ショパン:ピアノソナタ第3番
ピアノソナタ第2番
マズルカOp.2No.2/Op.7No.2/Op.17No.2/Op.17No.3
Op.30No.3/Op.33No.1/Op.417No.1/Op.41No.2
Op.50No.2/Op.50No.3
ピアノ:ウィリアム・カペル
CD:RCA RED SEAL 5998-5998-2-RC
米国では、チャイコフスキー国際コンクールの第1回の優勝者、ヴァン・クライバーンを祝して1962年より4年ごとにテキサス州フォートワースで「ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール」が開催されている。09年には辻井伸行が優勝したこともあり、日本において今やクラシック音楽ファンでなくてもその名を知られた音楽コンクールになってしまった。これに対して米国の名ピアニストであったウィリアム・カペル(1922年―1953年)を記念した「ウィリアム・カペル国際ピアノコンクール」が開催されていることを知る日本人はそう多くはない。「ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール」と同じように現在では4年に一度米国で開催されており、来年(11年)7月には第28回の「ウィリアム・カペル国際ピアノコンクール」が開催されることになっている。今回のCDは、この米国が生んだ伝説の名ピアニスト、ウィリアム・カペルがショパンのソナタとマズルカを弾いた1枚である。
ウイリアム・カペルは、米国ニューヨークに生まれ、フィラデルフィア音楽院およびジュリアード音楽院で学んだ。第二次大戦後米国が生んだ最も有望なピアニストと目され、将来を嘱望されていたのである。しかし、突然の悲劇が彼の将来を阻んだ。それは飛行機事故により、たった31歳の命が絶たれたのである。正にウイリアム・カペルは悲劇のピアニストであったわけだ。飛行機事故はこれまでどれだけ多くの有望な演奏家の命を奪ってきたのであろうか。名ヴァイオリニストのジネット・ヌブーも若くして飛行機事故で亡くなっている。20歳頃のカペルは、その端正な風貌も加わり、当時の女性からはアイドルスター並の扱いを受けていたそうである。残された彼の写真を見てもこのことが窺える。
さて、この悲劇のピアニストであるウイリアム・カペルのショパンの演奏を収めたCDを聴くと、如何にカペルが飛びぬけた才能を持っていたのかが聴き取れる。特にピアノソナタ第3番は、過去のあらゆる名ピアニスト達の録音と比べても、少しも遜色がないどころか、私にはディヌ・リパッティの弾くショパンのピアノソナタ第3番に唯一比肩しうる名録音に聴こえる。格調高い雰囲気で明快にショパンのソナタを弾きこなす。テクニック的にも何の文句もつけようがない。そして透明感がある音色は、聴くものを引き付けずにはおかない。さらにその弾き方は、将来の悲劇を予言しているいるかのようでもあり、どことなく翳りのある彼の風貌を何となく表しているようでもある。
このCDにはピアノソナタ第2番も収められているが、こちらはライブ録音(1953年10月なので死の年の録音だ)で、当時の録音技術はライブ録音には弱く聴きづらい。また演奏内容も肩に力が入ってしまって、残念ながら第3番のような名演とはいえない。そうはいってもそのレベルはかなりの高さに達していることは事実なのだが。10曲が収められたマズルカの方は、第3番のソナタと同様、名演である。どちらも1952年(死の1年前)のスタジオ録音である。ショパン弾きかどうかの判断はマズルカを聴くとはっきりする。マズルカほどショパン本来の土俗的ともいえる、祖国を想う独白みたいな曲が多いからだ。透明で明瞭なカペルのピアノ演奏は、そんなショパンの想いを十全に解き明かしてくれている。(蔵 志津久)