特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

ぼっち

2017-04-17 08:43:37 | 腐乱死体
客観的にみると、私は、結構“寂しいヤツ”である。
なにせ、今、「友達」と呼べる人が一人もいない。
三十代前半の頃は、学生時代と友達と付き合いがあっだけど、それも自然になくなった。
共通の趣味があるわけでも、家が近所にあるわけでもなく、仕事とか自分の生活で手一杯で関係は自然消滅した。
もちろん、職場には仲間がおり、プライベートには共に飲食を共にできる知人はいる。
だけど、誰もが“友達”という感じではない。
ま、もともと、私は、内向的で暗い性格だし、人づきあいも苦手。
多くの友達を持ってワイワイ楽しくやるタイプではない。
だから、“寂しい”とは思わない。
ただ、欲を言えば、「仕掛人・藤枝梅安」に出てくる“彦さん(彦次郎)”みたいな友達なら欲しいと思うけど、ま、これは まったく現実的ではない。

寂しさを覚えるのは、花びらがほとんど散ってしまった後の桜を見るとき。
開花から満開になるまで時間がかかり、更に、その後も低温の日が多くて花が保たれ、例年に比べてだいぶ長く楽しむことができたけど、今日この頃は、ほとんど散ってしまっている。
「もう散っちゃったか・・・」
「儚いなぁ・・・」
葉桜を見るたびにそう思う。
桜って、人々に愛でられるのは花が咲いている二週間程度の間だけ。
一年のうちで、たったの二週間・・・ホント短い。
あれだけ褒め愛でるのに、散ってしまった後は見向きもせず放ったらかし。
何とも気の毒なような、寂しい感じがする。

ま、その儚さが桜花の“価値”なのだろう。
そして、その儚さが桜花の“美”なのだろう
咲きっぱなしでは、人々に ここまで愛されはしないだろう。
儚いからこそ美しさが増し、儚いからこそ一層愛でられるのだと思う。
更に、寒くて暗い冬は永遠ではないことを教えてくれているようでもあって、心があたためられるのだろうと思う。


まだ肌寒さが残る浅春の昼下がり、私の携帯が鳴った。
画面に映ったのは、知らない番号。
ただ、仕事柄、知らない番号で携帯が鳴るのは珍しくない。
ほとんどは過去に仕事で関わったことがある人で、
この仕事は、依頼者を中心に色々な人と関わるわけで、携帯番号もフツーに交換する。
ただ、その場合でも、その番号はメモで残すのみで、氏名とともに登録したりはしない。
そして、仕事が終われば必要なくなるので、メモも削除する。
しかし、相手の方は、イザというときのためか、私の番号を残しておいてくれる場合がある。

ただ、不特定多数の依頼者や関係者と、しかも長年に渡って関わってきている私。
記憶に残っているのは印象に残っている人や、複数回の仕事をした不動産会社くらい。
ほとんどの人は、私の記憶から消えている。
だから、相手は私のことを憶えていても、私が相手のことを忘れていることってよくある。
「以前にお世話になった○○と申しますけど、憶えておられますか?」
とでも言ってくれれば、
「申し訳ありません・・・色々な方と関わる仕事なものですから・・・」
と、憶えていないことを正直に言いやすい。
しかし、
「もしもし、○○ですけど、この前はありがとうございました」
等と、その第一声がフレンドリーで“当然、憶えてるでしょ?”みたいなニュアンスだと、
「憶えてないんですけど、どちら様でしたっけ?」
なんて応答はしにくい。
相手は、残念なような寂しいような、不快な思いをするはずだから。
なので、
「どうも、どうも、御無沙汰しております・・・」
等とテキトーなことを言って、さも憶えていたかのように応対する。
そして、前回 作業した時期と現場の概要を聞けば ほとんど思い出すことができるので、会話の中でそれを探っていき、記憶を手繰り寄せるのである。

幸いなことに、この時の電話は、以前に一度 仕事をしたことがある不動産会社の担当者からのもの。
最後に関わったのは もう何年も前のことだったけど、インパクトのある現場だったので、会社名と名前を聞いただけですぐに思い出すことができた。

「いきなり携帯にかけてスイマセン・・・」
「どうも・・・御無沙汰しております」
「ひょっとしたら、もう辞められてるかとも思ったんですけど・・・」
「いえいえ・・・幸か不幸か、ずっと続けてます」
「がんばってますね・・・私も見習わないとな」
「転職できるほどの能力がないだけですよ・・・」
「そんなことないでしょうけど・・・」
旧知の友に再会したときのように、私達の話は、くだけた会話から始まった。

「ところで、私のこと憶えておられます?」
「えぇ、よく憶えてますよ! 凄まじい現場でしたからね!」
「ホント!大変だったでしょ!?」
「そりゃもう!」
「今回は、あれほどじゃないと思うんですけど・・・」
「ま、“あれほど”でもやりますけどね」
笑えるような用件ではないのに、私達は、お互いの労をねぎらうように笑った。

もともとの人柄だろう。
彼は、“気さく”というか“フレンドリー”というか、私にはない明るさと社交性を持っていた。
そして、たった過去一度きりのことでも、腐乱死体現場処理を共にあたったことで私を戦友のように思ってくれたのか、私に随分と親しみをもってくれているよう。
一時的な出会いでも、私は、そんな彼に対して友達みたいな感覚をおぼえ、そのことを嬉しくも思った。

用件は、前回同様、腐乱死体現場の処理。
鍵は、現地のKeybox(暗証番号で開く鍵の保管ケース)に保管。
「近隣から苦情がでると困るから、できるだけ早く」という要望はあったものの、「現地調査の日時は任せる」とのこと。
しかし、想像された現場は、後回しにはできない状況。
私は、その日の夕方に行くことを約束して電話を終えた。

現場は、込み入った住宅地に建つ少し古めのアパート。
その一階の一室。
私は、PS(Pipe space=ガスメーターや水道バルブ等の設置庫)に設置されたKeyboxを教えられた番号で開け、鍵を取り出した。
そして、そのまま玄関を開錠。
異臭の漏洩もなければ窓にハエの影もなく、また、気温も高くなく、私は、たいして緊張もせずドアを開けた。

室内は洋室一間の1K。
水廻りは汚く、プチごみ部屋。
遺体痕は、部屋の隅に敷かれた布団に残留。
そこには、クッキリと人の形。
ただ、気温の低い時季に亡くなっており、汚染も異臭もそれほどの重症ではなかった。

亡くなったのは、この部屋に住む高齢の男性。
生活保護受給者で、賃貸借契約の保証人はおろか、身寄りらしい身寄りもおらず。
晩年は仕事も退き、近所付き合いもせず、孤独にひっそりと暮らしていたよう。
そんな故人が、どういう経緯でここに住みついたのか、どういう経緯で生活保護受給者になったのか知れるはずもなかった。
ただ、あまり明るい想像はできず。
人生の後半は、失業・病気・家族離散・貧困などに苛まれた人生であったことが想像された。

元妻や子息の所在はわかっていた。
が、皆、「知らぬ、存ぜぬ」と冷たい対応。
それなりの遺産があれば対応も変わったのかもしれなかったけど、故人は財産らしい財産を持たず。
遺産の有無によって遺族の反応が変わることを考えると道義的に引っかかるものはあった。
ただ、生前の故人に重大な落度があったのかもしれないし、よい別れ方をしたのではなかったのかもしれないし、どちらにしろ、長い間、関係は断絶していだだろう。
だから、“金の切れ目が縁の切れ目”であっても仕方がないことだと思った。

しかし、後始末を負う人がいないのは大家や管理会社にとって災難なこと。
そうは言っても、もともと、そのリスクは想定できたはず。
故人は、連帯保証人もつけられないような高齢の生活保護受給者だったわけだから。
となると、その災難は甘受するしかなかった。


「アパート経営」「不動産運用」というと聞えはいい。
しかし、それで左団扇を扇げるのは一部の資産家のみ。
一般庶民が借金をしてアパート経営等の不動産運用をするケースをよく見かけるけど、冒険嫌いな私の目には、かなりリスキーなことのように見える。
家賃収入のほとんどは、返済と建物の維持管理費用と税金に消えてしまう。
投資した分を回収するには何年かかることか・・・その一生では賄えないかもしれない。
だから、空室をださないようにし、一定の家賃収入を確保し続けないといけない。
しかし、少子高齢化、労働人口減少の時代にあって、並みの物件では、入居者を確保するのは難しくなっている。
にも関わらず、資金力のある企業やオーナーによって、新しいアパートや綺麗なマンションはどんどん建てられている。
当然、入居者は、立地の良い物件や、築浅の物件に集まる。
同時に、立地が悪かったり古かったりする建物は敬遠されるようになる。
ちょっとしたリフォームくらいでは付加価値は増さず、当然のように家賃を下げることになる。
それでもダメな場合は、生活保護受給者等の低所得者とか、連帯保証人をつけられない独居老人とか、言葉は悪いけど“訳あり”の人を入居させる。
実際、独居の高齢者や生活保護受給者ばかりが集まっているアパートも珍しくない。
少しでも家賃収入を確保するため“空けておくよりマシ”と、多少のリスクがあることを承知でそういった孤独な人を入居させるのである。


「無縁社会」「孤立社会」
世の中でそういった言葉が囁かれるようになって久しい。
故人も、晩年は、社会との縁を結ばず、人との縁を切り、その一生を終えた。
多分、意図的にそうしたわけではなく、その時その時の選択によって、結果的にそうなったのだろうと思う。
もちろん、それが悪いわけではない。
ただ、どうしても、暗く寂しい想像が頭に浮かんだ。
同時に、私は、意図して“本人は、笑顔の想い出を胸に逝ったのかもしれない・・・”と、明るく温かな想像も巡らせた。
それが、故人に対して必要な“礼儀”“誠意” ・・・この仕事ならではの“一期一会”みたいに思えたから。

私も“友達”はいない。
人づき合いが あまり得意ではないから、これが自然の姿。
また、人と人との絆が薄らぎ、個人個人が絆を求めなくなっている時代のニーズでもあるのかもしれない。
だけど、社会に参画する一員として、一人では生きていけない人間として人との縁はある。
目に見えるところに人がおり、目に見えないところにも人がいる。
過去の想い出に人がおり、未来の想像に人がいる。
心の中には、私が必要とする人、私を必要としてくれる人、たくさんの人がいる。
仕事でもそう。
短い出会いがある。
ブログでもそう。
小さな出会いがある。
「一期一会」なんて大仰なことは言えないけど、私は、この出会いを大切に刻みたいと思っている。

最期は皆“ぼっち”・・・・・だけど“ぼっち”ではない。
人を愛しながら、人から愛されながら、人と共に生きた笑顔の想い出は、人を孤独な最期に追いやったりはしないだろうと思うのである。


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