★clausewitzのひとりごと★

45才既婚男です。雑多なブログですがコメントお待ちしております。

オススメの料理屋 小矢部編

2010年02月28日 15時04分01秒 | オススメの料理屋
2012年7月20日追記。
これから追記したら日付を変更してしばらくの間、一番上に来るようにします。

2013年6月17日追記
いろいろと内容変更しております
@@@@@@@@@@@@@@@本文@@@@@@@@@@@@@@@

2010-02-28 15:04:01(最初の投稿)


長い間放っておいたこのカテゴリー。開始します。

これはあくまで主観であり、「よく行くお店」を中心に書いていることをご了承ください。
また、記事執筆時に思い出せなかった店で追記したい場合は、追記として書いていきます。


小矢部で美味しいお店。
僕の一押しは「Cafe de deux deux deux

いつも行っているので今更説明は必要ないでしょう。
基本的にはイタリアン。でもサンドイッチとかも美味しいです。
から揚げとかもあるので、誰が行ってもそこそこ満足できると思います。
値段も手頃。料理が出てくるスピードも速い方です。
絶対になくなって欲しくないお店。
(2010年03月14日追記 日曜日はちょっと出てくるまで時間がかかってました・・・)

定休日は水曜日。しかし、火曜と木曜は何かの教室があり、貸切の場合が多いです。
要電話確認。0766-68-2922。

金沢からわざわざランチするためだけに来る必要はありませんが、砺波や高岡に用事が
あって小矢部を通る人にはオススメできると思います。
砺波や高岡に住む人は一度くらい来てみてもいい店だと思います。

(2012年07月20日追記 3月に閉店し5月末から亜鳥舞(昼部門)として再開されました・・・・
でもメニュー構成など変更。大好きだったリゾットなどがなくなってしまった。
夜は全く別の店と思ったほうがいいでしょう。唐揚げも一気に変化。残念です)




他には「多門」かな?
そば好きにはたまらないお店でしょう。
このお店も営業時間などすき放題なので、電話してから行ったほうがいいかも。
正月休みは1月11日までありましたし(笑)
電話番号は「0766-68-1079」です。

ちなみに他所と違って、てんぷらとかありません。
あ、それと結構時間かかります。一番に行ってもそれなりに時間がかかります。
だから、余裕の無い人にはオススメしません。
蕎麦好きで、のんびりとした時間を過ごされる方にはいいお店だと思います。
値段は手頃。店主は完全に道楽でやっておられます。
だから、やりたくなくなったら店をたたむと思います。
水がなかなか出てこなくても、そばがなかなか出てこなくても、大目に見てあげてください。
2013年05月06日追記GW最後の日、閉店いたしました


小矢部は思いつく限り、この位かな?
かつては、「優風庵」もありましたが、事情があり閉店しております。
なかなか本格的なお店って無いんですよね。



惜しいのはフィレンツェクラブか。
でもこのお店はしょっちゅう味が変わる(シェフも変わる)ので、定期的にチェックしないと駄目です。
またチェックしに行かないとね・・・・。
2012年07月20日追記 場所がクロスランドに移動しました。味は変わらずです。これからはシェフが変わらないと思います)


同じく惜しいのは「朴の木」。
かつては安いプランで気軽にっていうメニュー(380円の定食)がありましたが、
今は一品がついた500円くらいのメニューのみ。
基本玄米食の健康志向ご飯。
ただ、量がちょっと少ないのと、金沢でも最近この手のお店が出てきているので、
「わざわざ金沢から」っていう視点からは微妙。
でも、いいお店であるのは確か。味も良し。
うどんも出来たのかな? ちょっと方向性が分からなくなってます。
2012年07月20日追記 閉店しております)


番外編として、小矢部は卵が美味しいです。
というか、ヨード卵など小矢部で作って都会(東京や大阪)で販売することが多く、
知らず知らずのうちに食べていることも多いかも。

「道の駅 メルヘンおやべ」の外のコーナーで販売している「なめらかプリン」は形も可愛いし、味も美味しい。
小矢部のお持ち帰りとしては、いい商品だと思う。しかし、数が少ないのでお早めに。
卵自体を買いたい場合は、道の駅の中でどうぞ。
我が家でいつも買うのは「床鍋養鶏」のマリンエッグなど。
その一つ下のランクの商品も大変美味しい。味が全然違います。
値段もスーパーで買う卵とそれ程変わらないので、是非ともどうぞ。
2013年06月17日追記更新し忘れておりました。こちらの卵を使用した「おやたま食堂」が小矢部インター近くに出来ております。何度も行っているくせに申し訳ございません。


変り種としては、ブラジル人の方がやってるパン屋さんなどもあります。
細い路地を行ったところにある小さなお店。大阪などからもお客が来ています。
ダイエットなどに効果のあるとても健康的なパンが売られております。
店の名前?は「マリオのパン」です。興味がある方は調べてみてください。
2012年07月20日追記 閉店しております。時々イベントなどで見かけるという情報も)



僕の感覚では、小矢部はこんな感じです。
「小矢部に住んでいたらここへ行け」っていうお店は省いてあります。



@@@@@@@@@@@@@@ 2012年07月20日 追記 @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
更新するのを忘れておりましたが、3月から小矢部の店でホワイトラーメンを置くお店が増えました。
そんなに白くはありませんが、気になっている方は是非どうぞ。

オススメは何軒かありますが、とりあえず最初は「Guu」へ。
その次はコラーレダイニング。夜はTer&Barなどはどうでしょうか?


最近、よく行っているのは、インターすぐそばの「おやたま食堂」。
基本的にたまごかけご飯のお店ですが、日替わり丼(500円)も秀逸。
ラーメンもあります。たまごかけご飯はご飯単品と追加卵でも味わえます。

また、コラーレダイニングも利用しております。
味は普通ですが、安心感があり利用しやすい。

期待していた亜鳥舞ですが、夜が残念すぎます。
昼、カフェ、夜と合計5回行ってますが・・・・もうちょっと頑張ってもらわないと厳しいかと。
夜遅くまでやっているので、本当に便利なお店になるはずだったのに・・・。
景色や空間も良いので改善していただけたら、常連になります。
なんというか、ドゥドゥドゥのレベルが懐かしいです。

灯油タンク入れ替え完了

2010年02月24日 23時26分57秒 | リフォーム
本日、灯油タンクを新しい物にしました。
前と同じ会社の同じタイプ(480L)です。

前のタンクにまだ灯油が250リットルほど残っていたのですが、
サビが入り込んでおり、「使わない方がいい」という事で全て廃棄することに・・・。
あーあ・・・・勿体ない。


結局、タンク交換に4万ちょい。灯油の給油で3万5000円かかりました。


まあ、これでファンヒーターも安全だろう。
といってもこの暖かさでは、使用頻度が激減しそうだな。

壊れた4台のファンヒーター・・・・どうしよ。
1台は修理に出しているが、まだ帰ってきてないし。
いくらかかるかも知らないし。

面倒なことって重なるんですよねぇ。。。

灯油タンク交換

2010年02月22日 11時34分56秒 | リフォーム
これは正確にはリフォームではありません。

実は、先日(イタリアへ行く前)からずっと父の部屋や台所が灯油臭くなっておりました。
原因は、父が頻繁に灯油をいじるから。

今使っているファンヒーターは20年程前のものが二つと、5年ほど前の大型のものが
二つ。
そのうちの3台が相次いでエラー。最初のうちは、「掃除しろ」というエラー。
次に「修理してくれ」というエラー。

よくよく見てみると、まず、灯油にゴミが含まれている。
これがファンヒーターを詰まらせた。
次に、灯油に水が含まれている。これでファンヒーターは停止。


水が含まれているのは、灯油タンクの水抜きを怠ったから。
水抜きしてみると次々に出てきた。
しかし、問題は次の「ゴミ」。ゴミの原因も分かっている。

それは、灯油タンクの劣化である。我が家の灯油タンクは480リットルの大型タンク。
既に最低でも20年は経過している代物。
その内部が錆びているのだ。
その錆びた鉄が落ちて灯油に含まれてしまうのである。

水が入り込んでいたのも錆を生む原因にもなっただろう。
雪が落ちる衝撃も、錆を落とすのには貢献したのだろう。

最近は水抜きしようにも、水がたまる部分が凍っているのでどうしようもない。
どうしようもなく、交換する事になった。

配管もしなければならないし・・・とりあえず、農協任せだな。

雑誌『金澤』

2010年02月19日 18時50分13秒 | その他の話
我が家では2006年1月から雑誌『金澤』を定期購読しております。
それ以前は興味のある号だけを購入しておりました。

最近、ネタが尽きたのだろう。全く面白くない。
特に今年に入ってからは不景気感が蔓延。
2009年11月「近県からのお取り寄せ」
2009年12月「そうだ、温泉に行こう!」
2010年01月「美味しいお惣菜を徹底調査」
2010年02月「毎日の食事をおいしくするベストアイテム」

そして今月号。特集は
「1000円ドライブの旅」
「2000万円以下で買える土地付き住宅」

まあ、1000円ドライブはいいや。
でも、不動産情報(宅地や一戸建て情報)に65Pから97Pという実に33Pもさいている。
フリーペーパー並だろ。
いくらスポンサーがいないからってさ・・・。

ついこの間特集を組んだ温泉関係も7Pとっている。

かつては「壇れい」を「篠山紀信」が撮影し、表紙を飾っていた。
特集も、「これぞ金澤」って感じのお店が並んだ。

今のモデルは「表紙モデル大募集!」で応募された方。
カメラマンの表記は見つかりませんでした。


全部で120P程の雑誌なのに・・・「今月の赤ちゃん」とかあるし。
ああいうのって、Clubismでいいんじゃないの?


かつて、こういう内容の記事を書きました。


いくら不景気だからってねぇ・・・



来月号、3月20日発売の4月号の内容ですが・・・・
「わざわざ行きたいパン屋の人気商品全部紹介しちゃいます」
「プチドライブの途中のカフェ」
「特選マンション情報」
「金澤不動産案内」
などなど。

そりゃ、マンションや不動産が売れなければどんどん不景気になりますよ。
でもねぇ、なんとなく・・・・雑誌の方向性が。


妻は最近の金澤は読んでもいない。僕も送られてきたのを一瞥し本棚へ。
重いんですよね、あの雑誌。内容は軽くなったのに。



あ、そうそう。12冊の料金で13冊お届けという「定期購読キャンペーン」、
3月で終了するみたいです。


そういえば、金澤特選会のカード、使ったことないな・・・



我が家では、次の更新はありません。気に入った号だけ買うことにします。

内容がよくなれば、また定期購読するかも・・ね。
いい雑誌だったのに、勿体無い。

JMB WAON カードのまとめ

2010年02月16日 18時39分45秒 | ANA JAL マイル関連
WAONを使用するとマイルが貯まる、JALの「JMB WAONカード

これは使えるぞ、とばかりに申し込み(3月31日まで発行手数料無料)イタリア旅行から帰ってきてから、早速イオンへ。


今日は火曜日、何やら「火曜市 WAON トクトクポイント」なるものをやっていたのでラッキーとばかりに買い物。


一旦レジを通った後、レシートを見てみると「JMB WAONカードではポイント対象外です」との注意書きが。

事情を聞くためインフォメーションへ。

どうやらJMB WAONカードは普通のWAONカードと扱いが違うようです。
てっきり「ポイントの代わりにマイルが貯まる」のだと思っておりました。


まとめてみると

・ポイントはつかず、マイルになる(理解通り)
・火曜市のポイントは、マイルでもなくポイントでもなく100WAONとしてプレゼント。
・セルフレジでの2倍ポイントは対象外
・5&15&25日のポイント2倍の日は、マイルが2倍たまる
・特定の商品につく「ボーナスポイント」はマイル対象外(ポイントもつかない)
・20日30日のお客様感謝デーでは、きちんと5%引ける(当然)

痛かったのが「ボーナスポイント対象外」という事。
これがあればあっさりマイルが貯まったのにねぇ。ま、「そうは問屋が卸さない」という所か。


ちなみに、ファミマの場合、TポイントとWAONポイント(マイル)が両方つくのでお得です。
しかも、2月28日までなら2倍マイルがたまるのでとてもお得。



なんか、セコセコしてますね・・。



@@@@@@@@@@@@ 2010年5月27日追記 @@@@@@@
ボーナスポイントの場合もマイルが半分だけ付くようになったのですね。

イタリア旅行へ持っていったカメラ装備

2010年02月16日 01時54分02秒 | イタリア旅行
ずっと昔から考えていたことがありました。


「ヨーロッパへ旅行に行く時は、ライカ一台でいく」


というもの。
ライカっていっても高いものではなく、コンデジ。



しかし、何故かそんなことすっかり忘れてキャノンのEOS-20Dを持って行っておりました。
散々迷ったレンズですが・・・、


CANON EF28-105mm F3.5-4.5   15年前に購入
CANON EF-S10-22mm F3.5-4.5 USM   先日購入


それと、2倍テレコン(焦点距離を2倍にするもの)と、77mm用のケンコーのプロテクトフィルターND8フィルター


その他に4GBのコンパクトフラッシュ。予備のバッテリーなど。


持っていこうか迷ったのが、300mmの望遠レンズと50mF1.4の標準レンズ。
それからサーキュラーPLを買おうかどうしようか・・・・。


まず、一番役に立ったのは言うまでもなく超広角ズーム
建物全てを写そうとした場合、距離の関係で(後ろがない)全体を入れることが出来ない場合がありますが、その時はこのレンズが役に立ちます。

超広角レンズは、いらない物が入ったりして整理が難しいのですが、海外の場合はあえて
そう言うことは考えないで撮影しても割と絵になります。
ただ、端が歪むので人を写すときは注意が必要。

標準ズームは・・・・それ程使いませんでした。
なんというか中途半端。対して明るくもないし。コンデジでも充分だし。
時々使ってもすぐに超広角に替えてました(笑)

プロテクトフィルターは保護なので、移動の際に使用。
それ程映りに影響がなさそうな場合はいつも付けていてもいいと思う。

ND8フィルターは晴れた日に絞り開放で撮りたいとき、あるいは低速シャッターで水の流れを写すときに使用しようと思っていたのですが・・・。
最初の内はあまり晴れなくて必要がなかった。
晴れたといっても、絞れないほど明るくは無かったので使用頻度は少なかった。

夜のトレビの泉の水を流したかったのですが、結構明るくて4秒くらいのシャッターが切れなかった。

また、観光地はほとんど三脚使用不可。一脚ならOKなのかな?


ちなみに、2倍テレコンは一度だけ使用。
高所から望遠にて撮影する時に使用したのですが、画質が悪く耐えられない。
ま、どっちみち望遠で撮りたいと思う写真は「丘の上からサンピエトロのクーポラを撮影。バックには夕日」ってアングルしかなかった。
となると300mmクラスの望遠が必要で、三脚無しに撮影するには少し厳しい。
(手すりか何かで固定しなければならない)

結局、一度もそんな時間に丘の上に行かなかった(笑)ので、必要なかった。
まあ、300mmのレンズを持って行っていたらわざわざ撮影しに行ったかも知れないけど。


こんなことならサーキュラーPLを買って持っていけば良かった。
ヴァチカン美術館などではガラスに入った彫刻も多かったし、何より絵画に光が反射して写らなかったものもあったし。


コンパクトフラッシュは4GBで充分でした。
旅行全体では4000枚程写真を撮影(IXYと合わせて)。
しかし、ホテルに戻る度にPCに画像を移動させていたので、残り枚数を気にする事はありませんでした。

IXYのSDは8GBを使用。これも上記の理由で容量不足は無し。
ビデオばかり撮る人はもっと必要かも。


それよりも、PC以外のバックアップ用のフラッシュメモリーがもう少し必要でした。
バックアップはPC以外に二つは欲しい所。
16GBのフラッシュメモリーがほとんど埋まりました。
もう一つ8GBしか容量のないフラッシュメモリーだったので、8GBのSDも使用する羽目になりました。
やはり16GBが二枚か、32GBが二枚あったら余裕があって良かったです。


バッテリーは2つあればいいでしょう。
その代わり、変換アダプタは多めに持っていった方がいいと思います。
携帯(台数分)と、カメラ台数分のアダプタはいるんじゃないかな?
カメラのバッテリーを最優先に充電しました。


変圧器は持っていきませんでした<デジカメやPC利用程度だと。
最近のアダプタは大体100-240V(入力)と書いてあると思います。



うちらは基本的に、料理写真はコンデジでしか撮影しません。
もちろん、フラッシュも使用しません。
イタリアでは、小さなキャンドル一つの灯りしかない場合が多かったので、本当に苦戦しました。
ISOをあげるしかなく、ざらついてしまったし。
やはりある程度高性能なコンデジが必要なのかも知れませんね。



以上、カメラ関連でした。

サン・ピエトロ大聖堂

2010年02月14日 22時05分59秒 | イタリア旅行
ローマにきたらここは外せないでしょう。
あの巨大な建造物がタダ見れるわけですから(笑)

この場所は、ローマの共和制時代には農園ぐらいしかありませんでしたが、
アウグストゥスがこちら側にも整備を広げ、カリグラ帝はこの地に四頭立ての戦車での
戦車競争をするために競技場をたてる。
競技場の長さは500m。アウグストゥスのチルコマッシモを真似てオベリスクもエジプトから取り寄せた。
このオベリスクが現在もサンピエトロ広場にあるものだ(若干移動している)

やや時代が下がり、ネロ帝の時代にはここでキリスト教徒の処刑が行われた。
野獣の毛皮をかぶせられて野犬に食い殺させたり、十字架にくくりつけて火あぶりにしたり・・・。
その殉教者の一人が「聖ペテロ」だった。

そういう流れもあって、この地にペテロのための寺院が建立された。
キリスト教社会において「大帝」と称されるコンスタンティヌスが「殉教者記念教会堂」を立てたのが始まり。
その後、アヴィニョン捕囚後にローマ教皇の座所になる。


まあ、歴史はこんな感じ。
ブラマンテが設計し、ラファエロ、ペルッツィが跡を継ぎ、ミケランジェロが修正し建設。
バロック期にはベルニーニが天蓋をはじめ、数々の彫刻を手がける。

そうして出来上がったのが現代のサンピエトロ大聖堂である。

なんというか・・・ベルニーニ色が強い(笑)
これでもか!と言わんばかりの装飾。

妻は「やりすぎ・・・馬鹿じゃないの」の感想連発。
(それでもうれしそうだったが)


日本では、ここまで出来ないからねぇ。

今やったら、ことごとくマスコミに叩かれそうな建造物。

あんな事やってるからお金が足りなくなり、資金調達のために免罪符などを発行し、宗教改革を加速させることになるんだよなぁ。

まあ、この無駄こそが芸術なのだけど。
フランスのヴェルサイユとかもそうだし。


これは現代にもいえることだけど、無駄をなくしてしまうと観光資源というものが生まれなくなる。
イタリアやフランスが観光立国として成功できるのはこの時代(ルネサンス期)のこういった芸術品のおかげである。
(日本も似たようなものです)

イギリスやアメリカはこの点弱いんですよね。


長くなったのでこの辺で。

フォロ・ロマーノ

2010年02月14日 20時44分33秒 | イタリア旅行
いやぁ・・・・やってきました。
ローマの中心地へ。


ちなみに、ここは昔ただの湿地帯でした。
何にも使えない土地だったのです。

それをローマの五代目の王(最初ローマは王政でした)タルクィニウスが大規模な干拓事業を行いました。
巨大な地下水道を作り、水をテヴェレ河に流し、それをふさぐ目的で石によって舗装。
今もその当時の排水溝がテヴェレ河から見えるようです。
ちなみにこの王はエトルリア人とギリシャ人の間に産まれた方です。
技術の発達したエトルリアならではですね。


さて、現代のフォロ・ロマーノですが、ほぼ廃墟です。
普通の方は「あぁ、年月がそうさせるのね」と思うかもしれませんが、
それは半分正解、半分不正解です。

では、不正解の部分として何があるかというと、それは蛮族による収奪と、
キリスト教徒による石材利用です。

たとえば、サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会の内部の柱はつぎはぎだらけです。
12世紀のインノケンティウス1世時代に、カラカラ浴場などから柱を調達して作成しております。
他にもこのようにフォロ・ロマーノやカラカラ浴場跡地などから、建材として柱や大理石プレート(コロッセオの観客席やディオクレティアヌス浴場のものなど)が、大量にキリスト教の教会造りに使われました。

また、フォロ・トライアーノのトライアヌスの円柱や、コロンナ広場のマルクスアウレリウス帝の円柱の上にあった騎馬像などは、1587年に教皇シクストゥス5世によって「聖ペテロ像」に取り替えられるなど、品の無いやり方で再利用されました。

また、その時のマルクス・アウレリウス帝の騎馬像などはそのままテヴェレ河に投げ込まれたといいます。

古代ローマはキリスト教からみたら邪教の帝国であったため、容赦なく壊されたようですね。
まあ、途中から無視してくれたおかげで、テヴェレ河から拾ってきたラオコーン像や騎馬像がルネサンス期以降に見直されることになるのですが。


話はフォロ・ロマーノに戻りますが、あの中はどうも迷いやすい。
トイレも簡易トイレしかないので、トイレに行きたいと思ったらさっさと出たくなる(笑)
すぐに見飽きてしまうという事もあります。

まあ、セヴェルスの凱旋門(パルティア戦役の戦勝記念)も、ティトゥスの凱旋門(有名なSPQRの原文がある)も、人によっては外のコンスタンティヌスの凱旋門と変わらないでしょうし。
凱旋門に書いてある文章をきちんと読める人はほとんどいないと思うので仕方ありませんね。
かくいう自分も部分部分しか読めないし(笑)


それにしても、カエサルの神殿を探すのに苦労しました。
なぜか知りませんが、ガイドブックを持って行かなかったのです。
誰か人がいたら分かったかもしれませんが、誰もいなかったし。
密かに三度程通り過ぎてから見つけました。
僕が写真を撮っていると、「ん?ここは重要な所なのか」という感じで次々と人が訪れておりました(笑)


そういえば、元老院の前の「カエサルの演壇」は現在工事中でしたね。
どうしようもなく写真も撮ってません。


観光名所としては他に、パラティーノの丘があります。
かつての高級住宅街、アウグストゥスの家やその妻リヴィアの家があります。
ティベリウス帝の宮殿跡もファルネジアーニ庭園(16世紀)の合間に見ることが出来ます。
また、ここからの景色はすばらしく、フォロ・ロマーノからコロッセオ、逆側のチルコ・マッシモなども見え、夕焼け時などは最高の眺めになるでしょう。


・・・・・・・実は、疲労度ピークのため、パラティーノには登っておりませんが(笑)



本当は見るべき所はおおいと思うのですが、それ程思い入れが無い観光客は、カンピドーリオ広場の脇から眺めればいいのかな?と不謹慎にも思ってしまいます。


ま、猫がいたからいいんだけどね。

ユーロコイン

2010年02月14日 17時05分53秒 | イタリア旅行
EU諸国が統一通貨ユーロが使い始めたのは2002年。

紙幣は全て同じデザイン(国番号が付く程度)ですが、コインは様々な種類が
あってたのしいです。

統合以前の各国通貨を集めるのは至難の業ですが、ユーロコインなら今からでも大丈夫。
しかし一部の国では1ユーロセント、2ユーロセントの硬貨は廃止されています。
(フィンランド&オランダ)


ローマは一大観光都市です。
きっとたくさんの国(EU圏内)の人が遊びに来ているだろうと推測。
それらの人々は自国の硬貨も使用できるので、時々お店のおつりに紛れ込んでいるんです。

日本で買える(両替できる)ユーロは当然ながら紙幣のみ。
おつりに頼るしかありません(笑)

そこで、今回手に入れた硬貨を国ごとに並べてみると・・・・

<イタリア>当然一番多い
  2ユーロ ダンテ・アリギエリの肖像
  1ユーロ レオナルド・ダ・ビンチの絵「Vitruvian人体構造図」
 50セント マルクス・アウレリウスの乗馬姿
 20セント 彫刻「シンボロ二世」
 10セント ボッテイチェリの「ビーナス」
  5セント コロセウム
  2セント ツリンのモレ・アントネリアナ尖塔
  1セント 

<ドイツ>
  2ユーロ ドイツの連邦鷲
  1ユーロ ドイツの連邦鷲
 50セント 
 20セント ブランデンブルグ門
 10セント ブランデンブルグ門
  5セント
  2セント
  1セント

<フランス>
  2ユーロ
  1ユーロ 「自由、平等、博愛」の文字で囲まれた木
 50セント
 20セント O・ロッティ 「種をまく人」
 10セント O・ロッティ 「種をまく人」
  5セント
  2セント
  1セント

<スペイン>
  2ユーロ カルロス一世王の肖像
  1ユーロ カルロス一世王の肖像
 50セント セルバンテスと羽ペン
 20セント セルバンテスと羽ペン
 10セント セルバンテスと羽ペン
  5セント サンチアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂
  2セント
  1セント

<オーストリア>
  2ユーロ 
  1ユーロ モーツァルトの肖像
 50セント ウィーンの分離教会
 20セント ベルベデール城
 10セント セント・ステファン大聖堂の尖塔
  5セント
  2セント 「エーデルワイス」
  1セント

<ベルギー>
  2ユーロ 国王アルバート二世の肖像
  1ユーロ 
 50セント 
 20セント 国王アルバート二世の肖像
 10セント 
  5セント
  2セント
  1セント

<フィンランド>
  2ユーロ フィンランド特産の果物、ラッカ
  1ユーロ 
 50セント 
 20セント 
 10セント 
  5セント

<アイルランド>
  2ユーロ 
  1ユーロ ケルト・ハープ
 50セント ケルト・ハープ
 20セント 
 10セント ケルト・ハープ
  5セント
  2セント
  1セント

<オランダ>
  2ユーロ 
  1ユーロ 
 50セント ベアトリックス女王の肖像
 20セント 
 10セント 
  5セント


こんな感じです。
デザインの名称の参考にしたのはこちらのサイトです。

最新のユーロコイン情報に関してはECBの公式サイトであるこちらへどうぞ!
(こちらのサイトを見てあまりにも綺麗なので集めることにしたのです)


全9カ国。32種類。
少ない日程(6泊)でこれだけたまったのはちょっと意外でした。
何しろ、他国の人も紙幣を両替したらイタリアの硬貨でおつりが来る可能性が高いからです。

後、通常1セント~10セント位は、面倒なのでおつりが帰ってこないのかと思っていましたが、意外にイタリアのレジでは出してくれました。
面倒なのか勝手に多くおつりをくれるお店もありました。

逆に一軒だけ「細かいのがないの」と言っておつり(30セント位)をくれないお店がありましたが(笑)


観光地に行かれる方でこういうのに興味がある方は、いろいろと調べてみるのも楽しいと思います。

カピトリーノの丘

2010年02月11日 00時59分52秒 | イタリア旅行
現代のガイドブックを読む人には「カンピドーリオ」と言った方が分かりやすい場所。
七つの丘のうち防衛に最も適した場所。
最も高く、三方が切り立った崖、残る一方はテヴェレ河。

しかしながら、もっとも狭く、首都機能を配置するには不適当。
そこで、ユピテル(ゼウス)神殿と妻のユノー(ヘラ)神殿を配置しました。


現代は、カピトリーノ美術館とコンセルヴァトーリ美術館、広場となっています。
市庁舎は半分崖になっているので当時はもっと狭かったと思います。


この丘に立つと、どうしても「ケルト・ショック」と呼ばれる一連の事件を思い出す。
紀元前390年の出来事だ。ローマはウェイを攻略し有頂天の頃。
ウェイは当時対立していたエトルリアの主要都市。当時のローマに比べたら大都会である。
貴族と対立していた平民が、「自分たちの都にしよう」とローマを捨てようとしていた。


そこに急遽、ケルト人(ガリア人)が侵攻してきたのだ。
まあ、実は当時勢いが強かったケルト人をエトルリア人が何とか防いでいたのだが、
そのエトルリアのウェイを陥落させることにより、直接攻撃を受けるようになったのだ。
大挙として押し寄せるケルト人に立ち向かおうにも、ローマ軍団の主力の平民は
ウェイに移動してしまった。


もうされるがままである。
略奪の限りを尽くし、全てを破壊されたローマ。人々はこのカピトリーノの丘にたてこもる
事にしました。
しかしながら、その狭さ故に「若者と壮年期の男、その妻女のみ」だけが籠城できた。
元老院議員とはいえ、年長の者は全て殺されたのです。

ケルト人は破壊し略奪する事だけ目的なので、ローマの占領には興味がない。
だから一通り満足した時、講和(もはや和平ともいえない)が結ばれました。
ケルト人には「金塊300キロ」を渡して引き上げてもらったのです。


残るは廃墟となったローマ。
本当に廃墟になったのです。

周辺にあってローマと同盟を結んでいた都市もことごとく裏切り、攻めてきます。

この時を振り返ると、ほんと、いつ滅んでもおかしくないと思います。


そのどうしようもない状態から、20年かけて立ち上がります。
立ち上がるといってもそれは防衛上の問題。そこから政治上の問題である貴族と平民の対立解消や同盟国との関係強化など、問題は山積み。

そして、蓋を開けてみたらケルトショック以前より格段に強い国家が誕生し、
イタリアを統一したのです。


ローマの強さは、敗戦を徹底的に分析し、問題をきちんと解決していく所です。


どこぞの、問題が有れば先送りする国家とは大違いですね。

マッシモ宮

2010年02月11日 00時59分33秒 | イタリア旅行
ガイドブックでみた時、「マッシモ宮?誰それ?」って感じでした。
ルネサンス時代の貴族かなって思っておりましたが、よくよく調べてみると、
「マッシモ」=「マクシウス」なのですね。

ローマ時代のマクシウス家で一番有名なのは「(クィントゥス・)ファビウス・マクシウス」かな?

彼はフラミニウスの翌年に執政官(その後独裁官)に就任し、ハンニバルと対戦したローマの名将。
徹底した持久戦法をとり、ハンニバル自身とはなるべく戦わないという戦法を採る。
一見、「臆病者」であるが戦略的には非常に効果的。
ハンニバルを苦しめて「イタリアの盾」と呼ばれることになる。


彼以前には、これまた似たような名前の「クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ルリアヌス」がいる。
サムニウム戦争時に大活躍した執政官だ。


つか、マクシムス家って言われるより「ファビウス一門」っていう方がピンと来るんですよね。


その後の有名人では・・・どうやら二人の教皇を出しているようです。
アナスタシウス1世(399-401年)とパスカリス1世(817ー824年)
あまり知りません。家に「ローマ教皇伝」って本があるので調べてみてもいいのですが、
今はないので・・・・。

枢機卿ならたくさんいるみたい。

ちなみに、今の当主は「フィリッポ・マッシモ公」
レオーネ公とジェノヴァ公妃の間に生まれた人。


現在のマッシモ宮は1527年カール5世がローマ劫掠を行った後の廃墟の上にたてたそうな。
ペルッツィの作。

紋章には「粘り腰によって国家を救う」(クンクタンド・レスティトゥーイット)という銘文が書かれているようです。
いかにも、「イタリアの盾」の末裔っぽくて格好いいですね。


フラミニア街道

2010年02月11日 00時58分50秒 | イタリア旅行
タイトルを見て、「?」と思う人も多いと思います。
イタリア通の人はすぐに「国道3号線」だ、と分かるかも知れません。

観光客には「コルソ通り」として説明する方が早いと思います。
コルソ通りはポポロ広場からヴェネツィア広場までまっすぐに伸びる道。
かつては競馬も行われたようです。

フラミニア街道は・・・あれ? ウィキペディアのを引用しようとしたけど、項目がないので、書いてみます。


現在の国道3号線で、ローマからリミニまで続く総延長315kmの街道。
名前の通り、フラミニウスが造った道です。その後アウグストゥスが改修。
ま、それだけ聞いたら「は? 誰だよ、それ」って思うのでちょいと補足。

フラミニウス(ガイウス・フラミニウス)は、平民出身の人。
性格は強気で大胆。紀元前232年、護民官に選出。翌年、元老院入り。
前227年シチリア総督。前223年執政官に選出。
そして、前220年には財務官(ケンソル)に選出され、この街道を敷設(ふせつ)。
貧富の差をなくそうと国有地借地の上限を125ヘクタールと定めたり(グラックス兄弟の1世紀前!)、
元老院議員およびその子孫が海外貿易するのを禁止する法律を成立させたりした平民階級の希望の星。
前217年、二度目の執政官に選出。

とまあ、こんな感じ。なんでこんな事を書くのかというと、他でも有名な人だからです。

それは・・・・世界史マニアならば知っているかな?
「トランジメーノの会戦」のローマ側の執政官(最高司令官の一人)であった人なのです。
おいおい、トランジメーノの会戦もwikiにないのか・・・。


第二次ポエニ戦争。カルタゴの名将ハンニバルがアルプスを越え、ローマにむけて進軍。
ティチーノ、トレッビアの会戦で敗れたローマがハンニバルに臨んだ第三戦。
送り込まれたのが貴族出身の執政官のセルヴィリウスとこのフラミニウス。

ボローニャを出発したハンニバルがどのルートから来るか分からなかったので、
セルヴィリウスはリミニに、フラミニウスはアレッツィオへ。
リミニのルートはフラミニア街道を通る平坦なルート。
もう一つはアペニン山脈を越え、フィレンツェを通る山岳ルート。

ハンニバルの目的は、ローマ連合の切り崩しにあったのでフィレンツェを略奪しながら、
南下するというルートを選択。

フラミニウスは途中からハンニバルの後を追い、フラミニア街道にてセルヴィリウスと共に、挟撃する作戦に出ました。

トランジメーノ湖の画像・・・・・・どっかにないかな?


あ!  あった! 申し訳ございません。
フラミニウストランジメーノの会戦のwikiもありました・・・。
そっちの方が読みやすいと思うので、リンクしときます。
(会戦の様子も画像があるので見てみて下さい)
無いわけ無いと思ってたんですけど・・・。読み方の問題ですか。


結果的には、トランジメーノの会戦でフラミニウスは包囲殲滅され戦死してしまいます。
その後、セルヴィリウスも各個撃破される。


僕はこの戦いを見た(読んだ)時、戦慄を覚えました。
どうしてもハンニバルの天才的な行動に目が奪われがちですが、フラミニウスも決して
ただのバカじゃない。そりゃ、さぞかし間抜けな執政官として映るかも知れませんが、
彼の政治的功績は大きく、グラックス兄弟が跡を継いだ事もあり歴史に名を残している。
なんというか腐っても「ローマの執政官」である。
他の時代に生きたらもっと活躍できただろうに。


敗戦を知ったローマ市内は騒然としたでしょうね。
何しろ、位置的にはフラミニア街道を使ったらたったの三日の距離。
(戦死した執政官の名前の街道を使ったら・・・というのが気の毒だ)
だが、ハンニバルには別の場所へ移動する・・・別にフラミニウスに配慮したわけではなく、単に戦略的に重要な別の事(目的はローマ連合の解体)をしただけなのですが。


この戦いの後、ローマ軍はカンネーの戦い(センター試験レベル)で大敗します。

今でもローマでは泣きやまない赤ん坊に「戸口にハンニバルが来ているよ」といいます。
まあ、子供に対する脅し文句ですね。
応用として「危機が迫っている状態の時」にもいうみたいです。
「Hannibal ad portas」と表記するようです。


・・・申し訳ありません。
長くなりすぎました。次からは全て引用しようと思いますので。


ということで、コルソ通りを歩いていたら思い出したことを書いてみました。

イタリア旅行 為替の事

2010年02月04日 13時15分22秒 | イタリア旅行
旅行をするにあたって、為替はやはり重要なファクター。
特に我が家のような貧乏旅をする人間には、一円でも安い方がいい。

実はホテル予約する前、というか旅行を決めたポイントなのですが、
「円高傾向になりつつある」という事だったのです。

為替のチャートを見ていて、なんとなくそう思いました。

それでも、何かのきっかけで暴落(円安)する事も考えられたので、保険もかけることに。

まずはホテルの予約はすぐにします。
エクスペディアの場合、即支払いとなります。
しかしながら宿泊三日くらい前までは、手数料なし(ホテルにもよりますが)で変更できます。
つまり、予約した後に円高になったらキャンセル後、もう一度予約。
円安になったらもともとの値段で支払い。

ちょっとせこいですがそういうことも可能です。
(ホテルに直接予約するほうが安いのですが、何度もキャンセルを繰り返すのは嫌がられそう)

ちなみに今回は円高になったのですが、差が少なかったので何もせず。



後は、現金の両替。やっぱりレートは気になる所でしょう。


今回ちょこっとチェックしました。
ちなみにこの所、1ユーロ=126円近辺をいったり来たり。


まずは地元の「北陸銀行」から。
円→ユーロのレートは128,04くらい。
ユーロ→円は124.04くらいだったと思います。
想像していたよりもいいレートでびっくり。
田舎なのでもっとひどいと思っていたのに。

三井住友なども調べようと思ったのに、出発日前日は疲れていたので何もせず。


次に見たのは「成田空港
基本的に、「到着ロビー」の方が、「出発ロビー」よりレートはいい
今から外国へ出る人(外人にとっては不要な円を、自国の通貨に替える)の場合、
円は弱く働きます。つまり円安に。それでも必要なので両替してくれます。
逆に、日本に帰ってきた人(旅行に来た人)は日本円が必要になっているので、
円は強く働く。円高になっても両替してくれるから。

つまり、円→ユーロやドルにするには、多少面倒ですが「到着ロビー」に。
帰国し相手国通貨が不要になった場合は「出発ロビー」に行けばいい。

今回の例で見ると「到着ロビー」は1ユーロ=130.45円。
「出発ロビー」では1ユーロ=131.65円でした。
成田の第一ターミナルの場合、到着ロビーは4つの銀行(北ウィングと南ウィングあわせ)
がありましたが、4つとも似たようなレートでしたので、近い所で両替したらいいと思う。
(この作業が面倒でした・・・・)

あ、ユーロから円へのレートですが詳細は忘れてしまいました。
でも、北陸銀行よりは差があった(手数料は大きい)と思います。
確か・・・6円ほど開きがあったような。

ここで思ったのが・・・・「あぁ、結局北陸銀行が良かったな」という事。
ま、一日違うので、レートも変わったのかもしれませんが・・・。
(それでも2円も動いてはいません。瞬間的には動いてますが、為替を決める午前10時の時点での比較はそれ程動いていなかったように思います)


ちなみに、イタリアに到着した時のレートをみてびっくり!!
円→ユーロ   1ユーロ=136.825円!
ユーロ→円   1ユーロ=115.340円!!!!
な、なんなんだ、このレートは(笑)


ちなみに、僕が為替をチェックするときは、FXの会社のHPを見ています。
あれだと1秒毎に更新されるしチャート(分足)もきっちり出るので。
(日足や週足のチャートはヤフーファイナンスや証券会社のHPでもOK)

パソコンからは「マネーパートナーズ
携帯からは「外為オンライン
のサイトをよく見ておりました。
これらは、証券口座やFX口座をお持ちでない方も無料で為替のチェック(リアルレート)
が出来るサイトです。

あ、もちろん、このレートは為替取引のものであって、クレジットカードの支払いや両替時の基準レートとは異なります
一応国家間(会社間も?)のレートは日本時間の午前10時ちょうどに決定するのですが、
VISAの基準レートが決定する時間や両替の基準時刻などは分かりません。
それでも、一日前くらいの平均的なレートを見たら大体の予想はつくと思います。

買おうとしている日があって、当日一気に円高が進行したら、翌日かその翌日あたりに
買おうかと思ったり、円安になったから当日買っておいた方がいい、とか。


以上、みみっちぃ話でした。

雪やこんこん・・・・・泣

2010年02月01日 21時40分44秒 | 日常の話
雪、降るようですね。

関東でも雪なんですってね。


飛行機、飛ばないかもなあ。


一応、念のため、飛行機が飛びそうにない時に備え、
特急+新幹線で成田までの時刻表を見てみました。


米原経由でも、上越新幹線利用でも、飛行機には間に合いそうにありません。



こりゃ、厳しいねぇ。


あーあ、富山空港はともかく小松空港は大丈夫だろうと思っていたのに。
小松も思いっきり雪マーク!!


予想以上にたくさん雪が降っていたら、まあ、駄目でしょう。


神頼み、神頼み