特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

活き生き

2014-06-13 14:23:50 | 遺品整理
暑くなってきた。
晴天の日は真夏同然。
本番はこれからというのに、すでに活気を失いつつある。
(ま、もともと活気のある人間じゃないけど・・・)
何でもかんでも歳のせいにして、自分の精神力のなさをごまかしているけど、やはり、キツいときはキツいし、ツラいときはツラい。
しかし、そんなときにこそ精神に活力を漲らせるチャンスがあるのかもしれない。
だから、今日もまた、重い日常に立ち上がることができるのかもしれない。


「就活」という言葉が世に出て久しい。
就職氷河期に対する言葉として使われることが多く、学生にとっては、明るいニュアンスのある言葉ではないだろう。
厳しい経済情勢が就職難を引き起こしているのは、誰の目にも明白。
希望の仕事に就けるのは一部の学生のよう。
私の時代には、今に言う「就活」という言葉はなかった(もちろん「就職活動」という言葉はあった)。
今と比べると、学生にとっては恵まれた時代だったからだろうか。
なのに、就いたのはこの職業。
普通ならなかなか見つけることができないレアな仕事を見つけた自分を、褒めていいのか貶していいのか、その扱いに困る。

「婚活」という言葉も、世の中に定着している。
今、世の中、結婚難なのかどうかわからない。
生涯未婚率は、男が約20%、女性が約10%らしい。
この数値は、“草食男子”“肉食女子”を表しているようで、男性の結婚欲は弱く、女性の結婚欲は強いことがうかがえる。
その一因もまた、厳しい経済情勢のあると思う。
家族を養うどころか、自分一人が食べていくのがやっとだったりするわけで、男性は、結婚して家庭を持つための生活能力を育みようがなくなっている。
これまでは“縁”で結ばれていた男女が、昨今は、“\”で結ばれるようになっているのか・・・
この時勢にあって “結婚=生活保障”と打算する女性が多ければ、結婚が成立しにくいのもうなずける。

「終活」という言葉もある。
言い換えると“死に支度”。
これが世の中に出回るようになって2~3年経つだろうか。
近年は、「遺言ノート」「エンディングノート」といったものも、出回るようになっている。
たまにだけど、私も、終活セミナーや勉強会の類に招かれることがある。
そういう場に集まってくるのは、ほとんど高齢者。
現役を退いた70代以降の人が多く、死を自分の問題として捉えている。
そして、残された時間を充実させようとしている。

そういう人達が考えようとしているのは、葬儀、墓、遺産の行方、遺品の処分。
そして、残された人にできるかぎり迷惑をかけないようにすること、残された人の負担をできるかぎり少なくすることを志向している。
孤独死を心配する人もいるけど、これは多くはない。
発見が遅れて身体が腐乱してしまうことを心配する人もあまりいない。
放置された身体の変容を認識している人は、もっと少ない。

「死を考えるなんて縁起でもない」
「そんな後ろ向きな生き方はしたくない」
一時代前は、そういった風潮があったように思う。
しかし、昨今はそれも変わってきた。
自分の死を考えて、それに備えることは賢明なことと捉えられるに。
また、それが、生きることに活力を与えると理解されるようにもなってきた。

しかし、生活にある程度の余裕がないと、それもできない。
経済的・時間的な余裕だけでなく、精神的・肉体的な余裕も。
生活に余裕がなく、生活に追われる日々においては、終活にまで頭が回らないのが現実。
それでも、死は必ずやってくる。
結果、残された人々はバタつくことになるのだ。



「遺品処理と特殊清掃の見積りがほしい」
そんな依頼が入った。
電話の向こうは、比較的若い声の女性。
私は、女性の身辺で死が発生したことを推測。
「どなたかお亡くなりになったんですか?」
と、ありきたりの質問を投げかけた。
すると、
「いえ、誰かが亡くなったわけではなく・・・」
と、意外な言葉が返ってきた。
そして、
「自分が死んだときのことを考えて準備をしておきたいと思いまして・・・」
と言葉を続けた。

声から推察される女性の年齢は30代~40代。
「まだ若いのに、終活なんて、ちょっと変だな・・・」
「自殺でも考えてるんだろうか・・・」
「それとも、重い病気にかかってるのか?」
私には、それがただの終活だとは思えず、また、女性にとって重要なことを電話で済ませるのは失礼なことのように思えたので、女性の希望に応じて女性宅を訪問することを約束した。


訪問したのは、少し古いアパート。
約束の時間ピッタリに訪問すると、女性はすぐに玄関からでてきた。
外見年齢は、思っていた通り、30代半ばくらい。
ただ、初対面の女性に年齢を訊くのは失礼。
もちろん、「自殺を考えてます?」なんて訊けるはずもなければ、「重病にかかってます?」なんてことも訊きにくい。
今回、私を呼ぶに至った経緯を聴けば、その辺の事情は自ずと明らかになると思い、促されるまま玄関のドアをくぐった。

女性には、身寄りらしい身寄りはおらず、血縁者だけでみると天涯孤独な身の上。
両親は、女性が幼い頃に離婚。
そして、二人とも親として義務も責任も放棄。
幼い頃から、親らしいことは何もせず。
したがって、その親子関係は、時が経てば経つほど希薄なものに。
その生存は把握していたものの、何年も音信不通。
「もう親とは思っていない」「親とは関わりたくない」といった具合だった。

そんな両親だったものだから、女性は、数年前に亡くなった祖父母によって育てられた。
祖父母は、老齢ながらも親代わりとなってよく面倒をみてくれた。
しかし、年金暮らしで生活に余裕はなし。
他所の子のように、金を学歴に換えることはできず。
それでも、女性は努力して資格を取得。
それが就活の役に立ち、女性は正業を得、自分一人に生活をキチンと成り立たせていた。

天涯孤独であっても、後から家族をつくることはできる。
しかし、女性に結婚の予定はなさそう。
どうも、そのつもりもなさそうだった。
もちろん、それを訊いたわけではない。
野暮でKYな私でも、さすがにそれは訊かない。
進む会話の中からそれが察せられたのだ。
しかし、縁の問題はあっても、その他、女性に結婚できない事情があるようには思えず。
婚活して、いい出会いがあれば、将来、家庭や子供を持つ可能性も充分にありそうだった。
が、女心をつついて薮蛇がでてきたら困るので、私は、お節介じみたことを言うのはやめておいた。

そんな女性が、ある時、体調を崩した。
急に高熱がでて、ベッドから起き上がれなくなった。
一人暮らしで、助けてくれる人も、その状況に気づいてくれる人もおらず。
電話を手に取るのもやっとの状態で、とりあえず、勤務先に欠勤する旨を連絡。
次に、119番をしたのだった。

救急車が到着するまで、しばらくの時間があった。
原因不明の高熱と、起き上がることさえできない倦怠感に苛まれながら、
「このまま死んでしまうのかな・・・」
と、それまでに抱いたことにない不安が脳裏を過ぎった。
女性は、死に対する恐怖感もさることながら、何の準備もなく無責任に死んでしまうことへの罪悪感も強く感じたのだった。

女性は、それまで大病を患ったこともなく、自分では若く健康なつもりでいた。
また、女一人で生きていくことに精一杯で、それまでは、自分が死ぬことなんか微塵も考えたことがなかった。
それが、死を身近に感じる経験をしたことで一変。
他人に迷惑をかけないことを信条として生きてきた女性にとって、「遺族」と呼べる人を持たない女性にとって、不慮に訪れる死は大問題となった。

孤独死現場の処理を生業とする私に、何かを期待するように、女性は、積極的に色々なことを訊いてきた。
そして、女性は、上辺だけのスマートな話ではなく、グロテスクでも現実の話を聞きたがっていることが明らかだったので、私も、できるかぎり率直な返答を心がけた。
孤独死の事例、時間経過で遺体は腐ること、腐敗するとどうなるか等々、自分の所感も併せてリアルな話を女性に聞かせた。
女性も、私の話を真剣な面持ちで聞いてくれ、ただの野次馬では出せない類のことを訊いてきた。
そうして意見を交わしていく中で、我々は、死に支度についていくつかの結論を得たのだった。


死は他人事ではない
いつ訪れるか、わからない。
死に備えることは、生き方を見直すことにつながる。
意義のあることだと思う。
ただ、楽しく生きることを志向することも同じように大切。
人は、死ぬために生きるのではないのだから。

あれから、どれほどの年月が経つだろうか・・・
女性から連絡もないし、私から連絡する筋合いのものでもないから、今現在、女性がどうしているかはわからない。
ただ、死に備える活力を、楽しく生きる方向にも向けていてほしいと思う。
そして、親の愛には恵まれなかったかもしれないけど、一人の女性として、一人の人間として、「生まれてきてよかった」と思えるように、活き活きと生きてほしいと思うのである。



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