初心者のクラシック

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カミ―ユ・サン=サーンス(第6話)

2007年11月22日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日はシャルル・カミ―ユ・サン=サーンス(第6話)です。

≪作曲家の肖像≫
世紀の名ピアニストたち(3)
サン=サーンス(カミーユ),サン=サーンス,イルゲンフリツ(マクナイアー),トレフセン(オーグスタ),ニリンスカ(カティンカ),ダルベール(ウジェーヌ),シュニツァー(ジェルメーヌ)
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【Charles Camille Saint-Saens】

作曲をしてもなかなか認められないサンサーンス。今日はその続きからです。

(第6話)【結婚・・・そして】
1875年2月、40歳を迎える年にサンサーンスは突然結婚します。
お相手は教え子の妹マリ・ロール・エミリでした、このときマリは19歳。(おお!年の差婚ですね。)

それまでに、女性関係の浮いた話のひとつも上がらなかったサンサーンスの結婚は、パリ市民たちも、たいそう驚いていたようです。

二人は結婚式を挙げると、その年の12月には長男アンドレが誕生します。1877年には次男ジャン・フランソワが誕生し、ようやく落ち着いた結構生活を送っていたように思われたサンサーンスですが、私生活では成果を見せたサンサーンスでしたが、音楽活動はそれほど奮いません。

こうして、パリをはじめフランス国内では、その作品が評価されないサンサーンスでしたが、それもあってか、サンサーンスはフランス国外にも足を運ぶようになり、1887年には、リストの希望もあってワイマールで歌劇「サムソンとデリラ」が初演されると、フランスでは、それほど高い評価を得る事が出来なかったこの歌劇が大成功を収めるのでした。

フランス、パリを飛び出してようやく成功を掴みかけたように見えたサンサーンスでしたが1878年、悲劇はいつも突然訪れるのでした。

まだ幼い長男アンドレがアパートの窓から身を乗り出して転落し、亡くなってしまうのでした。更に不幸は続きその数ヵ月後、まだ1歳にもならない次男ジャンが肺炎をこじらせて、まるで兄の後を追うようにして亡くなってしまうのでした。

せっかく手に入れた幸せを一度に失ってしまったサンサーンス。二人の子供を同じ時期に失った悲しみは言うに堪えないものがあったハズですが、おそらく周囲にはあまりその事を語らず、普段と変わらない生活を送っていたのでしょう。(悲しみから目をそらそうとしていたのかもしれません。)

しかし、周囲の人間からはその事が逆効果を与える形になり、「息子を亡くしたのに、これまで通りの生活ができるなんて、なんて冷淡で無表情なヤツだ!」と噂があったとか、無かったとか、ともあれ、それが更に「そんなヤツが血の通った音楽を書けるハズがない!」と噂が飛び、その作品の評価にまで至ってしまうのでした。


いきなり結婚話が持ち上がったサンサーンス。ようやくワイマールで歌劇が評価されますが、2人の息子を失ってしまい踏んだり蹴ったりの様子。このつづきはまた明日。(のつもりです。)


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