初心者のクラシック

有名な曲からおすすめの曲まで、できるだけ初心者にも分かり易く紹介します。

ルイ・エクトル・ベルリオーズ(第1話)

2006年10月13日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

有名な作曲家にはその真偽はともかくとして、たくさんの興味深いエピソードがあります。
そんな興味深いエピソードを中心に作曲家の生涯をたどっていきます。

今日はルイ・エクトル・ベルリオーズ(第1話)です。

≪作曲家の肖像≫
全然知らない曲ばっかりですけど、とりあえず顔が大きいCDです。
ベルリオーズ:葬送と勝利の交響曲/シュミット:酒神祭/ケックラン:民衆の祭りのためのコラール/フォーレ:挽歌 ドンディーヌ/パリ警視庁音楽隊
デジレ・ドンディーヌ, ベルリオーズ, シュミット, ケックラン, フォーレ, パリ警視庁音楽隊
キングレコード

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【Louis Hector Berlioz】

【フランス】
【1803-1869】
【ロマン派】

ベルリオーズといえば「幻想交響曲」が有名ですが、ロマンチックな雰囲気のある彼はいったいどんな生涯を送っていたんでしょうか。

(第1話)【医師の息子】
1803年、ベルリオーズはフランスの東南部の田舎町ラ・コート・サンタドレに生まれます。父親は開業医をやっており祖父は法律家という、街でも有数の名家の生まれだったようです。裕福な家庭に育ったベルリオーズは、何不自由なく育ったと思われます。

 まだ、子供のころに縦笛を見つけて遊んでいるベルリオーズの姿を見つけた父親は、楽器が好きならと、フルートを買い与え自ら譜面の読み方や楽器を教えていたようです。しかし、この頃はまだ父親も息子を音楽家にする気はなく、医師の家業を継いでもらおうと考えていたようです。楽器を教えるのも趣味程度で、教養のひとつくらいになればいいと思っていたんでしょう。

 一方、母親の方は音楽家に偏見を持っていたようで、一昔前の日本でも「ギターを弾く子なんて不良よ!」みたいな向きがあったようですが、おそらくそれと似たような感じだったんでしょう。息子が音楽に興味を持つことにあまりよくは思っていなかったようです。そのためベルリオーズ家にはピアノは無かったようです。

 しかし、フルートを楽しんで演奏する息子を不憫に思ったのか、リヨンから何故か劇場のヴァイオリニストを呼んでフルートの指導をさせていたようです。(フルート奏者を呼んだら変に才能を見つけられると困るからだったんでしょうか。)

 プロからの指導を受けたベルリオーズは音楽に更に興味を抱き、とうとう自分でも作曲のまねごとをはじめ、1819年15歳になると、これまでに書き溜めた自作の譜面の自信作を選りすぐり、パリの出版社「プレイエル」にこの楽譜を郵送するのでした。

 しかし、当然ながらにわか仕込みの素人作曲家の作品が出版される事は無く、楽譜はプレイエル社から返送されてしまうのでした。

 やがて、なんらかの事情でヴァイオリニストがリヨンへ帰ってしまったため、次にベルリオーズの音楽教師としてドランが訪れますが、彼はベルリオーズにギターを教えます。すると、みるみるうちにドランを上回る技量を身に付けたと言われています。
 ベルリオーズの音楽に対する思いはいよいよ熱心なものになり、当時グルックやハイドンの伝記を読み、将来は彼らのような作曲家になりたいという思いを募らせていくのでした。

 ところが、16歳になると父親は息子にとうとう本格的な医師になるための勉強の手ほどきを始めるのでした。(だって医者ですからねぇ息子に後を継いでもらいたいというのは今も昔も変わらないんですね。)父親は同じく医師の勉強をさせるため従兄弟とともに息子ベルリオーズが医者になるための知識を与えていくのでした。

 そして1821年、18歳になったベルリオーズは従兄弟と共にパリの医大の入学試験を受けることになりました。父親の指導の甲斐もあり、二人とも見事に合格してしまうのでした。そして、パリの医科大学へ入学するため、ふたりはパリへと向かうことになるのでした。



さて、パリに行くことにはなったものの、医大生として医師を目指しての状況となりました。ベルリオーズはパリでどんな生活を送るのでしょうか。つづきはまた明日。


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