たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?
今日はヨハネス・ブラームス(第13話)です。
≪作曲家の肖像≫
【Johannes Brahms】
長年に渡り構想を練った交響曲第1番が完成したブラームス。創作意欲も高まっているようですが、次にはどんな曲を書くんでしょうか?今日はその続きからです。
(第13話)【交響曲から協奏曲へ】
完成したブラームスの交響曲第1番は、指揮者ハンス・フォン・ビューローにも、偉大なる作曲家ベートーヴェンの9つの交響曲に続く第10番だとも評し、高い支持を与えられるのでした。
ブラームスが交響曲第1番を初演した1876年には、ワーグナーがバイロイト祝祭劇場では楽劇「ニーベルングの指輪」でこけらおとしがされていた事が、いかにも対抗的に感じられるのは、過去の経緯から考えると偶然とは言い難いのかもしれません。
1877年、交響曲が完成すると「秘密」「愛の歌」「昔の恋」などの歌曲集を次々に作曲し、再び声楽曲に取り組んでいます。
この年には作曲に専念するためオーストリアの南、スロベニア国境付近の都市ベルチャッハに向かいます。自然のあふれるこの地で、ブラームスの創作意欲も旺盛になっていたようです。続く交響曲第2番を作曲します。
第2番は第1番に比べると比較的短期間で作曲された事になりますが、第1番とは対照的に穏やかで牧歌的なこの曲はベートーヴェンの交響曲第6番「田園」になぞらえて、「ブラームスの田園」と呼ばれるようになります。
12月に行われた初演も大成功を収め、大喝采を受けることになります。
ここで、少しさかのぼって1877年9月ブラームスは、バーデン・バーデンである演奏会を聴きます。ブルッフのヴァイオリン協奏曲をサラサーテが演奏した演奏会でしたが、これに感銘を受けたブラームスは交響曲に続きヴァイオリン協奏曲の作曲に挑む決意をするのでした。
交響曲第1番以来、破竹の快進撃を続けるブラームスの作曲活動ですが、勢いは止まらず、翌1878年にもオーストリアのベルチャッハを訪れ、作曲に専念します。古典的な作風にこだわりを持つブラームスは、交響曲ではベートーヴェンを意識して作曲していたようですが、次に取り掛かった「ヴァイオリン協奏曲」でもベートーヴェンを意識していたようです。
現在では「三大ヴァイオリン協奏曲」に数えられるほど屈指の名作として有名なこの曲ですが、自己批判意識が強く、他人の目が気になるブラームスは書きかけの楽譜を友人ヨアヒムに送り、感想を求めていたようです。
ヨアヒムの助言を参考に試行錯誤を重ねながらブラームスのヴァイオリン協奏曲は完成します。
初演は1879年1月ライプツィヒでブラームスが自ら指揮を執りヴァイオリンソロはヨアヒムが担当し演奏会が行われると、またしても大成功を収め、各地で再演が行われる事になるのでした。
次から次へと名曲を生み出すブラームス。この勢いはどこまで続くんでしょうか?
このつづきはまた明日。
♪ヴァイオリン協奏曲の記事はこちら
【その他の作曲家の生涯はこちら】
「くつろぐ」ブログランキング⇔こちらもよろしく
今日はヨハネス・ブラームス(第13話)です。
≪作曲家の肖像≫
ブラームス:VN協奏曲ヨッフム(オイゲン), ミルシテイン(ナタン), ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団, ライスター(カール), アマデウス弦楽四重奏団, ブラームスユニバーサルクラシックこのアイテムの詳細を見る |
長年に渡り構想を練った交響曲第1番が完成したブラームス。創作意欲も高まっているようですが、次にはどんな曲を書くんでしょうか?今日はその続きからです。
(第13話)【交響曲から協奏曲へ】
完成したブラームスの交響曲第1番は、指揮者ハンス・フォン・ビューローにも、偉大なる作曲家ベートーヴェンの9つの交響曲に続く第10番だとも評し、高い支持を与えられるのでした。
ブラームスが交響曲第1番を初演した1876年には、ワーグナーがバイロイト祝祭劇場では楽劇「ニーベルングの指輪」でこけらおとしがされていた事が、いかにも対抗的に感じられるのは、過去の経緯から考えると偶然とは言い難いのかもしれません。
1877年、交響曲が完成すると「秘密」「愛の歌」「昔の恋」などの歌曲集を次々に作曲し、再び声楽曲に取り組んでいます。
この年には作曲に専念するためオーストリアの南、スロベニア国境付近の都市ベルチャッハに向かいます。自然のあふれるこの地で、ブラームスの創作意欲も旺盛になっていたようです。続く交響曲第2番を作曲します。
第2番は第1番に比べると比較的短期間で作曲された事になりますが、第1番とは対照的に穏やかで牧歌的なこの曲はベートーヴェンの交響曲第6番「田園」になぞらえて、「ブラームスの田園」と呼ばれるようになります。
12月に行われた初演も大成功を収め、大喝采を受けることになります。
ここで、少しさかのぼって1877年9月ブラームスは、バーデン・バーデンである演奏会を聴きます。ブルッフのヴァイオリン協奏曲をサラサーテが演奏した演奏会でしたが、これに感銘を受けたブラームスは交響曲に続きヴァイオリン協奏曲の作曲に挑む決意をするのでした。
交響曲第1番以来、破竹の快進撃を続けるブラームスの作曲活動ですが、勢いは止まらず、翌1878年にもオーストリアのベルチャッハを訪れ、作曲に専念します。古典的な作風にこだわりを持つブラームスは、交響曲ではベートーヴェンを意識して作曲していたようですが、次に取り掛かった「ヴァイオリン協奏曲」でもベートーヴェンを意識していたようです。
現在では「三大ヴァイオリン協奏曲」に数えられるほど屈指の名作として有名なこの曲ですが、自己批判意識が強く、他人の目が気になるブラームスは書きかけの楽譜を友人ヨアヒムに送り、感想を求めていたようです。
ヨアヒムの助言を参考に試行錯誤を重ねながらブラームスのヴァイオリン協奏曲は完成します。
初演は1879年1月ライプツィヒでブラームスが自ら指揮を執りヴァイオリンソロはヨアヒムが担当し演奏会が行われると、またしても大成功を収め、各地で再演が行われる事になるのでした。
次から次へと名曲を生み出すブラームス。この勢いはどこまで続くんでしょうか?
このつづきはまた明日。
♪ヴァイオリン協奏曲の記事はこちら
【その他の作曲家の生涯はこちら】
「くつろぐ」ブログランキング⇔こちらもよろしく
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます