ケスケラの読書と旅の日記

主に哲学・思想関係の本について要約紹介します。書き方のスタイルごとにカテゴリーを変えています。

『存在と時間(一)』(その6) ハイデッガー著 熊野純彦訳

2016年10月12日 | 哲学研究
「現存在は、当の存在体制にしたがって、現存在自身ではなく、現存在が、とはいえ自分の世界の「内部で」出会うような、その存在者と、当の存在者の存在の側から、自分自身を-ということはつまりまたみずからの世界内存在をも-存在論的にさしあたり理解しているからである」(289頁本文)

ハイデッガーの言うことが分かりにくいのは、「現存在」という言葉の意味が変化するからである。この文で「現存在自身ではなく、現存在が」と言い換えているが、前の「現存在自身」は「世界内存在」を存在体制とする本来的なものである。それに対し、後の「現存在」は世界の内部で出会う事物と相関的な「目のまえの存在」として解された「現存在」である。その場合の「現存在」の「世界内存在」はあたかも客観的世界の中に人間という事物が存在するというイメージとなる。それが「存在論的にさしあたり理解している」ということの意味である。
世界の中に私が存在するということは誰も否定せず、「さしあたり理解していること」だろう。だがそれはハイデッガーのいう「世界内存在」ではないのだ。その場合の現存在は「内存在」ではなく事物存在(目のまえの存在)にすぎない。

「世界内部的な存在者を存在的に描写することも、そうした存在者の存在を存在論的に解釈することも、そのものとしては、「世界」という現象には到達しない」(312頁本文)

この「「世界」という現象」という言葉には、これまでのハイデッガーの考察が込められている。ここでいう「世界」は客観世界のことではない。現存在のあり方である「世界内存在」の構造的分肢としての世界である。また「現象」は語源的考察で示されたように「存在」の別名である。従って「「世界」という現象」は「現存在(世界内存在)の存在」という意味になる。
「存在者の存在を存在論的に解釈する」とは、目のまえの事物存在の存在を例えば「実体」とか「自然」として解釈することであるが、それはなお存在者であり、ハイデッガーのいう「現象」(存在)ではないということだ。だから「世界」という現象(存在)に到達しないのである。

「手もとにあるありかたは、「それ自体で」あるがままの存在者の存在論的-カテゴリー的な規定なのである。とはいっても、手もとにあるものは、目のまえにあるものにもとづいてのみ「ある」。(中略)手もとにあるありかたは、存在論的に目のまえにあるありかたに基底づけられているということなのだろうか」(346頁本文)

「手もとにあるありかた」とは道具存在のことなのだが、この道具存在がやっかいである。
図式的にみるとハイデッガーは、事物-道具-現存在という存在者に対応する存在について、目のまえ存在-手もと存在-内存在に区分しているのだが、この目のまえ存在と手もと存在がどう違うのかがよく分からない。ということは道具の存在性格がよく分からないのだ。
引用文は「手もとにあるありかた」をカテゴリー的な規定としているから、少なくとも現存在の実存カテゴリーとは異なるのだろう。すると事物として目のまえ存在かというと、それに「基底づけられているということなのだろうか」と疑問を呈している。だから、手もと存在は、事物でも現存在でもない、第三のありかたであることをほのめかしているのである。

「「手もとにあるありかた」がたんに主観的なものならば、「存在者」は「目のまえにあるもの」として発見されていなければならない(中略)「手もとにあるありかた」は、存在者の「自体」的な規定なのである。」(347頁注解)

これは熊野訳の注解が単なる本文の要約ではないという一例である。
ハイデッガーのいう「目のまえにあるありかた」は、主観-客観による認識作用の客観的対象物に対応している一面がある。(歴史的視点を除外し単純化しているが、そういう一面がある)
これに対し、「手もとにあるありかた」は認識作用ではなく、「自体」的な規定である。
つまり道具存在とは、主観-客観の認識作用によって発見されるものではなく、日常生活のなかで認識としてではなく、それ自体として出会う存在者だということである。
確かに本文にも「それ自体」という言葉があり、注解はそれを強調しているだけのようにみえるが、この「自体」という言葉は道具存在の「手もとにあるありかた」を理解するうえで、決定的に重要と思われる。

昔、『存在と時間』を読んだとき、この道具存在が奇異に思われ、なんだって存在論を道具から始めるのだろうと異和感を覚えたのだが、こうしてみると、確かに「存在」を認識によってではなく、それ自体として日常生活の中で出会うものがあるとすれば、それは「道具」以外にない。ハイデッガーによるこの道具存在の発見はやはり偉大な成果である。
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