初心者のクラシック

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リヒャルト・ワーグナー(第9話)

2007年06月14日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日はウィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー(第9話)です。

≪作曲家の肖像≫
伝説のワーグナー歌手たち
オムニバス(クラシック), コネツニ(ヒルデ), ワーグナー, ティーティエン(ハインツ), バイロイト祝祭劇場管弦楽団, ボッケルマン(ルドルフ), ヤンセン(ヘルベルト), ライニング(マリア), ミューラー(マリア), フェルカー(フランツ)
ワーナーミュージック・ジャパン

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【Wilhelm Richard Wagner】

お待たせしました。どうするどうなるワーグナーとコジマのつづきです。

(第9話)【微妙な関係】
1866年、コジマとその娘イゾルデを連れてスイスのトリープシェンへ移ったワーグナーは「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の作曲にとりかかります。ワーグナー53歳、コジマは28歳です。(かなり年の差ありますけど・・・)

ワーグナー一家?!は、周りの心配をよそにスイスで幸せな生活を送っていたようです。1867年には二人にとっては第2子にあたる娘が生まれると、このとき作曲していた「マイスタージンガー」の登場人物にちなんで、エーファと名付けられます。

そして同年、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が完成すると、6月にバイエルンで初演されます。このときの指揮者はハンス・フォン・ビューローでした・・・。

って、え!?だってビューローの奥さんはコジマじゃあ・・・?しかも妻を奪われたのに、その人の曲を初演??だなんて・・・。

これには諸説あるようですが、一説にはビューローもワーグナーを音楽家として尊敬し、師と仰いでいたため、師と妻の関係を黙認せざるを得なかったんじゃないか・・・、とも言われているようですが・・・、それにしたって、ちょっとツライぜビューロー。
さすがにここまでくると、ほどなくビューローはコジマとの離婚に向けて手続きを行っていったようです。

そんなビューローの思いを知ってか知らずか、1869年には二人は3人目の子供(長男)が生まれます。ワーグナーは長男の誕生に大変喜んだらしく、以前から作曲にとりかかっていた超大作の「ニーベルングの指環」にちなんでジークフリートと名付けられます。

ワーグナーはバイエルン王国から退去命令を受けた後も国王ルートヴィヒ2世とはその後も音楽を通じて親交があったようです。彼の音楽をこよなく愛したルートヴィヒ2世は、ワーグナーの音楽の演奏活動にも熱心に取り組みます。

ワーグナーが超大作として取り組んでいた全4夜に及ぶ作品に「ニーベルングの指環」はこのころまだ全曲は完成していませんでしたが、ルートヴィヒ2世は全曲の完成を待ちきれず既に完成していた序夜「ラインの黄金」を1869年、バイエルン宮廷歌劇場で早々と初演を行います。

更に、国王は翌1870年同じく完成していた第1夜「ワルキューレ」までも初演してしまいます。ワーグナーはいずれの演奏も初演とは認めていなかったようですが、どちらの初演もなかなか好評だったようです。

そんなこんなで、かなり激動の展開を見せつつも、ようやくビューローとコジマの離婚が正式に認められると、1870年8月、ワーグナーはコジマと晴れて結婚することが出来たのでした。ワーグナーは既に57歳コジマは32歳でした。


どうにか結婚までたどりついたワーグナーとコジマですが・・・、子供3人もできちゃった後なんだけど・・・、ビューローとの離婚調停が難航したのかなぁ?!
という訳でこのつづきはまた明日。

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