初心者のクラシック

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フェリックス・メンデルスゾーン(第3話)

2007年05月16日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日はフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ(第3話)です。

≪作曲家の肖像≫
メンデルスゾーン:弦楽のための
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【Felix Mendelssohn Bartholdy】

(第3話)【ヨーロッパ旅行】
1828年19歳になるとベルリン大学に入学します。音楽の才能だけでなく多くの分野でその教養を高めようとしていたようです。この間もジングアカデミーで音楽を学びその見識を深めていきます。特にこの時期にはバッハの作品を熱心に研究していたようです。

そして翌1829年、自らの指揮でJ.S.バッハの「マタイ受難曲」をジングアカデミーの演奏で行います。当時この曲は一部が演奏される事があっても全曲が演奏される機会はほとんど無かったようですが、メンデルスゾーンが演奏したことによってバッハの音楽への認識が一気に高まる事になります。
この演奏会は大成功を収め、すぐに再演されると、ちょっとしたバッハブームを巻き起こしていたようです。

この頃、メンデルスゾーンは知人の勧めでイギリス旅行へも行っていたようです。生まれつき裕福な家庭に育ったメンデルスゾーンはロンドンの英国紳士たちが開く社交界でもすぐに人気を集め、自作の交響曲第1番をフィルハーモニー協会で演奏すると、これも大好評になるのでした。

その後友人とスコットランド方面を観光でまわり有意義なひと時を過ごしていたようです。後にこの頃の印象が交響曲第3番「スコットランド」や序曲「フィンガルの洞窟」を生み出すきっかけになっていたようです。

数ヶ月のイギリス滞在が終わりベルリンに戻ると、アウグスブルクの信仰300年祭のための交響曲「宗教改革」の作曲に取り掛かります。

1830年にはヨーロッパ各地を訪れます。そしてワイマールに向かうとそこではゲーテと再会します。イギリス滞在での出来事や芸術論を語っていると、そのうちゲーテはベートーヴェンの音楽をそれ程重視していないような口ぶりを見せるのでした。
一方バッハと共にベートーヴェンを深く尊敬していたメンデルスゾーンがそれを聞くと、それはいけない!とばかりにピアノに飛びついてベートーヴェンの「交響曲第5番」(運命)を弾いてゲーテに聴かせると、ゲーテはその演奏に「この曲をオーケストラで聴くとどうなるんだ!」と深く関心を持ち、その後ベートーヴェンにも興味を持つようになった。というエピソードもあるようです。

こうしてゲーテとの再会を果たすと、ワイマールを離れミュンヘン、ウィーンなどを経由してイタリアへ向かいます。10月に到着するとヴェネツィア、フィレンツェを巡ると自らも絵を描くメンデルスゾーンはイタリア絵画の高い芸術性に感動するのでした。

更にローマを訪れると、そこにはパリから留学していたベルリオーズと出会います。二人は親交を深めると、他にもたくさんの友人を作り、ローマで半年ほど滞在する間に、作曲のペンも進め、序曲「フィンガルの洞窟」や交響曲第5番「宗教改革」を完成させます。


作曲を続けながらヨーロッパ各地を旅するメンデルスゾーン。このつづきはまた明日。

【その他の作曲家の生涯はこちら】

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