初心者のクラシック

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ジャン・シベリウス(第3話)

2007年08月07日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日はジャン・シベリウス(第3話)です。

≪作曲家の肖像≫
シベリウス/交響詩「フィンランディア」作品26
アシュケナージ(ウラジミール),シベリウス,フィルハーモニア管弦楽団,ゼーダーシュトレーム(エリーザベト)
ユニバーサルクラシック

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勿論右側です。一応
【Jean Sibelius】

作曲家として、着実に実績を積んでいくシベリウス。交響詩「フィンランディア」はどのようにして生まれたのでしょうか?今日はその続きからです。

(第3話)【フィンランディア】
1899年、シベリウスは「フィンランディア」を最初は組曲として8曲が劇音楽のために作曲します。これは、この年に「愛国記念劇」として上演された音楽の7番目の曲が「目覚めよフィンランド」というタイトルでしたが、これが後に「フィンランディア」として独立して演奏されるようになるのでした。

交響詩「フィンランディア」は、たちまち大人気になりますが、そこにはフィンランドの歴史が大きく関係しているので、今日はちょっとフィンランドの歴史を紐解いてみようと思います。

フィンランドは元々国家を持たない小規模な集落で構成される地域だったようですが、12世紀になると隣国スウェーデンによって支配される属国になってしまいます。
16世紀になると宗教革命の影響を受けて独立の気運は高まるものの、ロシア、デンマーク等々の強国が周りにひしめいていたため、やはりスウェーデンの属国としてフィンランド公国の建国に至るのがやっとでした。

その後ナポレオン戦争によってスウェーデンが打撃を受けると、フィンランド地域を狙ったロシアがスウェーデンに宣戦布告をし、フィンランド戦争(1808~1809)が始ります。その結果ロシアが勝利を収め、フィンランドの新たな支配者となります。

しかし、ロシアはフィンランド大公国として支配し、フィンランド人にある程度の自治権を認めたため、フィンランドでのナショナリズムが形成されていきます。

更に1848年にはヨーロッパ各地で3月革命が起こり、民族運動の声が高まるとフィンランドにも独立の意識が高まります。こうした独立運動の声を恐れたロシアは、皇帝アレクサンドル2世の暗殺を機に属国フィンランド大公国の支配を引き締め、公国から自治権が制限されて、ロシア語を強要するなど、フィンランドから自由を奪っていくのでした。


シベリウスが生きた時代はちょうどこの頃で、長年属国としての立場が続いていたフィンランド人が再びロシアの圧制に苦しむ中、シベリウスの「フィンランディア」の演奏は独立を夢見るフィンランド人の希望を理想とする曲に聴こえていたに違いありません。

1900年、シベリウスはヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団と共にパリ万博に参加してこの交響詩「フィンランディア」を演奏すると、ここでも評判を呼び、やがてこの話がロシアに届くと、ロシアでは「フィンランディア」の演奏を禁止するほど、その音楽の影響力は強かったようです。


属国の時代がつづくフィンランドに独立の空気が高まる中、シベリウスの作曲した「フィンランディア」がその空気を盛上げていきます。フィンランドは無事に独立できるのか?そしてシベリウスは?このつづきはまた明日。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
シベリウス (ハク)
2007-08-08 00:14:24
今度の演奏会で発表する曲が「フィンランディア」なので、ジャン・シベリウスについていろいろと調べていたところ、このサイトにたどり着いたので、いろいろと読ませていただきました。
シベリウスのフィンランド内での生活風景や作曲への影響についてとてもわかりやすい記述で、とても楽しく読ませていただきました!
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よかったです! (けい)
2007-08-08 23:51:22
「フィンランディア」と「ジャン・シベリウス」のキーワードで検索されたとの事ですが、このブログがひっかかるなんて、かなり熱心に調べられたんですね。ありがとうございます。
一応「作曲家の生涯」シベリウスのほかにも交響詩「フィンランディア」の記事も書いてますんで、せっかくなのでよかったら、そちらにも目を通してみてくださーい。
(そんな大した事は書いてないんですけど…。)
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