ケスケラの読書と旅の日記

主に哲学・思想関係の本について要約紹介します。書き方のスタイルごとにカテゴリーを変えています。

日々雑感(その16)

2016年10月13日 | 日々雑感
ある精神科医の定義によると「おたく」とは二次元キャラでヌケる人ということである。
そういう意味では私は「おたく」ではない。威張ることではないが。
だが「萌え」の嗜好とリアルの嗜好は異なるらしい。そういう意味では私にも「萌え」の嗜好があるが、まったくリアルの嗜好ではない。
それは「噂の二人」とか「キャロル」とか、あと中山可穂の小説とか、そういう百合の世界に萌えるのである。出来ることなら女性に生まれ変わって百合の世界に浸りたいという憧れがある。不可能なればこその萌えであるが。
どうも感情を言葉にするというのは女性の特権らしい。だから女性同士の会話は感情剥きだしでも充分リアルなのである。これが男性となると、もうまったくダメである。およそ恋愛ドラマで男性が話すとなると臭くてやりきれない。それはヘテロであろうがゲイであろうが同じである。サマにならない。
だから最も美しいゲイの恋愛小説はまったく会話のない「ベニスに死す」であろう。恋愛小説というよりは何か形而上的な独り言のようである。
それが例えば中山可穂の小説などは、よくぞここまで言葉にしたな、という気がするが、それでもサマになっている。女性同士であればこそ言葉による表現が可能なのだろう。
恋愛小説は百合としてのみ可能なのではないかと思わせるぐらいの迫力がある。
それに映画を観ても女性同士はやはり美しい。
この分野では映画でも文学でも、もっともっと突き抜けた作品が出て欲しいし、その可能性はあると思う。
それに比べると男性同士は悲しい、哀れである。華がない。すべてが漫画である。
個人の意見として自由に言わせてもらうが、まあ、おまえら、もう少しは趣味を良くした方がいいんじゃないのと言いたくなる。真面目にやれと言いたい。
百合の方がよほど深い。私のえり好みの厳しい趣味判断で言えば、中山可穂の小説の方が、「仮面の告白」「禁色」「花のノートルダム」などよりも上質である。
少なくとも感情に率直であることが高貴である。余計な言い訳も面倒くさい理屈もない。
そこまで出来るなら、もっと出来るはずだと応援したくなる。
後につづく人が出ることを切に願う。
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