ケスケラの読書と旅の日記

主に哲学・思想関係の本について要約紹介します。書き方のスタイルごとにカテゴリーを変えています。

日々雑感(その18)

2016年10月17日 | 日々雑感
読書法といえばスローリーディングとか、線を引け、色分けしろ、声に出せ、七回読めなどと、いろんな人がいろんなことを言うのだが、結局それらは他人の方法であって、私も色々試してみたがあまり身につかなかった。
やはり自分に合った読書法は自分で見つけるしかないだろう。
私の場合、本を読み始めた青春の頃に「テクスト」などという概念が流行し、書かれたものがすべてで、作者のことは考えるなという風潮だった。とりわけ蓮実重彦の『夏目漱石論』は異様に面白い本で、「三四郎」の分析などはアッと驚くような内容だった。これは単なる評論ではなく、ある意味では読書法でもあり、それもただ方法を示しただけでなく、その成果まで示されたものでもある。
その印象があまりにも強烈だったので、本を読むとき作者のことは度外視して読む習慣になってしまった。
しかし人間の注意力の持続には限界がある。「書かれたもの」だけに集中していると、いつのまにか、それらが「書かれたもの」にすぎなくなり、重要なことを読み過ごしてしまうのである。
そこで現在の私の読書法は、作者の考えを仮説として立てるということである。
これは仮説であるから何でもよい。とにかく読み始めた段階で印象でもよいから大づかみに何を作者が考えているのか想像するのである。難しい本の場合は、入門書などで仮説を立ててみるのもよいが他人と同じでは面白くないので、自分なりに少しひねってみるのである。でっち上げでもよい。
そして、その仮説が正しいかどうか、「書かれたもの」によって検証するという読み方である。
この読み方のメリットはたとえ仮説が間違っていても、通常なら読み過ごしてしまうような特定の言葉にこだわることができるという点である。
それに、もし仮説どおりであれば、作者とともに思考しているような高揚した気分になる。
この読み方のデメリットは特定の言葉にこだわるあまり、他の言葉が目に入らないかもしれないということである。
ただ、今の私は仮説もなしにカントなどをお勉強として読んでみても、のんべんだらりとして眠くなるだけである。
たとえ特定の言葉であってもよいから、少しでもこだわることが出来るなら、それでも良いと考えている。とにかく眠くはならない。
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