特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

人生上々

2017-11-30 08:58:39 | 遺品整理
出向いた現場は、郊外の住宅地に建つ有料老人ホーム。
特別養護老人ホーム等とは違い、そこに入所するにも そこで暮らすにも ある程度のお金がかかる。
高級ではなくても、軽費型であっても、相応の費用がかかる。
つまり、ある程度の経済力がないと、入所することはできない。
満額の年金+αが必要。
となると、それが叶わない人もいるわけで・・・
立派な造りの建物を見ながら、私の脳裏には、自分の将来に対して一抹の不安が過った。

まだ少し先のことだけど、私も、“五十”という節目の歳が近くなっている。
「俺が五十!?・・・五十って・・・若くないどころか、もうじき爺さんじゃん・・・」
頭では年齢を受け入れていても、心のどこかでそれを拒否している私。
まだ充分に若いつもりでいる自分がどこかにいるからだろう、四十代を迎えたときよりも、大きなショックと重い悲壮感を抱えている。
同時に、常々、“死”を意識して生きてきた私だけど、そのリアルさが増し、より身近に感じるようになってきている。
「俺の人生、もうじき終わるんだなぁ・・・」
「俺、もうじき死ぬんだなぁ・・・」
特に悲観的になっているわけではないけど、つくづくそう想っている。
そして、時折、緊張している。

でも、余生が短くなることがリアルになるのは、悪いことばかりをもたらすのではない。
減酒、素食、運動、体重維持等々、健康を意識して、そのためにできることをやるようになったから。
おかげで、病院のお世話になるようなこともなく、現場でもキビキビ動けている。
また、以前は、軽はずみに
「もう死んでしまいたい・・・」
「このまま死んじゃってもいいかな・・・」
なんて投げやりになって心を疲れさせることが多かった私だけど、このところ、そんな思いが湧いてくることは少なくなってきた。
その逆に、この頃は、
「辛かろうが苦しかろうが、死にたかろうが死にたくなかろうが、どちらにしろ、人生の終わりは近い」
「だったら、それまでは精一杯生きてみよう!」
と、上を向くことが増えてきた。
これは、なかなかラッキーなことである。


頼まれた仕事は、その施設の一室の遺品処理。
依頼者は初老の女性。
亡くなったのは、この施設に入所していた女性の高齢の母親。
部屋には、故人が使っていた家財や生活用品が残されていた。
そうは言っても、そこは老人ホームの一室。
大型の家具もないし、一般の住宅に比べたらその量は少なめ。
いちいち部屋を歩き回らなくても、荷物の量を把握することができた。

クローゼットの上の段には、何着かの洋服がかかっていた。
それらは外出用の服で、晩年の故人はほとんど袖を通すことはなかった。
そして、下の段にはアルバムが整然と並べられていた。
背表紙には「○年度○年○組」の文字。
一冊一冊、大きくしっかりしたモノで、三十~四十冊はあった。
結構な数に 私が目を留めていると、
「それは、母が大切にしていたアルバムです」
「永年、小学校の教師をしていて、そのときもモノなんです」
「ここに入るときも、“持っていく!”ってきかなかったんですよね・・・」
「重いし 場所もとるので反対したんですけど・・・」
「一人暮らしが無理になって・・・そうは言っても同居もできなくて・・・」
「母をここに入れてしまうことに罪悪感みたいなものもあったので、認めたんです・・・」
と、女性は、その事情と苦悩を打ち明けてくれた。

当初、故人は老人ホームには入りたくなかった。
想い出がタップリ詰まった我が家、愛着のある我が家で余生を過ごしたかった。
しかし、身体の衰えがそれを許さず。
単に“不便”だけのことだった故人の一人暮らしは、“危険”な領域に入ることも増えてきて、いよいよ決断のときが迫ってきた。
そして、苦慮の末、“女性(娘)達家族に迷惑をかけたくない”との思いで余生に対する望みを捨てた。
ただ、せめてもの慰め、心の支えとして想い出のアルバムだけは持って出たのだった。


故人は、教師一筋の社会人生活を送った。
新米教師からスタートし、いくつものクラスを受け持ち、長い時間を幾人もの子供と共に過ごしてきた。
その道程は平たんではなく、悩んだこともあれば、苦しんだこともあった。
大病を患って休職したときは退職も考えた。
また、失敗したり、戸惑ったりしたこともあった。
父兄との確執で担任を外されそうになったときも退職を考えた。
それでも、故人は、教師という仕事に強い愛着を持っており、諦めずに続けた。

アルバムの中の子供達は、何百人・・・いや、千人を超えていたかも・・・
その中には、たくさんの笑顔があった・・・
今を楽しんでいる笑顔が、
希望に満ち溢れる笑顔が、
見えない明日を恐れない無邪気な笑顔が、
・・・人として大切にしたい笑顔があった。

故人は、教え子達の同窓会にも積極的に参加。
それは、現役のときだけにとどまらず、退職後も招かれるまま出かけていた。
そして、家に帰ってきて、その時の模様を嬉しそうに女性達家族に話してきかせるのが常だった。
ただ、そんな同窓会も、回を重ねるとともに参加者・不参加者は固定化。
来る人はいつも来るけど、来ない人はまったく来ない。
もちろん、不参加でも、「遠方に居住している」とか「時間の都合がつかない」とか、理由がわかっていれば心配はない。
しかし、不参加者の中には、その理由はもちろん、住所も連絡先も不明になってしまった人もいた。
「人生がうまくいってないんじゃないかな・・・」
と、故人は、そういった教え子達のことを案じていた。


そう言えば、私も、小中高通して同窓会といった類に一度も参加したことがない。
ハッキリは憶えていないけど、始めのうちは案内が届いていたようにも思うけど、多分、無視していたと思う。
したがって、現在に至るまで、小中高時代の友人との関わりは一切ない。
スマホの電話帳にも一人も入っていないし、SNSの類もまったく興味がないし、連絡がくることもなければ、私から連絡を入れることもない。
ただ、当然のようにそうして生きてきたため、寂しさはない。
しかし、それは、故人の言うとおり、“人生がうまくいっていない”せいかもしれない・・・
・・・イヤ・・・ちょっと違う・・・
うまくいっていないのは“人生”ではなく“自分”。
“面倒臭い”という理由がありつつも、結局は、自分のカッコ悪さを恥じて、敗北感や劣等感を覚えるのが嫌で、学友を遠ざけたように思う。


人生、うまくいく時もあれば うまくいかない時もある。
ただ、人生がうまくいっているかどうかは、見方と感じ方が変える。
正の見方・感じ方をすれば“うまくいっている”と思えるし、負の見方・感じ方をすれば“うまくいっていない”と思えてしまう。
つまり、「心の持ち様による」ということ。
しかし、それは、出来事や事象に大きく左右されやすい。
不運を歓迎できるはずもなければ、災難を喜べるはずもない。
平穏を好み波乱を嫌うのは当然のこと。
現実には、心の持ち様だけではどうにもならないこともある。
だけど、そういう心を持つための努力と挑戦は続けるべきだと思う。
それが、人生がうまくいくための秘訣のように思えるから。

・・・なんて偉そうなこと言ってるけど、大方の見方・多くの感じ方によれば、私は“負け組の負け犬”。
とても、人生がうまくいっているようには見えないはず。
まぁ・・・確かに・・・そう見えてしまう要素は、自分でも笑ってしまうくらいたくさんある。
だけど、それでも、私の人生は結構うまくいっている。

贅沢な暮らしには程遠いけど、三食に困ったこともなければ、飲みたい酒が欠けたこともない。
カッコ悪い仕事だけど、頭と身体もちゃんと働くし、ささやかながら やり甲斐もある。
小さなことかもしれないけど、日々に幸せがあり、日々に楽しみがある。
もちろん、苦労もあれば苦悩もある・・・数えればキリがない。
だから、そんなもの数えない。
ただただ、幸せと楽しさだけ数えることを心がけ、苦労と苦悩を薬味にしながら、それなりに楽しくやっている。

後悔しようがしまいが、過ぎた時間を取り戻すことはできない・・・
不満を抱えようが抱えまいが、今は終わっていく・・・
憂おうが憂うまいが、未来は消えていく・・・
そう・・・この人生は すぐに終わる。
クヨクヨしてるヒマはない!
腐ってる場合じゃない!


持ち帰ったアルバムはゴミとして処分。
その様は、故人の人生が終わってしまったこと、その教え子達の人生が終わりゆくこと・・・・・人の人生には終わりがあることを象徴しているように見えて、何とも言えない切なさを感じた。
と同時に、故人が、アルバムを開き、一つ一つの想い出をめくりながら色んなことを懐かしみつつ、自分や教え子の人生に愛おしさを感じていた様が思い起こされ、それは、「残りの人生、少しでもうまくいくよう頑張りたいな」といった上々の想いを私に与えてくれたのだった。



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