私なりの回答は、赤味を抑えた方が(赤味の色相よりも)高層棟のモダンな形態には馴染みやすく圧迫感を緩和出来る(かも?)ということくらいです。残念ながら、その違いの意図は読み取りにくいなと感じました。例えば一昨年大阪で見かけた堂島リバーサイドフォーラムは、個々の建物のデザインも含め、全体の統一感と適度な変化が実現している都市の姿だと思うのですが、これはやはり時代の推移(=淘汰)がつくり出した姿だと感じます。

大規模建築物の色彩については、特にこの10年の推移を気にして見ていますが、16年前となると工法・形態・意匠・素材共に様々な試みが検討されていた、まさに過渡期の建築物なのではと感じます。

私はどのような建築・工作物を見ても、色彩の観点だけで建物自体の良し悪しを判断することは本当に困難であると常々、思っています。ですがこの数年、浜松のまちを訪れる度に駅前にあるこのシンボリックな(くどいようですが建築としての良し悪しはさておき)建物群の色をシンボルとして扱おうという姿勢が見受けられないことを少し勿体ないなと感じています。

高層建築物が良くない、等という端的な問題ではなく。都市の景観をどのように形成していくか、ということをもっと総合的に考える必要があると思うのです。色彩の観点ではこの既にあるアクトシティの素材・色彩が“ある基準”になっているのではないでしょうか。この色を超えないようにする、あるいは近似色で誘導していく。規模や形態のコントルールが難しい状況では、少なくとも“全体の雰囲気”くらい、既にある環境から“バトン”を受け取っても良いのではないか。建築と色彩に関しては、常にそんなことを考えています。

善し悪しを別として、というのはあくまで色彩の観点で景観を語る場合です。誤解のないよう、建築の規模や意匠をどうでもいい、と思っているわけでは決してありません。ですが、既存の環境に配慮するということの意味を考えるとき、建築や工作物のつくり方や都市景観の更新の仕方は、色彩も含めて考える必要があると思うのです。

大規模建築物の色彩について -その2

2011-02-18 20:08:13 | 日々のこと
環境色彩が個々の良し悪しではないこと、身近にあるこのような例から感じています。下の写真は文京区で見かけた例ですが、いずれも色彩基準の範囲内に納まっており、個々としては『景観の阻害要因と成り得る』色ではありません。



ところが、隣り合う建物同士の明度差、ファサードの分節化による配色方法の違い、沿道の植栽の有無等により、壁面ラインが比較的整っているのにも係わらず不連続な印象が強く感じられます。

大規模な建築物がまちなみに与える影響というのは、こうした部分(特に敷地一杯に計画された建物間)に如実に表れてくると感じています。

一方、下の写真は秋葉原の再開発地区の眺めです。2001年に秋葉原地区まちづくりガイドラインが策定されており、様々な協議や調整が行われて来たことと推測します。再開発の是非等はさておき、やはり一つの目標や将来像に沿って何らかの調整が行われたエリアにはある種の統一感があり、『まちなみ』が形成されていると感じます。



まちなみを構成しているのは建築物だけでなく、舗道・ストリートファニチャー・沿道の植栽・空に至るまで、実に多様な要素が複雑に影響しあい、成り立っています。その要素を総合的に捉え、誘目性の度合い(強度)を考える必要があると思います。

近代的なガラスや金属を主体とした建物群、自然の緑が映えるパステルカラーの明るく優しい雰囲気の住宅群、低明度色で質感の良い素材を用いた建物群。私は都市にはいずれも必要だと思いますしある部分ではもっと積極的にデザインに力を入れ、エリアの特性をつくって行く必要があるとも考えています。

ですがそれは個々が競い合うものではなく、あくまで周辺との関係性を踏まえた上での協調であるべきです。協調というと『何故ひどい周りに併せなければならないのか』 『同じになり過ぎるとつまらない』等とも、よく言われます。ですが色彩に限って言えば、協調するということはそんなに特別に個性を消すようなことではないのでは、と感じています。

私自身も計画に携わる際、隣と全く同じようにしようとはもちろん考えません。ですが、地域の持っている色彩の傾向を把握し、その中でどの程度の色(・素材)を選定すれば、『良好なまちなみ』が形成し得るか、という視点を常に意識しています。

何事も白か黒かという議論ではなく。デザイン性かまちなみとの調和か、という2極論はあまりにも短絡的すぎると感じています。何を持って良いデザインとするか、ということはもちろんまた難しい問題ですが、環境色彩デザインはその課題とがっちり向き合って行こうと思います。

住宅の色彩計画に携わることが多いせいか、調査やまちあるきをする際には、『自分がこのまちに住みたいか』という視点が一つの評価基準になっています。それは決して新しいことばかりが良いわけではなく、古い建物ばかりでもそのスケール感が心地よかったり、新旧の建物が混在していても、何となく親和性が感じられたり。それがもちろん、色彩だけの問題ではないからこそ、そこに見え隠れする素材や色彩の関係性を探求して行こうと思うのです。

大規模建築物の色彩について -その1

2011-02-16 21:19:22 | 日々のこと
都市の特徴ある景観の一つに、高層・大規模建築物が挙げられます。こうした大規模な建築物は、形態自体が既にランドマークとしての存在感を持っている場合が殆どですので、少し距離を置いた中景や遠景からの見え方を相当意識して素材・色彩を検討する必要があります。

また、建物に近付いた時には全体像をよりもいわゆる基壇の部分、地上15メートル程度の見え方が重要になります。100mを超える高さの全体と、歩行者の行き交う足元部分を相互に調整しながら、おおらかにシルエットを生かす部分ときめ細やかに素材感や陰影を演出する部分とをしっかり区分して考えることが重要です。

大規模な建築・工作物は地域の景観に与える影響が大きいことから、東京都では平成16年(2004)に施行された景観法に基づく景観計画により、平成18年(2006)高さ15m又は延べ面積3,000平方mを超える建築物に対し、外装色彩の基準が設けられました(地域別基準の例・一般地域では高さ60m延べ面積30,000平方m他)。

日本の住宅における高層化の始まりは、1976年に建設された高さ66m、21階建ての集合住宅が第一号とされています。今から35年前のことと考えると、建築における歴史は比較的浅いものであると考えるべきではないか、と考えています。その証拠の一つとして考えているのは、竣工年代別に見ていくと建築の工法や意匠に実に様々な試みが見られることにあります。そして素材・色彩も当然、それに連動しています。

【東京都内にある高層住宅・32階・2000年竣工】


これはWebで調べたところ、外装仕上げはRC打放しと記述がありました。とすると、かなり経年変化しているのかも知れず、近いうちに測色して来ようと思っています。ファサードのフレームと本体の色の明度差が少ないため、少し距離を置くと全体にかなり明度が低く感じられます。

【札幌市にある高層住宅・40階建・2006年竣工】


これは中・高層部のバルコニー手摺に透明ガラスを用い、本体には高明度の白系を採用しているため、全体に限りなく軽快で透明感のある雰囲気です。

上の二つはいささか極端な例ではありますが、景観法の策定を間に挟んでいること、また超高層棟の“デザイン”が様々な技術開発と共により軽快な印象に移り変わってきた様子を伺い知ることが出来ると思います。高層建築物はそれまでのオフィスビル仕様からより開放性や快適性を重視した住宅仕様への変遷を遂げていると感じます。

ちなみに、札幌市の例では1階にあるコンビニエンス・ストアもかなり景観配慮型のデザインとなっています。店舗の正面に植栽があって、普通は(見通しが利かなくなるので)問題になるのでは、と思ったのですが、冬季の降雪時を考えた時、風や雪除けとしての役割を担っているのかなと考えています。これは植栽の専門家に確かめてみたいと思います。



そして私達(CLIMAT)は2009年春より、都内のとある超高層住宅の計画に携わっています。基本設計段階から様々な高層住宅を見学してはその見え方を検証しながら、どのような素材・色彩がふさわしいか、建築設計者と協働してきました。外装の色彩にも既に一年以上の検討を費やし、昨年ようやく着工したところです。

このプロジェクトも当然、行政の景観協議にかかり、景観審議会での検討を経て来ました。目立つ存在である以上、形態や色彩の工夫により、できる限り景観にも配慮を行いました。同時にクライアントからの要望であった“いたずらに目立つのではなく、でも品良く際立つような”色彩計画案を何とか提示できたと思います。

そしてここからが本格的な色彩調整の始まりです。タイルや焼付塗装を始めとする様々な部材の色彩を慎重に選定していきます。全体の方針に添いつつも、不具合は徹底的に調整を行います。今月はタイルの製品検査が愛知県の工場にて実施されます。

私はかつて別のプロジェクトで数回、工場検査を体験しているので、今回は若いスタッフに任せる決意をしました。出荷前の最後の検査です。色の振れ具合を判断する製品検査の機会は中々ありませんから、よい経験になることでしょう。もちろん、事前にその判断基準の打合せを行わなくてはなりません。送り出す方も気が気ではありませんが、そこは日頃の信頼感が効果を発揮してくれる(はず?)と信じています。