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「歌曲王」フランツ・シューベルト(第6話)

2007年10月22日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日は「歌曲王」フランツ・ペーター・シューベルト(第6話)です。

≪作曲家の肖像≫
シューベルト:美しき水車小屋の娘
ゲルハーエル(クリスティアン),シューベルト,フーバー(ゲロルド)
BMG JAPAN

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【Franz Peter Schubert】

歌曲「魔王」ようやく知名度が上がってきたシューベルト。今日はその続きからです。


(第6話)【自暴自棄?!】
ようやく歌曲「魔王」の出版に漕ぎつけたシューベルト。またその頃にウィーンで歌劇が取り上げられた事に目を付けた彼は、1821年には歌劇をいくつか作曲していきます。しかし、これらの歌劇はやはり聴衆や劇場にあまり受け入れられず、なかなか公演される事はないのでした。

その中で唯一、やっと公開された劇付随音楽「ロザムンデ」は上演からわずか2日間で公開打ち切りとなってしまい、歌劇で成功を得ることはできなかったようです。

という訳で、一応、作曲家としては歌曲を中心に、やや有名?!にはなりつつあるシューベルトでしたが、当時の作曲家としては、やはり「歌劇」で認められる事が第一とされていた事もあり、どうも快心の一発が出ないシューベルトだったのでした。

そんな中、かつて居候をさせてくれていた友人ショーバーに誘われると、夜の街に遊びに出かけてしまい、シューベルトは自堕落な生活に陥ってしまいます。
すると、シューベルティアーデ(シューベルトを囲む会)もおざなりになってしまい、夜遊びに夢中になっていたシューベルトはこれもすっぽかすようになってしまうのでした。

すると、当然ながら、シューベルトを強く推薦してくれていたバリトン歌手のフォーグルやシューベルティアーデに集まる仲間たちも、自然にシューベルトから距離を置くようになってくるのでした。

こうして、調子に乗って夜遊びを続けていたシューベルトは1822年、ついに体調を崩してしまいます。
更に病状が悪化すると入院を余儀なくされ、一時期はかなり危険な状態にまで陥ってしまうのでした。
病床に伏せりながらも、これまでの自分に反省したのか?これで最期と思ったのか?再び作曲のペンを執り始めていくのでした。

1823年、どうにか体調を回復させたシューベルトは入院中に書き溜めた作品を完成させていきます。歌曲集「美しき水車小屋の娘」や「楽興の詩」もこの頃の作品のひとつのようです。


これから本調子を発揮するかと思われたシューベルトでしたが、歌劇が認められなくなると、ちょっとハメをはずしてしまい、それが元で入院までしてしまいます。
どうにか回復して、作曲を再開しますが…、このつづきはまた明日。

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