たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?
今日はヨハネス・ブラームス(第7話)です。
≪作曲家ゆかりの曲≫
【Johannes Brahms】
アガーテと親密な関係を深めるブラームス、果たして今度はうまくいくんでしょうか?その続きからです。
(第7話)【恋の結末】
どこから見ても微笑ましいブラームスとアガーテのカップル。トントン拍子に話は進み、ふたりは婚約する事になります。
ところが、ブラームスが婚約者アガーテに送ったの一通の手紙から大変な事になってしまいます。手紙の内容はこうでした。「僕は仕事がとても忙しい、結婚によって束縛されるような事は避けたい。結婚するかどうかは君が決めて欲しい。」
こんな内容の手紙を婚約者に送りつけたのです。これを受け取ったアガーテはかなりショックを受けてしまい、(そりゃぁそうだ)婚約の話は破談になってしまうのでした。
それにしても、これがブラームスなりのプロポーズだったんでしょうか?それにしてはあまりにもデリカシーが無さ過ぎるこの手紙。普通なら「君の手料理が食べたい」とか「一生そばにいて欲しい」とか他にいくらでも言いようがあったと思うんですが、結果この婚約破棄を言い渡すような手紙によってふたりの関係は終わりを告げるのでした。
クララのときと言い、今回のアガーテの事と言いブラームスは愛する女性と良い関係になると最後に自分から身を引いてしまうという、なんとももどかしい人物のようです。それと同時に、やはり人一倍自己批判の精神が強く自分の行動にも自ら制限をかけていたようです。
更に言えば一度はアガーテとの結婚を決意したブラームスの頭にはクララの事が頭をよぎったのかもしれません。現在ではそのような説もあるようですが、今となってはブラームスにしか、その真意を知る人はいないでしょう。
そんな中、作曲活動を続け「ピアノ協奏曲第1番」を作曲し、1859年1月、友人ヨアヒムの指揮で自らがピアノを弾いてハノーファーとライプツィヒでこの初演を行いますが、結果は失敗に終わり、故郷ハンブルクへと帰って行きます。
ハンブルクでは女声合唱団の指揮をしたり、そのための歌曲を作曲したりしていたようですが、アガーテとの一件はブラームスにも少なからず影響を与えていたようです。あんな手紙を送ってしまった事を後悔していたのでしょうか?1864年に弦楽六重奏曲第2番を作曲すると、ヴァイオリンのフレーズにアガーテ(AGA[T]HE)という音を使っているようです。
そして、友人にも「これでようやく自分を解放した」と漏らしていたようです。
せっかくうまくいきそうだったアガーテとの関係をまるで自ら断ち切ってしまうような手紙を送ってしまうブラームス。こんな結末になってしまうなんて。
さて、きりのいいところで、今回も少し長くなりそうなのでこのつづきは曲を挟んでまた来週。
【その他の作曲家の生涯はこちら】
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今日はヨハネス・ブラームス(第7話)です。
≪作曲家ゆかりの曲≫
ブラームス:交響曲第1番ボストン交響楽団, ブラームス, ミュンシュ(シャルル)BMG JAPANこのアイテムの詳細を見る |
アガーテと親密な関係を深めるブラームス、果たして今度はうまくいくんでしょうか?その続きからです。
(第7話)【恋の結末】
どこから見ても微笑ましいブラームスとアガーテのカップル。トントン拍子に話は進み、ふたりは婚約する事になります。
ところが、ブラームスが婚約者アガーテに送ったの一通の手紙から大変な事になってしまいます。手紙の内容はこうでした。「僕は仕事がとても忙しい、結婚によって束縛されるような事は避けたい。結婚するかどうかは君が決めて欲しい。」
こんな内容の手紙を婚約者に送りつけたのです。これを受け取ったアガーテはかなりショックを受けてしまい、(そりゃぁそうだ)婚約の話は破談になってしまうのでした。
それにしても、これがブラームスなりのプロポーズだったんでしょうか?それにしてはあまりにもデリカシーが無さ過ぎるこの手紙。普通なら「君の手料理が食べたい」とか「一生そばにいて欲しい」とか他にいくらでも言いようがあったと思うんですが、結果この婚約破棄を言い渡すような手紙によってふたりの関係は終わりを告げるのでした。
クララのときと言い、今回のアガーテの事と言いブラームスは愛する女性と良い関係になると最後に自分から身を引いてしまうという、なんとももどかしい人物のようです。それと同時に、やはり人一倍自己批判の精神が強く自分の行動にも自ら制限をかけていたようです。
更に言えば一度はアガーテとの結婚を決意したブラームスの頭にはクララの事が頭をよぎったのかもしれません。現在ではそのような説もあるようですが、今となってはブラームスにしか、その真意を知る人はいないでしょう。
そんな中、作曲活動を続け「ピアノ協奏曲第1番」を作曲し、1859年1月、友人ヨアヒムの指揮で自らがピアノを弾いてハノーファーとライプツィヒでこの初演を行いますが、結果は失敗に終わり、故郷ハンブルクへと帰って行きます。
ハンブルクでは女声合唱団の指揮をしたり、そのための歌曲を作曲したりしていたようですが、アガーテとの一件はブラームスにも少なからず影響を与えていたようです。あんな手紙を送ってしまった事を後悔していたのでしょうか?1864年に弦楽六重奏曲第2番を作曲すると、ヴァイオリンのフレーズにアガーテ(AGA[T]HE)という音を使っているようです。
そして、友人にも「これでようやく自分を解放した」と漏らしていたようです。
せっかくうまくいきそうだったアガーテとの関係をまるで自ら断ち切ってしまうような手紙を送ってしまうブラームス。こんな結末になってしまうなんて。
さて、きりのいいところで、今回も少し長くなりそうなのでこのつづきは曲を挟んでまた来週。
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